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アイドル50年史②1973、1974年

「アイドル戦国時代幕開けと田中角栄と怪物江川卓と」

人名が多数出てくるので、今後は敬称略とさせていただきます。

しかし、「真理ちゃん号自転車」って、今もどこかにあるのかな、、

1973年、筆者が小学校3年の頃、総理大臣は田中角栄になっていて、ドリフターズの加藤茶が「まぁこのォー」とか真似してたのを、私も学校で採用しました。

あと、高校野球は「怪物・江川卓」一色であり、全国制覇は逃したものの、どう考えても高校生ではズバ抜け過ぎていて打席に立つのを怖がっていた選手もいたような気がしました。

そういや、この年は江川卓の他に「怪物」が競馬界ではハイセイコー、芸能界では「スター誕生」で歴代最高得点を叩き出した藤正樹がそのように呼ばれてました。

あとは、オイルショックもこの年だったかな。トイレットペーパーが不足するという事態が発生し、ウォシュレットの無い時代、皆さんどうやって乗り切ったのか記憶が定かじゃありません。

プロ野球は阪神タイガースが優勝寸前で自爆して、巨人がV9。王貞治が三冠王を獲得した年だったと思います。

さて、アイドル界は、天地真理、小柳ルミ子、南沙織の三人娘が出てきたかと思いきや、前年のレコード大賞最優秀新人賞の麻丘めぐみ、「時間ですよ」から今度は「隣のミヨちゃん」の浅田美代子、香港からやってきたアグネス・チャン、そして森昌子、桜田淳子、山口百恵の「花の中3トリオ」と、一気に新しい風が吹いてきて、正に戦国時代の状況、まあ熾烈な戦いをしてたかどうかはわかりませんが、「アイドル」という分野に活気が出てきた年だったような気がします。あとは、リンリン・ランランとカンカン・ランランのどっちがパンダなのかわけわからなくなってました。

紅白歌合戦には、三人娘に加え、麻丘めぐみとアグネスチャンと森昌子が出てきたのかな。レコ大の最優秀新人賞は桜田淳子だったと思います。

で、この年私が一番印象に残った曲は、浅田美代子の「赤い風船」でした。これまでアイドルと言えども、「歌唱力」というのは必須でした。まぁ人様の前で歌ってお金を頂く仕事だから当然なんですけど、そこの壁をブチ壊し「歌唱力」が無いか今一つでもレコードは売れるということを初めて証明してくれたのがこの方だったのではと思っています。

以降、「歌唱力度外視アイドル」は多く輩出され、さらには「口パクOK」まで繋がるのですが、実はこのことがアイドル市場の拡大、発展に大きく寄与しているんだなと考えております。

同時に、楽曲は「歌唱力」無くても人には伝わるものだと思うようにもなり、その人の持つ雰囲気とか、声質とかが「歌唱力」を超越するのでしょう。

「花の中3トリオと巨人軍は永久に不滅ですとさらばハイセイコーと」

1974年、この年はなんと言ってもミスタープロ野球長嶋茂雄の現役引退が「十大ニュース」のトップだった年です。

「燃えよドラゴンズ」により、ジャイアンツの連続優勝はストップしてしまい、しかし王貞治が2年連続三冠王に輝き、そして、消化試合となったダブルヘッダーの第2試合が長嶋茂雄の引退試合となりました。

10月14日、試合後にグラウンド内に1人登場し、スポットライトを浴びながら、ファンに、全国の視聴者に向けて結構長い話の挨拶でした。「我が巨人軍は永久に不滅です」の「永久」を「永遠」と勘違いして覚えていた人も多数いて、実は私も勘違いしていてそこに揚げ足を取る輩がそれなりにいらっしゃりました。

もう一つの「引退」は、ハイセイコーでしょうか。「さらばハイセイコー」は、私が小学生のころ、人前で初めて歌った曲でした。私のギャンブル依存症のルーツはハイセイコーかもしれません。家で購読していた報知新聞の競馬欄に目を通し、競馬の予想ができるようになったのもこの頃です。

ハイセイコーは、今でいうG1レースの勝利は皐月賞と宝塚記念だけでしたが、この馬は1600メートルから2000メートルなら芝でもダートでも無双だったので、今のレース体系ならば、秋の天皇賞は当時3200だったのが今は2000メートルだし、NHKマイルとかマイルチャンピオンシップとかがあればもっと稼げたと思います。にしても競馬が「ブーム」になる要因を作るのは、オグリキャップとともに地方競馬出身の馬なんだなと。

あ、いや、アイドルの話の前置きが長くなってしまいましたが、今後もこの傾向だと思います。

この年は「花の中3トリオ」が、他のアイドルを飲み込んだ年だと思ってます。まぁ、4月からは「花の高1トリオ」となるわけなんですが、何となく前者のほうが私はスッキリします。

紅白歌合戦も、アグネスチャン、麻丘めぐみ、天地真理はこの年が最後で、小柳ルミ子と南沙織はアイドル路線から「実力派」脱却していました。この、「アイドル」と「実力派」の境目はなんとも言えないのですが、なんとなく出演している番組とか、親衛隊がガッツリいるかが「個人的判断基準」となっています。

まぁ中3トリオの森昌子もアイドルを超越して、歌唱力という点では既に大御所クラスというか、いやこの人は天才ですよ本当に。あと、モノマネをさせると実は無双なんですよね。

で、この時点でアイドルの戦国時代の上に立ったのは山口百恵と桜田淳子、ホリプロとサンミュージックで、桜田淳子は前年のレコ大最優秀新人賞に輝いておりました。

これは、オーディション番組「スター誕生!」の勝利といってもいいと思ってます。この番組が正しく当時の「スターへの登竜門」として確立していました。以降の昭和のアイドルの大半がこの番組の出身者となっております。

で、この年の私の代表曲は山口百恵の「ひと夏の経験」です。当時私は小学生でしたのにこの曲の意味もわからず喜んで口ずさんでいましたが、やはり当時の大人の立場でみると衝撃的だったんでしょうね。

まぁでも、この人が画面に出てくると私は釘付けになりました。この体験はそれ以降では、安室奈美恵と平手友梨奈で味わいましたが、だいたい20年周期ですかね。

桜田淳子の話もちょっとしてみると、森昌子が「歌唱力」、山口百恵が「表現力」なら、桜田淳子は「バラエティー力」でしょうか。とにかくコントとか、話の掛け合いとかが面白く、本当に秀逸でした。頭の回転が良く、あと、ファンサービスをよく心得ている人だなと。この人だけは、アイドル時代は一切「恋愛」をしていなかったようです。

大人になって私は「さらばハイセイコー」の影響で競馬に注ぎ込み、たまに稼いだお金を使って「ひと夏の経験」をしておりました。なかなか「これっきり、これっきり」には出来なかったなぁ。


ではまた次回。

GOOD LUCK 陽はまた昇る
くずぼしいってつ





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