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アイドル50年史(10)1987年

「話しかけたかったとキミはどんとくらいと意外性の男と」

前年の岡田有希子さんが衝撃過ぎて、この年の芸能界って、なんかインパクトが今ひとつ薄かったのですが、レコード大賞が近藤真彦の「愚か者」だったということで、ジャニーズがこの「賞レース」にだいぶ首を突っ込んできたなという感じがありました。まぁソコソコ売れたのでいいんですけど、どう考えてもこの年の大賞は瀬川瑛子の「命くれない」だったんじゃね?なんて思ってます。

そして、最優秀新人賞は、皆さんお忘れでしょうか?立花理佐です。

しかしいつの間にか見なくなってしまいましたね。事務所が推して新人賞を取ったかドラマの主演をやったアイドル歌手なら、翌年は紅白に出て数年くらいはスターダムに乗るはずで、立花理佐も中山美穂くらいは売れるんじゃないかと思ってましたが。「ビー・バップ・ハイスクール」でもポスト中山美穂みたいな感じで売り出していたし。

あ、最優秀新人賞の受賞曲は「キミはどんとくらい」です。You Tubeでなんか上がっておりました。そういや仁藤優子もこの年デビューだったか。結構好きだったので書いておきます。

こういう先例は、他には能瀬慶子くらいかな。柴田恭兵と共演までしたのに、どうしてしまったのかと。

と、話がそれかけてきましたが、アイドル界はどうなってたかというと、「82年組」も中森明菜や小泉今日子はアイドルから実力派に変わってきて、この年は、荻野目洋子と中山美穂そして南野陽子がトップアイドルに君臨していたかなと。

おニャン子クラブは、少しブームが収まってきたけど、まだ人気はあり、おニャン子クラブより先に「新自由クラブ」の方が解散してしまったという、まあどうでもいい話なんですけど。

私は特に南野陽子にイレ込んでましたね。カラオケで「話しかけたかった」はよく歌っていて女子に嫌われたり、替え歌で「顔にかけたかった」と歌ったら更に嫌われるという。まぁ若い頃から女性には人気がないというか嫌われてました。てか、女性とのコミュニケーションはお金を払うところでないと出来ないというか、シロウトがガチで苦手でした。今でもそれはあると思ってます。

あと、私は南野陽子と同じ位置にホクロがあるし、同じ6月生まれです。

中山美穂の「ツイてるねノッてるね」も好きでしたね。あ、それは前の年か。前回書くの忘れましたので、今後もこういう紹介の仕方はしてまいります。

そして唐突ですが、アイドルはシロウトではない、という棲み分けは私の中でしてます。お金を払ってますので。風俗もAVもアイドルも私にとっては横一線で有り難い存在です。

まぁそういうわけで、この年の私の代表曲は南野陽子の「話しかけたかった」です。元祖ツンデレかも知れませんね。歴代アイドルで番付表を書くなら、東の横綱は岡田奈々で、西の横綱は南野陽子です。いずれどこかで番付発表しようかなと。

アイドル50年史を書いて行くと、だんだん現代に近づくのが辛くなったりするんですよね。その、「真正」の「単体」のアイドルが居なくなってくるんです。私が思うに、最後はあややなのかやと。

まぁ、現代になると「グループ」について書くことになるんですけど、なかなか辛いんですよね。

とまあ余計な話は別として、1987年ってプロ野球もまあ王さんが巨人の監督になって初めて優勝した年なんですけど、MVPは「意外性の男」の山倉捕手だったかな。ちょうど私も職場の野球部に入っていて、多分パフォーマンス的には「全盛期」を迎えていて、野球と競馬と風俗で若さを使い果たしていた気がします。

夜間大学はサボって留年したし、仕事は本当に仕事しなくていいような職場で、一度先輩に「勤務時間中に仕事をするなんて何事だ」と注意されて、忘年会だかの準備をしていた気がします。

「古き良き昭和の時代」と言ってしまえばそれまでなんですけど、それに溺れて全く勉強とかしていなかったなと。今の同世代は現代においてその頃のツケが来たのかなというか、いわゆる「団塊の世代」にいいように飼い殺しされてしまったのかなという方が強いのが私の感想です。

今回はここまでとします。

GOOD LUCK 陽はまた昇る
くずぼしいってつ




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