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今日の風さ、マジで強くなかった?

11月24日。晴れ。日付が変わってから寝たのに、風が異様にいきり立って窓に攻め込んできたから、5時に目が覚めてしまった。ひとりで生活していると、この窓の揺れが不安を誘ってしかたない。周りがうるさくても寝られることが多かったが今朝は目は重かったが頭が動いたからYouTubeを見ていた。

 結局二度寝をしていたらしい。起きたのが1限の始まりで驚いたが、すぐに1限が休講だったことを思い出した。まああってもなくても1限の講義は気軽である。ただ2限のゼミが重い。1限の時間は丸々2限の授業準備にあてた。まあ余裕のある日はちょっと早めに行こうという志だけはあって、諸々の準備をしていても、気づけば遅刻するかしないかの瀬戸際にいつも立たされていて、今日もその日だった。なんなら遅刻した。人一倍ゼミに貢献したし許されていることだろう。
 7段ほどの錆びた階段、ところどころ固定具が外れており雨の日は一段一段に水が溜まる階段が学部棟のむかいにあり、そこにキンモクセイが咲いていたのだけど、ここ最近はすっかりしおれてしまいあの優しい包まれる匂いが恋しい。あまり昔を恋しく思っていると今の環境を見逃してしまう。今日は木々の、特にまだ弱い節でつながれた枯葉のある木々の、北風に揺られる音が心地よかった。ただ、この力強い風は自転車を倒そうとする。駐輪場に並べられた他人の安い自転車がドミノで倒れる音が聞こえる。私のものは大丈夫だろうかと心配になる。止めているのが横になるならまだしも、走行中にパルス的に吹かれると私にはどうする手立てもなく左右に揺らされるのである。

 バイトがあった。今日も平穏におわった。もちろんおもしろかったり、いらついたり、眠かったり退屈だったりしたが、おおむねいつも通りといったところで帰宅した。風は未だ立っていたが、窓を揺らすほどではなかった。母からの連絡があった。たった今祖父が亡くなったらしい。今朝の強風のざわめきが、ただのざわめきに思えなかった。西高東低の気圧配置が生み出した物理現象に思えなかった。こじつけだ、あるいは非合理的だと非難されようと風の中に祖父が居たように思われた。いやさすがに考えすぎだろうか。

 あまりに平穏な毎日を当然に暮らしていると、尋常でないことはすぐに素直に受け入れることが容易ではない。一夜にして地獄と化したガザの周辺を私たちは主に文字を通して知るわけであるが、そこには現実としての戦争があるのではなく、どこかピントのずれた、曖昧な、リアリティに欠けた、実感の伴わない世界が存在しているように感じられて仕方なかった。祖父の死も、まだ文字上における死である。私の中の祖父はまだ生きていた。たとえ認知症で私を覚えられていなかった祖父だとしても。

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