悪魔の仕業

うちの夫はアメリカ人。
元牧師でバリバリのクリスチャン。
そんな夫が時々口にするのが(滅多にはしませんが)、
「悪魔」という言葉。
例えば誰かが突発的に自殺をしてしまったり、突然怒り狂って収まらない時などに
「It was Demonic」
「A Demon caused it」(大抵そうなった後で言うので過去形で表しましたが)
”悪魔の仕業”なんてことを言う。
これは、元々日本で生まれ育ち、クリスチャンでは無かった私には耳慣れない言葉で深く理解が出来ない。
内心「悪魔ってw何を言う?(´-∀-`;)ホラー映画ですか?」の心境になったものだ。
今から数年前の事、ある男性が私達夫婦が営む店を訪ねて来た。
背が高く恰幅の良い方で、ふっくらとしたお顔はまるで恵比須様のよう。
刈り上げられた清潔感のある坊主頭に、分厚い耳たぶが”似合って”いる。
「いらっしゃいませ」
声を掛ける私に、男性はにっこりと微笑んだ。
「英会話教室の看板に惹かれて、思わず入ってきてしまいました。私は僧侶をしているものです。先生はクリスチャンですか?私のような者にも教えて頂けますかね?」
「もちろん・・・もちろんですよ!」
突然ぬっと現れ、良く通る大きなお声と、思いがけないご職業に意表を突かれ、思わず言葉に詰まってしまった。
慌てる私を余所に、彼はニコニコと夫に歩み寄る。
「うちは牧師なんですよ」
私が伝えると、男性は異文化交流が出来ることが嬉しいと仰った。
その言葉に私も嬉しくなった。それよりも、まるで少年のような屈託のない笑顔が「交流」の喜びを倍増させてくれているのだと気が付いた。
50代後半の彼は講師である私の夫と同じ年だと言い、夫の手をぎゅっと掴んでブンブンと力強く握手をすると、僧侶であるという男性に負けず劣らず体の大きい主人が心なしか振り回されているように見えた。
なかなかのマイペースな方だ。豪快というほうが正しいかもしれない。
そんな風にして「僧侶と牧師」の付き合いが始まった。
週に一度の英会話教室以外にも、彼は時折ふらりと現れては私達との会話を楽しんでくれているようだった。
ある日彼は自身がある飲み屋さんの常連客だとこっそりと教えてくれた。
「先生も一緒に行きましょう!飲みに行こう!レッツゴー」と、眉毛を下げ、目を細めた相変わらずの屈託のない笑顔で夫を誘うも、敬虔なクリスチャンである彼は、絶対に夜は出歩かないと頑なに断っていた。
日本人である私はそんなやりとりにハラハラし、「気の毒だわ。いつも誘ってくれてるのに。たまに付き合ってあげたら?嫌われない?」と主人の背中を押すも、彼の頑固な意志はそんな日本的な一時の感傷には揺るがない。
それでも僧侶さんは頑固者の牧師を嫌うことなく我々に顔を見せてくれていた。
来る度に少しずつご自身の私生活を明かし、札幌からこの小さな町の寺へと通って来ていること、奥様と一人息子さんの事等を語ってくれた。
中でも最も心を占めているのは、今度大学生になるという息子さんの事だというのが、多くを語らずとも見て取れた。
ところが、ご家族について話す際、時々ふっと彼の表情が曇る事に気が付いた。
常に眉尻が下がっている恵比須顔が、無表情になる一瞬が目についてしまうと、それが気になって仕方がなくなった。
ある日私はそんな僧侶さんに聞いてみた。
「あなたは怒る事なんて無いでしょう?いつも笑顔が穏やかで、お心も広くていらっしゃいますものね」
すると彼はいつものようにニッコリと微笑み、「怒りません」と即答した。
「私は修業をしていますから」とさらに付け加えた僧侶さんに、私はバカな質問をしたものだと自分自身に苦笑した。
僧侶と牧師の付き合いが2年程過ぎた頃、「先生と奥さん!札幌の雪まつりに一緒に行きましょうよ!僕が迎えに来ますから!」と、彼に誘われた。
嬉しい申し出であったが、生憎仕事が立て込んでおり、どうしても都合が付きそうにない事を伝えると、「じゃ、先生だけでも、いや、奥様だけでも!」と、彼は引き下がらなかった。
そのあまりに熱心な誘い方が妙に心に刺さった。
寂しそうなのだ。
「奥様と行かれては?」
思わずそう言ったけれど、それは私の心からの自然な質問であった。
「いいえ。行きません!」
即答だった。
不思議な空気が漂い、彼がある飲み屋さんに頻繁に出入りしている光景が、実際には見てもいないのに想像がついてしまい、それは私に”夫婦の不仲”を連想させた。
彼は翌日も電話で、「やはり、先生はお忙しくて祭りには行けないか?」と尚も私に聞いた。
その後、彼はパタリと来なくなってしまった。
機嫌を損ねてしまったと思った。
「哀しい事ではあるが、人との関りには良くあることだよ」
夫は彼が来なくなったことを嘆きはしたが、そう言って自分を納得させていた。
それから数か月が経ったある夏の朝、外に居た夫が急ぎ足で店に戻るなり言った。
「今彼がここを通った!いつものあの笑顔で僕に手を振ったんだ!」
僧侶との再会に夫は嬉しそうだった。
「あら、珍しい!何か月ぶり?あの方何故ここを通ったのかしらね?ここは札幌へ帰るにしても通り道じゃないのに、まさか、お別れじゃないでしょうね?」
冗談のつもりだった。
そして、その翌日のニュースに彼の姿が映し出された。
彼は夫に手を振って札幌に戻り、その手で妻子を殺めた。
警察の拘束衣のようなものを着せられ、連行される彼の姿に私たちは茫然となり、夫はその場で泣いた。
なぜ彼の苦しみに気づいてやれなかったのかと自分の責め、祈りを捧げていた。
今も思い出すと苦しく、涙がこぼれる。
牧師と僧侶の異文化交流だ!常に屈託のない笑顔の彼は、時折哀しい表情を見せていた。
そしておそらくは飲み屋さんでも同じように二つの顔を見せていたであろう。
この事件の後で、私は夫が時折言っていた言葉の意味を知った。
「It was Demonic」
「A Demon caused it」
魔が差した・・・こう言う以外に表現のしようのない事が世の中にはあるのかもしれない。
彼を知る人は全員口を揃えて同じ事を言った。
「あの人ほど良く出来た人はいなかったのに」と。
笑顔の彼と、寂しそうな彼、悪魔が見せていたのはどちらの顔だったのだろうか?
「苦しい、助けてくれ」
そう言ってくれたら、誰か手を差し伸べることが出来たかもしれないのに。

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