我が頭とハートよ、今宵も絵を生みたまえ!!

私は今日も明日もいつも「芸術作品」を描いている。

頭を動かしながら腕を動かし耳と目で周りからの物理的な接触に揺れる心落ち着かせながら「この絵は昨日の自分を超えれているかな?」と自分と対話して「よし、次はこうだ」と考えて指をキャンバスの上で動かしてリメイクしてようやく「お、この作品は自分にとって正しい」と考えてからここに送り提供している。

描く前から「誰が見てくれるかは分からない」のです。

数百億いる人間の中で1人の人間が描いた作品が万人に受けはしない事くらい分かっている。親にもお前の絵は理解不能だと言われた事があるのだから身内にも理解された事ないなら無理だろう…。

そう考えたけども、私は描く。

「理解される」のが目的か?
それとも、「自分が絵を描きたかったから」なのか?
だが、よく考えてみれば絵は描いてある。
問題は誰がそれに評価をしてくれるのかである。
故にこれは描く前からの「勝負」なのだ。

だが、心を落ち着かせてよく考えてみれば絵を描くのになぜ「いいね稼ぎ」をしたがるのだろうかと言う気持ちなのだ。

私も一応は人の子だ。

誰かの種だったものが人の形として成長してきただけで、中身は人間では無いかもしれないが私としては絵を描いてから「じゃあ明日はこんな絵にしてみよう」と考えるように自分に促して見ることにする。

……でもやっぱり理解してくれる人は1人くらいは居て欲しいと切実に思う。おわり。