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プロ野球シミュレーション「最初から巨人江川」第11球「欲しがりましょう勝つために」

長嶋監督の特色として、私がまず思いつくのは「欲しい欲しい病」なんですけど、ただ、球団にお金があるんだったら全然それでいいと思うし、よく「自分のチームで選手を育てろよ」とか言うんですけど、「他所から選手を買って強くする」ってほうが労力かからなくていいんじゃねと。

あと、取ってくることで敵チームの戦力を削ぐという効果も少なからずあるんじゃなかろうか。いずれにせよチーム編成なんてやつはビジネスに過ぎません。

で、とにかく長嶋監督は、

「スモールベースボールが嫌い」

なんじゃないかなと勝手に思っていて、実は私もそれには同意するのです。
やはり、見ててドーパミンが出るのはホームランなんですよ。だから打線じゃなくて打「点」でもいいから、一番打者から八番打者まで全員ホームランバッターってやつはワクワクするんですよね。まぁこういう感覚で見てる私は亜流かもしれませんが。

ただ、長嶋監督はプロ野球には、エンタメ性を持たせることは最重要だと認識しているんじゃないかなと。

一方で「最大のファンサービスは勝つこと」という考えを支持する方も多く、特に球場に足を運んでチームを応援するようになればそうなるのかなと。

私は特段好きなチームが無いんですよね。ただエンタメ的には、巨人は常に強くないとつまんない気がしてます。

さて、1980年のプロ野球界の話題は、シーズンオフで王選手の引退と長嶋監督の辞任がインパクトとしては大きかったでしょうか。

王選手は、この年の打率が2割3分と規定打席到達の選手では最下位になってしまったんですよね。ただホームランは30本打っていました。指名打者のあるパ・リーグだったらもう少しやれたと思っていて、まあでも現役続けると通算打率が3割を割ってしまうからここまでだったのかなとも思いましたが。

長嶋監督は、実際の当時は「欲しい欲しい病」はそんなになくて、むしろ伊東キャンプとかで先陣を切って若手を育てていましたね。残念ながら1980年は5位という成績で結果は出せませんでしたが、投手で江川、西本、定岡の三本柱が完成し、野手も中畑、篠塚、松本、山倉と中心メンバーが固まってきて、そこにドラフトで原が入ってきたんですが、3年続いて優勝を逃した責任を取ったということになりました。

当時は解せなかったのですが、阪急から永本投手をトレードで獲得するのに、柳田選手と笠間捕手を放出して、結果永本もリリーフエースにはなれなかったのですが、長嶋監督は広島の江夏投手の存在を見てかどうかは知りませんけど投手の「分業制」にはいち早く気づいていたのかなと思ってます。実際は翌年、永本ではなく角が巨人のリリーフエースに成長していました。

さて、他の話題としては、日本ハムに「ゴールデンルーキー」木田勇が出現し、投手タイトルを総ナメしていました。球界初の新人王とMVPの同時受賞だったと思います。オフには勢いが付いて、「青春I try my best」という曲で歌手デビューも果たしてますが、こちらは新人賞は取れず、この年の新人賞は田原俊彦でした。歌唱力ならもしかしたら上回ってたかも知れませんw

では、シミュレーションに入ります。王選手を西武にトレードして真弓と若菜を獲得し、四年連続日本一になって、マニエルを欲しがるところからです。

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