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朔夜 すべては私の掌に 第一部 常立

あらすじ
二千年ほど前に産み落とした子は、神がお創りになった地の上で、短い命をけなげに紡いで生き、栄えた。千年前に、子たちの営みの行く末を案じ、次のものを生む決意をした。けれど、子の所業に不満を募らせていた神は憂い、私に刺客を放った。子たちが私を護り勇敢に戦ったけれど、討ち果たされ、私の試みは絶たれた。今、再び新たなものを生む決意をした。千年の間に、先の子たちは地を造り変え、幾たびか殺し合う。そのありさまに神は激怒。まして、私の再度の試みはけして許せぬ。ふたたび神の刺客が放たれた。私は再度、子たちとともに戦う。私も、神の住まう天空の高天原で生まれし神の子。


#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門

プロローグ  私

 私。目覚めた時に『さくやさま』と、呼ばれた。そう呼んだ老女の唇は、動いていなかった。自らを侍女としか呼ばなかった彼女は、それから七日間私について語り、息絶えた。
 

第一部   常立(とこたち)一~二十一

  一、
 感情を保たぬと思考が薄れる。それも、ひとつがせいぜい。怒り。強く。そのために、選ぶ。我が宿主たるものを。感じる。恐れと蔑(さげす)み。恐れ惑う方でなく、蔑み嘲(あざけ)る者へ。
 華奢な羽を拡げ、枯れ枝のような六本足を離し、低い唸りをあげてゆっくりと回りつづける鋼の棒から宙へ。無数の瞳に映り流れる下界の認知は困難。頼りは触覚。そこへ放たれてくる邪悪な気のみ。そして、思考が消え入りかけた時、宿主と定めた醜い肉体に辛うじてたどり着く。
 
 高天原の意志? それを担うのが、そこに住まう我が使命。余の名は常立(とこたち)。
 しかし、なんとも鬱陶しい。本当に、これがイザナギの末裔の頭か? まぁ、ここに降りる為に憑依した虫には比べようもないが。
 あれから千年。うっ、怒りがこみ上げる。こいつの、ちっぽけな頭が破裂しそうだ。地に這うものに優位と、選んで憑依した鳥はあっけなく射落とされた。小娘の防人ども。此度こそ生かしてはおかぬ。いや、標的は小娘。防人風情(ふぜい)ではない。

 それにしても、世が変わった。視界が、直線で出来た箱のような巨大な建物で満たされている。そして、この喧噪はなんだ? あまりにも多くの音と声に思考が乱される。それから、太陽はとうに沈んでいる刻に、月明かりより強い光に満ちてやたらに眩しい。おっと、取り付いた宿主の記憶を我がものに………。
 なるほど。以前に降りた時は、藤原氏の一族が政(まつりごと)を担う世であった。すでに、貴族も武士もいないのか。あの頃の天子は、確か三条殿であった。ほう、天子はつづいておる。いったい何代になるのだろう。
 だが、変わらぬのはこの無様(ぶざま)な四肢をもつどん欲なものたちの生き様。古(いにしえ)に、われらがつくりし麗しき地上は見る影もない。やはり許せぬ。そしてこやつの生業(なりわい)は? ふんふん、やくざとな。この魑魅魍魎(ちみもうりよう)の世界で、さらに酷い生き方をしてきた悪党か。

「頭(かしら)! 」右にいた若い男が声をかけてきて、余の顔をのぞき込む。突然、両手にずしりと重さを感じた。傷つき血まみれで、怯えた顔の男を掴んでいた。こぶしが痛い。直前に、殴っていたらしい。
「消えろ! 」と、そいつを突き離した。慌てふためき、足を引きずり逃げ去る後ろ姿を見送る。明かりの溢れる人通りの方へ。
「誠司さん、いいんですか? あいつら、仕返しに来ますぜ」今度は左に立つ坊主頭の年かさの男が、小さな白い布を差し出しながら言った。拳から滴る血を明かりにかざす。赤い。この身体が物の怪(もののけ)では無いことを確認。さて、
「いい、やることが出来た」と、狭い路地を後にする。余、いや、小川誠司という悪党に五、六人の小悪党がぞろぞろ付いてきた。虫の命は短い。ぐずぐずしてはおられぬ。

 二
 朔夜様が目覚めた時、私は侍従となった。そして、防人たちを朔夜様のもとへ導く使命を担った。
 
「今夜も出会えませんでした」話しかけた助手席の御方は、小柄な少女にしか見えない。サイドウィンドウへ顔を向けたまま、返事はない。いや、言葉を御かけするときは充分に選び、返事など求めてはいけないと、母に言われていた。ガラスに一瞬写った面影の見開かれた赤い目が、かすかに瞬きをしたように見えた。
 美しい。切れ長の目、形の良い小さな鼻、品良く引き締まった口元。初めてお会いした時、あまりの神々しさに驚き、その存在が我々を遙かに越えることを理解した。心が洗われ、全ての雑念が消え去る。この御方の為に、自分があると確信する。
 首都高速中央環状線右回りから、中央高速道に繋がる四号線へ左折。今夜は中央環状線を、十七周した。防人の一人が、夜な夜な首都高へ出没しているという情報を得ていた。発信源がたどれない、母の知人という男からの電話。母の死を告げると、声が曇った。短い悔やみの言葉。われわれの味方であることを疑う余地は無い。
 派手なタイヤの軋み音が、狭いトンネルの中に叫び声のように反響した。進入速度が高かったのと、右側のタイヤに大きな加重がかかっていることをうっかり忘れていた。朔夜様の体重は、私の三倍を超える。
「………すみません」という声が、狭い漆黒の車内に吸い込まれる。やはり、返事はない。何事もなかったように、助手席の御方は微動だにしない。
 瞬時に視界が開け、薄明を背景にしたビル群の中を縫う狭い二車線に走り出る。夜明けの朝日は背後。前方に眩しさは無い。一晩中走り疲れた目には、有り難い。背後から聞こえる水平対向六気筒エンジンの乾いた響きも、心なしか優しい。
 連続した高速カーブも新宿の高層ビル群で終わり、ほぼ直線に。一気にアクセルを踏み込む。アナログスピードメーターの針は、あっと言う間に二百の数字を越える。
「中央フリーウェイ……」思わず小声で口ずさむ。
「………何の歌? 」目を閉じていたので、休まれたと思ってた朔夜様の声。
「起こしましたか、すみません。………昔、流行った歌です」と、お答えする。
「私に昔はない………つづきを」そう、朔夜様には昔がない。
「はい。………右に見える競馬場、左はビール工場 」ふと見ると、その通りの風景の中を、母の愛車だった真っ赤なポルシェで走っていた。

 三
 ポルシェを三台撃沈するのが条件だった。ドライバーが殺意を持てば、一瞬で消し飛ぶバイクで。究極は、車両の能力を越えた心理戦。どれだけ向こう見ずが出来るか? 
 冷めていた。目的は明確。生まれた時から、いや、生まれる前から決まっていた『使命』のために。だから、この準備をしくじることは出来ない。
 すでに二台、やつらの言葉を借りれば撃沈していた。首都高速を使ったバトルと呼ばれる一過性のレースで。このレース、速さの勝ち負けでは済まなく、相手が事故(じこ)るまで続ける。ロールバーの入った四輪はいいが、ライダーが剥き出しのバイクには死闘。これをヘッドの条件にした、最強の暴走チーム『Falcon』を、配下にする。
 たった七人のチーム。全員が駆るのは、ノーマルでも時速三百キロの巡航が可能な隼(はやぶさ)という名のバイクをさらにチューンアップしたモンスターマシン。全身をバトルスーツで包み、battling Falconのロゴをチョッキと黒のシンプソンヘルメットに入れる。メットを取ると、七人七色に染め分けたモヒカン頭に髭を蓄えて、レイバンのサングラスで目を隠すというこれ見よがしの外見。現れてから数ヶ月で、関東全域の暴走族がひれ伏す強者たち。
 ふと、二つの記憶が蘇る。中学生の陸上全国大会の百メートル走決勝。負けを演じた。そして、インターハイボクシングウェルター級決勝。やはり負けを演じた。どちらも相手が止まって見え、身体能力では自分が数倍上回っていたのに………。『使命のために』目立ってはいけない。すでに亡い祖父の言葉。両親は知らない。唯一人の家族だった、師であった祖父は、二十歳になった半年前に、それまで聞けなかった『使命』について語り、息耐えた。
 来た。真っ赤なボディのサイドに金色でCarreraのデカール。控えめなテールウィングの、73カレラ。マニア好きの骨董品。壊すには惜しい。自分たちが駆る、隼の敵じゃない。
 風のように走り去る。鍛えた動体視力で乗員を補足。ハンドルを握るのは痩せた初老の男。助手席に小柄な女。ふん、絵に描いたような不倫カップル? 怪我をさせない程度に、さっさと終わらせよう。
 後輪をスピンさせながら急発進。人気(ひとけ)の無い夜明けの高速上に、タイヤの雄叫びが広がる。後ろに現ヘッドが付く。自分のバトルを見届けるために。アクセルグリップを全開。同時にタンクに伏せる。時速百キロまで2秒。暴力的な加速で自分を振り落とそうとするバイクのパーツと化す。この瞬間は呼吸が出来ない。そういえば、百メートル走でも無呼吸で走り抜けたっけ。
 点に見えたポルシェのテールがあっという間に目前に。そんな視界の端に現ヘッドのバイクがぬっと進入。やつの隼にはターボも付いている。人の操れるマシンとは思えない。ヘッドが左手を挙げてゴーサイン。百五十キロは出しているポルシェを、ひとつシフトダウンして抜き去ろうとした。自分だけが加速し、止まったようにしか見えないポルシェをゆっくりと眺めていく。助手席の小柄な女が顔を向けた。目が合った。赤い虹彩に金の瞳から放たれた視線が自分を射貫く! 瞬間、記憶が飛んだ。

 四
 夜更け。白木の香りが漂う簡素な一室で、寝台に横たわる傷ついた初老の男を見守る。蝋燭の炎が凍り付いたように微動だにしない静寂の中、穏やかな呼吸音が規則正しく時を刻む。生きている。目覚めを待っていた。なぜか予期した刹那、弱々しく瞼が開く。続いて、嗄(しわが)れた声が聞こえた。
「………生きていたか」と、呟くポルシェのドライバー。
「三日間、眠ったままだった」
「朔夜様は? 」
「無事だ」
「お前は防人か? 」
「明だ」
「火明命(ほのあかり)か」
「何代目かは知らないが、そうらしい。祖父から聞いた」
「良かった、私の使命は果たせた………」瞳が再び閉じ、男の生気が消えかけた。冗談じゃない!
「おっと、侍従さん待ってくれ。朔夜様は何も話してくれない。もう少し説明してくれ」
「………祖父から聞いているだろう」返事はしっかりしていた。ほっとする。
「自分たちは朔夜様から生まれ、朔夜様を守るために生きるとしか聞いていないんだ」
「そうか。防人は、それだけ知っていればいい」
「おい、勘弁してくれよ。千年とか二千年前の、人生がすっきりした時代ならまだしも、この情報だらけの現代で、自分は二十年も生きて来た」
「ふん、防人のくせに、口数の多いやつだな。本来なら、私はお前を朔夜様に合わせた時に使命が終わり、消えていた存在だ」
「自分が助けた」
「そうか、お前に生かされたか。ならば、私の知ることを話してやろう」

 明かり取りの天窓が色づき初めていた。それを待っていたように、蝋燭が燃え尽きる。夜明けが近い。初老の男は一晩話し続け、口を閉じた。直後に背後に気配。この、周囲を圧倒するけれど心静まる不思議な気は………。
「明」
「はい」返事とともに向き直って跪(ひざまず)き、頭を垂れる。誰に言われるまでもなく、自分の中にそんな礼儀が書き込まれている。
「五瀬(いつせ)は」
「この方は、五瀬殿と言う名でしたか」
「………」
「………眠りました。気が付かれてから、長い間話しをしていただいたので、少し疲れたのでしょう」
「無事か」
「怪我のほとんどは、浅いものでした」
「良かった」
「何か、ご用事でしょうか」
「ついて来なさい」顔を上げると、足音もなく部屋から去る小さな後ろ姿が視界に入った。

 五
 朔夜様の後について、夜明けに屋敷を出た。

 三日前、朝靄の中央高速河口湖線を降り、スバルラインの入り口でバイクを止めた。そこで、怪我をした五瀬を背に縛り付けて運んでくれた、元ヘッドに別れを告げた。 その後、意識のない五瀬は自分が背負い、自分のバイクに乗せてきた朔夜様の先導で樹海に入った。道らしきものは無い、鬱蒼とした暗い森を朔夜様はさっさと歩き、彼女について行く限り、自分も躓(つまず)くことが無かった。まるで、草木も地面も、彼女に道を捧げているようだった。
 しばらく行くと、突然視界が開けた。芝生の庭に囲まれた古風な屋敷が建っていた。彼女の後について中に入る。外見は古く見えたが、中は建てたばかりのような美しい白木で、塵一つ落ちていなかった。朔夜様の指示で、五瀬をひとつの大きな部屋の寝台に横たえた。気づくと朔夜様はさらに奥の部屋に消えていた。
 
 三日ぶりに樹海を歩く。やはり、森は彼女に道を開けていた。

 あの日、記憶が飛んだ直後に、ポルシェの前に出ていた。多分、ポルシェの方から自分の後ろに付けたのだろう。『走れ』と、何処からか声が聞こえた。戸惑っていると目前に右カーブが迫っていた。オーバースピードで飛び込む。バイクが倒れない。ハングオン。ステップが路面を擦り火花を上げる。視線をミラーへ。真っ赤な車体が埋める。前方にさらに左高速カーブ。腰を素早くずらしてラインを決める。ドンと視界が開け、海の上。レインボーブリッジ。背後で凄まじいタイヤの悲鳴。バイクは思った通りのラインをトレースしているので、一瞬振り返る。ポルシェの左側がカーブを切りながらフッと浮き上がる。そんな馬鹿な。これくらいの高速コーナーならレール上を流すくらい安定している生粋のスポーツカーなのに。視線を戻す。瞬間、背後で衝突音。続けて四輪全てが奏でるスピンの悲鳴。スロットルを戻して急ブレーキ。一気にスピードダウン。もう一度衝突音。ブリッジの端で停止。振り向くと、ブリッジ中央の図太いワイヤーに、左前から衝突して止まったポルシェ。バイクから飛び降り走り寄る。歪んだ右ドアがポンと開き、少女が降り立つ。瞬間、背後から朝日の洗礼。跪き頭(ひざまず こうべ)を垂れる。身体が自然にそういう動作をした。少女が一言。
「防人か」全身が感動で震え、涙が溢れる。
「はい、明です」

 唐突に森から道路に出た。スバルラインの途中らしい。朝露に濡れた舗装路が光る。一瞬振り向いた朔夜様がゆっくりと走り出した。後を追う。緩やかでも上り坂。両側の森から野鳥の歌声が聞こえる。すぐに息が切れ始める。朔夜様が徐々に離れて行く。そんな馬鹿な。渾身の力を振り絞り後を追う。それでもどんどん離れて行く。これでは防人の使命が果たせない。間もなく朔夜様がカーブの先に消えた。気力だけで足を動かす。まず右足、そして左の腿(もも)がバンと音を立てて肉離れ。倒れ込む。しかたなく、激痛を堪えて這う。ようやく見失ったカーブにたどり着く。その先に、朔夜様が立っていた。
「立てないか? 」
「はい」
「五瀬は車で付いてきた。次はバイクを使え」
「はい」そうとしか答えられなかった。気づくと、恥ずかしさで俯いていた自分の前に、朔夜様が背を向けてしゃがみ込んでいた。
「負ぶされ」
「はい」なぜか朔夜様の指示には躊躇(ちゆうちよ)など出来ない。小さな背。彼女の華奢な首に腕を回す。あっけなく体が浮く。
「落ちぬよう足も回せ」そう言った次の瞬間、朔夜様は走り始めていた。七十キロを越える自分など、背負っていないように軽やかに。必死にしがみつく。時々つま先が地面に付いてしまう。
 五瀬が言っていた。朔夜様は私たちとは違う。ベイブリッジでバイクの後ろに乗せた時、異様な重さに驚いた。どんな巨体の男より体重がある。隼という、大排気量のメガバイクでさえ、発進や加速時に前輪が跳ね上がるのを押さえるのが必死だった。ポルシェのハンドリングが狂った訳だ。左右のタイヤにかかる極端な加重差で、五瀬が乗っていた左側が浮いたのだ。たぶん二百キロは越えているだろう。その分、華奢に見える全身の筋肉や心肺機能は高密度、高強度のよう。自分とて身体能力はオリンピック選手を凌駕(りようが)している。しかし、朔夜様とは比較にならない。そんな自分で、果たして防人が勤まるのだろうか。
「中央フリーウェイ………」自分を背負って上り坂を走り、朔夜様が鼻歌を歌っている。急に視界が広がった。富士五合目。並ぶレストハウスに未だ人影は無い。下界は果てしなく広がる雲海に覆われていた。美しい。この世とは思えない。ポンとベンチに降ろされた。朔夜様も隣に座る。息も切れず汗も見えない。
「高天原を思い出す」そうつぶやいた朔夜様の視線は、見えない地平線に。美しさに見とれ、幸福感に包まれる。

 六
 『昨日のニュースです。奥多摩の山林で二十代の女性の他殺と思われる遺体が発見されました。所持品から、被害者の名はスズキサクヤさん。これで、関東周辺での同じ名の女性の連続殺人はとうとう七件目となります………』
 黒く薄い板が鏡のように世の中を写して喋る。イザナギの末裔たちのものづくりには、ほとほと関心させられる。
「馬鹿野郎。また死体が見つかるヘマをしやがった。足がつく。やったやつを始末しろ」
「………」事務所にニュースの件を報告に来た、派手な模様の衣を羽織った男が土下座をして震えている。
「何だ。文句があるなら言ってみろ」男は膝に置いた手を握りしめるだけ。
「誠司さんよ………。組の頭(かしら)に命じられた仕事を精一杯やった若いもんを、そんなに簡単に切っちゃ、下がついてこなくなりますぜ」いつも自分の左に佇む、坊主頭の年嵩(としかさ)の男が言った。こいつはどうやら余の参謀。
「頭………サクヤって言う女を殺すことが、組にとってなんになるか、せめて、理由を教えて下さい」右に立つ若い男が憮然として言った。こっちは余の護衛。
「ふん、おまえらがやることに、いちいち理由が必要なのか? 」
「………」二人とも、視線をずらして黙り込む。
 だいたい町人風情の小娘が一人や二人死んだからって、いちいち大騒ぎしやがる。人はやたらに多くなって、未だに標的一人捜しだせぬ。あぁ面倒な世になった。
「もういい、サクヤという名の若い女を見つけて殺すのはやめだ」派手なシャツの男の手がゆるみ汗まみれの顔を恐る恐る上げて余の顔色を伺う。
 あの小娘は何処かにいる。それも、此度は特別な目覚め。その身を守るために、すぐに防人たちと接触するはず。あやつらの存在や言動は、この世では目立つ。何処かで必ず奇異な出来事が起きているはず。
「よし、代わりに、おかしな事件を探して来い」事務所が一瞬静まり、男たちが顔を見合わせる。
『次のニュースです。一昨日の未明、首都高速レインボーリッジの中央部分の欄干に激突して大破した車が、なぜか乗り捨てられたという出来事です。いまだに車の所有者がわからず、死傷者の痕跡もいっさい見つかっていません………』喋る黒い板が、歪んだ赤い車の映像で満たされた。瞬間、全身が痺れた。
「おい、こんなのだ。とりあえず、この件にかかわったやつを捜してこい」
「は、はい」一緒に映像を見ていた男が跳ねられたように起き、ぺこりと頭を下げて逃げるように事務所を出て行こうとした。
「おい、ヘマをしたやつの始末も忘れんな! 」扉の前でビクンと立ち止まった男が半身で、
「………わかりやした」と返事をし、すぐに消えた。
 それにしても、余の周りは雑魚ばかり。とてもじゃ無いが、小娘の防人には遠く及ばぬ。だが、あれから千年。武器だけはなかなか面白い。修練が必要な弓や刃では歯が立たなくとも、この世の騒々しい武器を持たせれば。兎も角、戦闘員の数と武器の質で、必ず仕留めてくれる。
 それにしても、高天原の意志は気が短い。さっさと標的への道筋を余に示してくれるとは。

 七
 金属ガードの光るブーツが、仰け反った鼻の上数センチをかすめた。そのスピードと正確さは認めるが、回し蹴りはいただけない。見栄えばかりの派手な動作は大きく、標的までのタイムロスで、相手に避ける時間を与えてしまう。まぁ、こいつの蹴りを避けられる人間は限られるが………。
 蹴りを交わした動きを止めず、低い位置から左へ回り込む。右足で回し蹴りをした瞬間、その位置はこいつの背。こっちも小さく回転し、腕に体重を預けて体を浮かせ、両足で足払い。かかった。おっ、足を払われた瞬間、空中で大きく背を反らし、瞬時にバク転にもっていった。手を突いてから足を降ろすやつの動きを見極め、上昇し始めたヘルメット頭に右足をヒット。ベルトがちぎれたヘルメットと共に、やつの体も飛ぶ。
 ようやく見つけた弟は、無敵の公道ドラックレーサーだった。やっかいなことに、自らが防人という自覚が無い。きっと、この百年の月日に、使命の伝言が何処かで途切れたのだろう。侍従の五瀬が生きていて良かった。こいつに語って聞かせる気の長さは、自分には無い。兎も角、なぜか敵意だけのこいつを、一時的にでも大人しくさせなければ。

 タイマンで蹴られたのは初めてだった。いや、回し蹴りをかわされたのも。今までどんな相手の動きもスローモーションに見えた。パンチも蹴りも余裕でヒットさせ、負けたことは無い。
 こいつは何だ。人間か? そうか、俺と同じものか。だとすると、立ち上がった瞬間に、いや立ち上がる動きの間に攻撃される。倒れ込んだままで、近づくのを待つ。こない。
 ようやく俺が何者かわかる時が来たのだろう。この時を待っていた。そう、俺を倒す者が現れるのを。俺という存在の理由を。
 神戸で生まれ、二歳で震災孤児となった。家族も親戚も死に絶え、夜織(より)という聞き慣れぬ名だけ残された。施設で育ち、ものごころ付いた頃からずっと苛立っていた。俺にはやることがあるはずだ。けれどわからない。誰も教えてくれない。さぁ、来い。

 派手な転倒だった。だが、全身にバトルスーツを着込んだこいつにダメージなど無いだろう。メットを飛ばすほどの蹴りで、頸椎を痛めたか? そいうえば、手加減しなかった。手加減など出来る間が無かった。普通の体の人間なら、確実に殺していた。
 五瀬の情報で、夜織という名の若者の存在を知る。ネットでバイクの違法ドラッグレースを募り、無敵の存在として名を馳せていた。自分はずっと、目立つことを禁じられていたのに。さっきの蹴りに、感情が入ってしまったのだろうか? 
 ドラッグレースに参戦し、元ヘッドから譲り受けたターボ付きの隼で、こいつの駆るVmaxを破った。そのまま走り去ろうとしたら、付いてきた。首都高を流している間に、五瀬の駆る黒いポルシェ911ターボSが合流。湾岸線の大黒SAまで誘う。二百キロを遙かに超える超高速連続走行。Vmaxは、ポルシェや隼の敵じゃない。そこまでの行動を、こいつは挑発ととったらしい。人気の無い、大型車用駐車エリアの一角に止めた途端、向かって来た。
 
 来た。ちぇ、背後。近づく足音で間合いを計り、一撃で仕留める。………数センチ手前で、なぜか止まる。ダメだ待てない。飛び起きて相手を捕捉。ん? 隼のライダーじゃない。
「夜織か」と、初老の男に名を呼ばれた。瞬間、限界まで高めていた全身の緊張が弛緩。そして、会うべき者に会えた喜びで、世界がホワイトアウトした。

 八
 監視カメラをハッキングした27インチディスプレーに、そのドラマが展開されていた。
 首都高湾岸線大黒パーキングから、隼、Vmax、黒いポルシェ、そして何処からともなく現れたもう一台の隼が、少し間をあけて走り去る。
「そろそろ連絡をとれ」無言だった父が、背後で口を開いた。返事が詰まる。僅かな間をおいて、父は部屋を後にした。
『朔夜様が目覚めると、お前は防人となる。そして父は消え、侍従が残る』十五歳の誕生日に、そう言い渡されていた。
 数ヶ月前に、朔夜様の目覚めを知った。お互いの、新たな立場の確認は、今になった。なぜかまったく違和感が無い。私の存在理由なのだろう。
 視野を覆う三連ディスプレーから、車いすに収まった下半身に視線を移す。
 何度と無く蘇る、腰椎が砕ける音。花園。全国高校ラグビー大会準決勝。ボールを抱え走っていた。一瞬開けたトライへのコース。自分なら出来る。しかし、目立ってはいけない。倒してほしいディフェンダーは遠く。体ばかり大きい下手な選手が視野に。しかたなく、タックルさせる。百キロを越えるそいつの体が背の一点に。
 半身不随の防人? 千年前ならあり得ない。今は二千十二年。自分の得物を電子とした。十八歳の遅咲きのハッカー。睡眠をとった覚えのない数ヶ月で、なんとか上り詰めた。部分的な電脳化もした。脳に直接差し込んだ電極により、私の乗る電動車いすは動く。だが、こんな私を、朔夜様は防人として認めてくれるのだろうか? 

 夜更けの中央高速道路談合坂SAにて会いたいと、もう一人の弟、彦火(ひこほ)と名のるものから、五瀬に連絡が入った。指定された日時に、三人で待つ。
「自分たちの存在が知られた理由は? 」
「わかりません」と、五瀬。
「ふん、彦火を語った敵の可能性の方が高い」と夜織。バトルスーツに包まれた全身に闘気が見える。
 指定時刻。黒いワゴン車が闇の中からライトを消して静かに近づく。五瀬が背後のポルシェのフロントトランクを開け、準備した武器をすぐに手に出来るようにした。
 ドアが開く。予期しないモーター音とともに、電動リフトが車いすに乗るものをゆっくり降ろした。俺とともに身構えていた夜織と、一瞬アイコンタクト。『待て』の意志が通じない。
 間合い十五メートル。勢いよく走り寄った夜織が地面を蹴った。金属が張られたハンマーブーツが、一直線に車いすのものの顔面に。ヒット、と思った瞬間に、予期せぬ軽い衝突音。夜織の体が蹴りの最終動作のまま、空中で止まった。両手で足をキャッチされていた。猛烈な衝撃を、その腕の筋肉と、車いすごと体を後退させることで凌いだらしい。直後に足を解放され、夜織は静かに着地。同時にその背から、闘気が消える。
 夜織と車いすのものが並んで近づく。車いすから生えたような、上半身の筋肉の盛り上がりに目を奪われる。丁寧な礼。顔を上げぬまま、
「彦火です」なぜか聞き覚えのある声。疑う余地は無い。そういえば、夜織と会った時も同じだった。
「明だ。なぜ自分たちを知っている」彦火は顔を上げ、
「ネットの世界は私のものです。そこで知りました。すみません、予期せぬ事故でこの体に。しかし防人の使命を果たしたく、電子を得物としました」
「そうか。すると、敵のことも知っているか? 」
「はい。すでに常立は、降りています」
「彦火。詳しい話は朔夜様とともに。来なさい」背後の五瀬が、声をかけてきた。ポルシェのトランクが閉まる音と共に。

 九
 前を走る元愛車のテールランプにはチームだけが知る点滅機能を付けていた。だから、ヘルメットに埋め込んだ同時通話コムの受信範囲を越えても、視認できる距離なら見失わない。明の弟たちを得た。ことは着実に進む。バイクの小さなサイドミラーに、一瞬、鶴見つばさ橋が写る。三ヶ月前、その上で終えた一仕事が甦る。あれも、使命を果たす為のひとつのステップだった。

 メット内のコムスピーカーは、チーム六人の息遣いと六機のエンジン音から成る無骨な合唱を奏でていた。橋の懸かり口に、一列に並んだバイクのライトが、邪悪な生き物の目のように蠢(うごめ)く。そいつらに、とどめをさす時がきた。
「菊千代、七郎次! 両翼」
「着いたぞ!」と、菊千代。
「五郎兵衛、平八、久蔵! 二人に続け! 勝四郎! 後詰め!」
「了解! もう着いてるぞ勘兵衛」と、勝四郎。
「鵺(ぬえ)の残党、視認約30台、橋の手前で止まった。ほとんどのライダーが鉄パイプや金属バット、鎖などで武装! 」
「勘兵衛、俺たちは? 」と、七郎次。
「得物は使うな、クズでも人だ! 」
「やれやれ、クズなりに必死だ、私たちも命がけだな」と五郎兵衛。
「すまぬ、五郎兵衛。これで最後だ」
「そう、所詮ガキだ、殺すな久蔵! 」と平八の声。
「了解です隊長! いや、平八さん…自分もガキですが」と久蔵の声。
「突撃する! 」同時に全車アクセルグリップをひねり後輪がスピンして白煙をあげる。
「ゴー! 」私の一声で、全車急発進。橋の最も高所となる中央から逆走して逆落とし。こちらの動きを認めたバイク集団も、バラバラと向かって来た。緩やかな登りでもたつき、片手に武器。そんな状態ではバイクを思うように操れない。怯んだり逃げ腰の相手しかしてこなかった愚かな思い上がり。

首都高速辰巳第一パーキングに集結していた、関東一と悪名高い暴走族「鵺(ぬえ)」約50台を挑発して首都高上に誘い出した。そして、レインボーブリッジ経由で首都高内の高速コースを走り続け、排気量の小さいバイクたちを振り切り湾岸線へ。さらに超高速走行でバイク集団を崩し、ベイブリッジ手前でターン、逆走して鶴見つばさ橋の頂上となる中央に。

 あと数秒で交差する直前、
「アップ! 」の支持。アクセルを一気にひねり、前輪を高く上げたウィリーの体勢で鵺の集団に突進。激突。突き抜ける。前輪を降ろし急停車。ジャックナイフでターン。
 橋の上に十台あまりのバイクと人が転がる。こちらは無傷。あのスピードで大型バイクに腹を向けられては、巨大な金属の固まりが突進してくる恐怖にかられるだけ。的のライダーも見えない。果敢な奴がバットや棒でバイクの腹を殴っても、それらを吹き飛ばされるだけ。それにしても、一回の交差で十台は多い。菊千代や七郎次がもたつく奴らを複数台蹴り倒したか。
「無事か? 」
「オーケー! 」と、六人の声を瞬時に聞き分ける。そんなコムからの音の背後に、遠く高速機動隊のサイレン音。相当な数。こんな無法状態を何時までも放っておくほど、東京は治安が悪くない。
「残党の殲滅! ゴー! 」私の両側に並んだ六台が急発進。直前の激突で混乱し、体勢も作れずに背を向けた相手に襲いかかる。素手と素足。といっても、分厚い金属ガード付いたブーツやグローブで、バイクからたたき落としていく。ほとんど渡り合える相手はいない。恐怖にかられて逃げ出すものも。事態は、あっという間に収束に向かう。
「勘兵衛、あと十秒で機動隊が着く」と菊千代。その声が聞こえた時、一台の黒いバイクに乗った黒スーツ姿が視界に。間合い三十メートル。ゆっくりと懐から何か出し、私に向ける。ピストル。
「勘兵衛! 」急発進した一台が私と黒スーツの間に。七郎次だった。その、大きな体の向こうで、急発進するバイク。
「いつの間にか混じっていたが、あいつは鵺のメンバーじゃない」と、背後の菊千代。視界の端に赤い回転燈が入ってきた。
「撤収! 」転がったバイクや鵺のメンバーの間をぬってその場を去る。機動隊の四輪は追ってこれない。瞬時にベイブリッジ。観衆の熱狂こそ無いが、私たちチームにとって簡素な凱旋門をくぐる。
 これで関東、いや全国規模で暴走族という名の業界トップに。しかし、目的のための小さなワンステップ。

 十
 レインボーブリッジに乗り捨てられた赤いポルシェの持ち主を追って、たどり着いた場所は富士山だった。組に入る前にヘッドをしていた族のメンバーに調べさせた。そして、その族を潰したチームと奴がかかわっていることを知る。因縁なんていう言葉の意味を、初めて知った。

 たった二十年、長い人生だった。俺をこの世に送り出した親に、まず殺されかけた。辛うじて救われ、保護施設に。そこでの生活でも、日々殴られ蹴られ。誰かに接する時、言葉より先に手足が出る。そんな育ち方では仕方ない。学校、行けばすぐケンカか暴力ざた。
 教護院そして少年院に出たり入ったり。
 バイクは、なぜかすぐに乗りこなせた。怖いという感情より、加速やスピードの虜。無免許、無保険、無車検の三無主義。数え切れないほど事故を起こした。なのに大した怪我もしない。不死身のクロトと祭り上げられた。俺の名は、卑墨玄人(ひずみくろと)。このクールな名だけ、クソ親に感謝。
 いつの間にか、俺の族は都内の武闘系の頂点に。バトる族も見あたらなくなった時、無敵のドラッカーの噂を聞く。
 世間のやつらは、バイクに乗るクソガキと一緒くたにするが、俺ら族とは違う世界のバイク乗り。暇つぶしに奴の開く闇レースに殴り込み。
 手当たり次第にボコって蹴散らし、気づくと奴だけ残っていた。回りには返り討ちされた俺のメンバーたち。まだ立ってる連中の手にはナイフ。殺意を持った時の俺らの究極の武器。なのに奴は、手ぶらで笑っていた。
 目が合う。勝てない。いつも死線の上で生き残ってきた俺の直感。即、撤収。
 そして悟る。いつまでもガキ相手なんかしてられない。こんな場所で終われない。別の世界で、もっと上へ。
 地域で一番強いというやくざの組に入れてくれと志願。そこでも、素手のタイマンで無敵だった。頭(かしら)の警護が役目となる。極道、順風満帆。
 そんな頃、抜けた族から加勢してくれと連絡が入る。なんでもたった七人のモヒカン野郎チームに、関東全域の族が総なめされかけてると。その最終決戦とやらに、興味本位で加わり、危うく返り討ちに遭うところだった。強すぎる。まるで戦闘部隊。悟る。このチームは族じゃない。何かの目的があるのだろう。気にはなるが、俺の知った事じゃないと関わり合わずに。

 さて、奴とあのチームが俺の敵になるようだ。生き残るためには、やめたほうがいい。しかし………。
 ある日の夜を境に、頭(かしら)とその参謀役の高頭さんの様子が変わった。まるで別人に。
 破竹の勢いで広げていたシマの奪取をぱたりと止め、女を殺せだの、おかしな事件を調べてこいだの。ヘマをした下っ端は皆殺し。人生で、初めて悩む。
 そして、頭(かしら)の髪の中に虫を見た。取ってあげようと手を伸ばす。そこまでの記憶は辿れるが、後はなぜか記憶が飛んで覚えていない。
 その後も時折覗く虫が、不思議と気にならなくなった。それに、悩んだ覚えはあるが、どうでも良くなった。『サクヤとそのサキモリを始末する』という目的に向けて、命をかける。何回死んでいても不思議じゃ無かった俺。いまさら『生き残る』のかと、笑えるようになっている。

 十一
 高天原から降りくる。それを待つこと我が使命。
 降り立った今、その目的に身を捧ぐ。我も高天原に生まれしもの。その意志で、古(いにしえ)に放たれた。

 二度目の降臨を、千年待った。唐突に、啓示を受けた。
 都下の街。宵の雑踏。夥(おびただ)しいものの洪水。遙か古に、尽きるはずだった運命を繋いだものたち。この直中(ただなか)へ。 
 不意に、微かな冷光(ルミネセンス)。瞬間、音が消え、時の経過が緩慢に。冷光が収束し碧い光点に。小さい。ゆっくりと蠢く群衆の上を舞う。追う。それを見極める。
 虫。常立様は、小さな甲虫となって現れた。そのままでは無力。千年前の角杙(つぐぬい)様は、人を宿主にして取り憑き、操った。
 宙で止まる。全方位に放たれる気。見極めた。飛行の軌跡が直線に。行く手の暗がりに、邪悪な気が満ちる集団。虫は迷い無く、中心の男へ。仕方なく、その取りまきのひとりに入る。

 千年前。常立様は、鷹の姿で現れた。地に這うものに優位と。我も同じものに。
藤原摂関家の世で、都は平城京。天子はいたが、政(まつりごと)は道長殿が担われていた。
 次のものを生むために、東の地に目覚めた標的は、その侍従たちの策で、道長殿の別荘の奥に隠されることに。敵の防人たちは、天子の子孫と自称する桓武平氏一族を味方に付け、警護をさせた。
 その時の強者。貴族の世を守る武士たち。鎧で身を包み、弓や刀を得物とし、馬を駆る。しかし、宙には届かない。
 隠れ家となる別荘は、宇治川のほとり。広大な地をしめる屋敷。川の流れを引き込んだ池に、その一部をせり出す寝殿造り。宙からは、翼を広げる鳳凰の姿。
 常立様は、屋敷の屋根に飾られた黄金の鳳凰のひとつに同化し。敵の到着を待った。現れれば、宙から一撃で仕留める手はず。我も兵を集め、もう一つの鳳凰に同化して待つ。
 皐月の夏至。雨の降りしきる日。来る。水量を増し、凄まじい濁流となった宇治川の向こうに。先頭に、馬上の防人ひとり。標的は輿。そこにも防人。後方にもうひとりの防人。周囲を平氏の武者が厚く固める。
 襲撃場所は、橋の上。その幅ゆえ、守りの厚みが減る。前後の防人も離れる。
 飛び立ち、標的を中心にした群衆の上を旋回しながら間合いを計る。鷹の爪や嘴では、一撃で致命傷は与えられない。策として、夾竹桃の枝葉を爪や嘴に擦りつけた。その毒で、一命は取り留めようとも、堕胎をさせる。
 我に囮の指示。輿から標的を出さねば、狙いが定まらない。常立様を宙に留め置き。森に待たせた烏たちを呼び、橋にかかって伸びた武士たちを襲わせる。
 宙からの、不意の攻撃の異様さに、隊列の速度が緩む。警護の隙を狙い、標的の輿を見定める。雨粒より早く急降下。輿を一蹴りし、急上昇。響めき。橋の中央で隊列が止まる。今一度急降下。そして武者の上を旋回。濡れた翼が重い。
 防人や武者が弓を構え、刀を抜く。宙を遮る烏たちを射落とし、近づくものは切り始める。烏たちも捨て身の攻撃に。阿鼻叫喚。橋が、濁流の川面も、黒と赤に染まり出す。翼をたたみ、速度を上げる。我に向けて放たれた無数の矢は、空を切る。
 輿近くの防人が動く。視界の端に、輿から身を乗り出した標的。間を置かず一直線に飛び込む影。常立様の鷹。爪がとどく。
 ガッと、鈍い音。爪は、体を翳(かざ)した防人の鎧に。失敗。
 抜きざまに斬りつけた刃を交わし、飛び上がる常立様。宙で合流。急上昇しながら退散を促す。聞き入れない。さらに上昇。反転。見下ろす。標的が乗る輿は、赤く染まった橋で点に。烏たちは、すでに射落とされ、切られ、濁流にのまれていく。
 無言の意志。
『このまま急降下し、輿の屋根を破り標的に突き立つ』と、一瞬の視線。すぐに降下。止めようも無い。しかたなく、少し離れて見届ける。
 輿の回りに三人の防人。降下する常立様の真下。弓を天に向け、続けざまに矢を放つ。一の矢、二の矢かわす。三の矢、突き立つ。速度が一気に落ち、軌跡がぶれる。四の矢、五の矢………当たり続ける。足が、そして首が、ちぎれ飛ぶ。矢玉と化した肉片が輿の傍らに落ちる瞬間、常立様は去った。我も、濡れそぼり疲れ果てた鷹の体を解き放つ。力なく逃げ惑う鷹。間を置かず射落とされる。無理もない。

 常立様は、その時の怒りに満ちたまま。標的より、自らを攻撃した防人たちに。一抹の不安がよぎるが、ついて行く。
 この世の夜の雑踏。眩しく臭く五月蠅(うるさ)く、地獄のよう。

 十二
 鳥や虫の鳴き声に包まれた薄暗い樹海を抜け、夜明けのスバルラインを駆け上がる朔夜様をバイクで先導する。彦火が電動車いすで朔夜様の後につく。マラソンランナーが平地を走るようなハイペースに驚く。加速重視のVmaxだとサードギヤ。兄の明でさえついて行けなかった訳だ。そして、遅れをとらない彦火。アメリカ製電動車いすの高性能にも驚く。初めて防人らしい役目。朔夜様の側にいられるだけで嬉しい。ミラーに小さく映る弟、彦火の表情も明るい。

 昨夜、朔夜様を前にして、彦火の話を聞いた。
 敵の襲来は迫る。最初に来るのは常立。形を持たないものという。この世に降りるため、何かに憑依している。そして、人を宿主にして操る。
 サクヤという名の女が、無差別に殺された。突き止められた犯人も、別の何者かに殺された。殺された犯人たちはやくざもの。そこから先は辿れない。
 しかし先週から、その連続殺人がぴたりと止んだ。理由は、敵が俺たち存在を知ったからだ。朔夜様を仕留めるために、ここへ現れる日は近い。

 早朝のスバルラインは人気が無い。時折、野鳥や鹿などの獣が行き交う。直線で、見通せる場所はいいが、カーブでは先へ視線を集中する。今、この場を襲われても不思議はない。改めて身が引きしまる。僅かな武器と、この身が盾。
 先のカーブに、バイクに乗るライダー。手を挙げる。異常なしのサイン。五合目までの七カ所に、明の配下に入った暴走族チームのメンバーが立つ。気配は殺しているが、黒ずくめのバトルスーツに、battling Falconのロゴが入った皮ベスト。そして、七人七色に染め上げたモヒカン頭にレイバンのグラスで髭面。これでもかというごつく派手な出で立ち。そんな外見で無くとも、選りすぐりの強者たちと、覇気でわかる。関東一円の暴走族を、たった数ヶ月で震え上がらせ、実際に殲滅した有名人たち。

 五瀬に聞いた。朔夜様は二千年前に俺らを生み、千年前に次の子を生み出すはずが、阻まれた。地の上の、我々の繁栄を妬む、高天原のものたちに。千年前の戦いで俺らの祖の防人は全滅し、朔夜様も命を落としかけ、堕胎してしまった。
 その時、朔夜様は館の奥に長い間隠されていた。逃げ場を失い。逃げる体も持っていなかった。同じ轍は踏まない。このトレーニングは、そんな意味がある。
 朔夜様はその後百年の眠りにつき、五十年だけ目覚めるというサイクルを繰り返し、不死を保ち続けてきた。五瀬の家系が、そんな朔夜様を見守り続けてきた
 そして千年後。今一度、次の子を生むために、朔夜様は目覚めた。やはり、高天原から阻むものたちが降り来る。千年前に果たせなかった防人の使命、八つ裂きにされようとも果たす。

 五合目レストハウスが見えてきた。明が立つ。防人のリーダーとして、兄として、頼もしい男。だが………。
 昨夜、彦火が話し終えた後、目を閉じて佇んでいた朔夜様が口を開いた。
「千年前に子を産み落としていれば、私はここにいない。此度、子を無事に産み落とせば、私は使命を終えて死を迎え、あなたたちの世も終わる。そのことはこころえよ」そう話し終えた朔夜様は、悲しそうだった。俺の横に座っていた明の顔色も変わり、膝の上に置いた指に力が入っていた。明の心は、はっきりと逡巡していた。確かに使命は、俺らの終わりも伴うようだ。そんな結末を、俺は忘れることにした。
 
 不意に、明の視線が俺たちを飛び越した。チームのバイク「隼」とは違うエンジン音が、微かに聞こえ始めた。しだいに大きくなる音とともに、殺気が近づいてくる。敵! 肌がひりつき、メットを飛ばすほど髪が逆立った。
 

 十三
「夜織、朔夜様を」声と同時に、明は夜織と朔夜様を飛び越えて、私の前に降りた。急ブレーキ。両輪逆回転でスピンターン。明を背後に身構える。
 近づくのは二台の黒いバイク。図太いエンジン音。車種が特定できない。その背後にチームの隼が二台。追って来たのだろう。それにしても、何処にに隠れていた。スバルラインを登って来たらチームに気づかれる。ここまで接近できるはずがない。
 ようやく捕捉。四連プロジェクターライトと、カウル中央に大きなラムエアダクト。ZX14R。カワサキ重工が、打倒「隼」のもとに開発したフラッグシップモデル。ノーマルのスペックは隼を越え、現在世界最強のメガバイク。
 来る。スモークシールドのフルフェイス。ライダーの特定が出来ない。背後に隼が追いつく。車椅子のポケットからワイヤーを出す。背後の明とアイコンタクト。バイクの走路を遮るように張る。
 直後に黒いバイクたちが急ブレーキ。即席のトラップに気づかれた。ABSの効いたZX14Rはフロントを深くダイブしながらも、姿勢を崩さずに制動に入る。背後に迫っていた隼たちは、無理な急制動でバイクが横を向く。四台のメガバイクが、タイヤの悲鳴と白煙の競演。
 明がワイヤーを離し、左側のバイクに向かう。自分も右のバイクに。視界の端、バイクの急制動で精一杯のライダーの胸に、明の跳び蹴りがヒット。胸? 殺すつもりは無いと知る。
 遅れを取った自分の前には、制動が終わったライダーが身構える。素早く動いた右手に、オートマチックのピストル。明確な殺意。ライダーの背後に、制動を終えた隼チームの二人が駆け寄る。もう一人のライダーをバイクと共に倒した明も、事態に気づいて私たちに顔を向ける。しかし、自分に向けられるピストルの発射には、どちらも追いつかない。この近距離では、外れない。
 倒すために近寄った。脳への電極で車椅子を走らせ、あいた左手に小型クロスボウを持っていた。引き金を引くことに躊躇するライダー。右肩を狙う。軽い衝撃。肩を矢が貫通。ライダーの手からピストルが落ちる。直後に隼チームの二人が飛びかかる。
 初めて人を打った。威力に驚く。五瀬がそれを持たせてくれたことに、感謝する。
 
 朔夜様の指示で、二人の刺客を逃がした。矢を受けた男は五瀬が手当もしてやった。
 詰問はした。五合目の一角にある、廃業したレストハウスの中で。やくざと繋がりのある暴走族「鵺」の元メンバーだった。やくざの幹部になったという元ベッドから請け負ったという。
 こちらが隼チームを配下にしていることを知って、ZX14Rも用意し、ピストルも渡された。朔夜様の居場所の確認と、機会があれば殺せとの指示を受けていた。スバルラインに出没するという情報を得ていて、昨夜から大沢駐車場のレストハウスに隠れ我々を待っていた。

「やはり始末するべきだったのでは………」明が言った。
「俺も………すぐに次がくる」と夜織も言う。
「刺客が来たということば、我々の場所はもう特定されている。奴らが戻らなければ、より確信を深めるだけ。結果は変わらない」と、五瀬が口を開く。
「では、どうする」と、私。
「次は、常立が加勢を加えて襲来するだろう。迎え撃つ準備をする」と、五瀬。
「わかった。いいな」我々を見る、明の瞳が光った。

 十四
 メットを外すと、見覚えのある顔だった。チームで最後に潰した暴走族「鵺」のメンバー。思わず右手が腰へ回り空を切る。以前はそこにあった装備は無い。
「稲氷(いなひ)、そいつ詰問する」と、背後から明の声。振り返ると、もう一人のライダーを背負っていた。すでにメットを外されたライダーに、意識は無い。その男も鵺だった。
「勘兵衛(かんべえ)と呼んで下さい」ライダーたちの両手を結束バンドで拘束し、立たせながら言った。
「そうだったな」と、明。自分を含むチームの七人は、あえて本名を避け、映画『七人の侍』の名で呼び合うことにしていた。

 一年前だった。
「稲氷小次郎警部補、特殊な任務を引き受けてもらう」警視総監直々の命令だった。白バイ隊小隊長だった私に、暴走族を組織し、ヘッドになれという。そして、明という若者と接触して、その若者の目的をバックアップする。メンバーの人選も任され、バイクも自由に選んだ。
 隼チームを作った。メンバーは、他の白バイ隊の小隊長。選りすぐりの猛者たち六人。間を置かず、首都圏の暴走族を潰し頂点に立つ。
 ほどなく明と接触。そして、レインボーブリッジで明と朔夜様の出会いを見届ける。胸が打たれ、感動で全身が痺れ跪いた。頭が真っ白になり、それまでの疑問や迷いが消える不思議な体験をした。
 傷ついた五瀬を富士山の麓まで送り届け、その足で、警視総監の元へ行き報告した。
「任務の本番はこれからだ。すまんが死闘になる」と、背を向けた総監。
「なぜ、私なのですか? 私の前歴をご存じで」どうしても聞いておきたかった。
「君のことは知っている。生まれる前から決まっていたことなのだ。君の人選も見事に間違っていない」それだけの言葉で、不思議と納得してしまう。
「わかりました、任務を遂行します」直立し、敬礼する私の前に向き直った総監が、
「それから………私の息子も加わる。少しハンデのあるやつだが、足を引っ張ることはない。しかし、任務に支障になると判断した時は切り捨てろ。君だけに伝えておく」ふたつ確認された。意味が良く分からなかったが、返事を返した。
 夜織が加わり、彦火が来た。総監の言葉のひとつを理解した。
 
 突然、黒いバイクが二台駆け抜けた。
 不意を突かれた。急発進。全身の毛が逆立つ。奥庭駐車場。私の持ち場から五合目まで一キロ。直前に走り去った朔夜様たちに、黒いバイクが追いついてしまう。背後に隼のエンジン音。その雄叫びはレッドゾーン。ひとつ下の持ち場で監視していた菊池代。アクセル全開。フロントアップしたまま、私の隼もレッドゾーン。任務を死守せねばと焦る。
 あまりの加速で狭まった視界の先に、五合目レストハウス。先頭の夜織と朔夜様を飛び越す明。その直前で彦火が乗る車椅子がスピンターン。二人が黒いバイクの行く手に立ちはだかる。
 追いつく。このバックスタイルはZX14R。手強い。バイクの行く手に立つ二人が瞬時に道を開ける。きらりと光る線。トラップ。このまま突っ込めば、ライダーだけ弾き飛ばされる。急制動。隼が横を向く。ちっ、こいつらのバイクは姿勢が崩れない。視界右のZX14Rに向かって飛ぶ明。一瞬遅れて左のバイクに近づく彦火。くそ! 制動が遅れて手が出せない。右のライダーが、明に蹴り飛ばされ宙を舞う。止まる。隼を投げ出して左のライダーに。視界の端に菊池代。ライダーの手が伸びピストルが光る。銃口は彦火へ。この近距離では外れない。間に合わない。地面を蹴る。
 発射音が無い。あと少しで手が届く。ライダーの肩から尖った何かが飛び出す。同時にピストルが落ちる。彦火の手にクロスボウ。手が届く。左から菊池代の手も。彦火は足を引っ張らなかった。

 いつもなら、私たちは樹海の入り口までだった。今日は、明が続けと指示。七人で後につく。つかの間、樹海を無言で歩く。突然視界が開け、青空と芝生に挟まれた館が建っていた。外観とは違う、新築したばかりのような檜の香る室内の広間に通される。正面に少女の姿。朔夜様。自然と居住まいを正し、跪いて頭を下げる。
「戦となる。すまぬが、私に命をくれ」朔夜様が直接私たちにくれた、最初の言葉だった。
「わかりました」全員で顔を上げ、思わず敬礼していた。我々が警察官だったことを思い出す。

 十五
 菊池代だけ、俺に視線を合わせなかった。

 臨戦態勢。屋敷周辺の警備を怠らず、日々武器や格闘の鍛錬に励む。
 明と俺に彦火、そして隼チームの七人。チームのメンバーは全員長身と見事な筋肉をつけた体格。あまりに整然とした動きで、訓練された精鋭の小隊としか思えなかった。七色に染めたモヒカン刈りに髭面。そんな、いかにも取って付けた風体だけの自称暴走族。
 七人は、通称で呼び合っていた。元ヘッドの稲氷は勘兵衛、そして菊千代、勝四郎、五郎兵衛、七郎次、平八、久蔵。それは、映画「七人の侍」の登場人物たち。
 七人とも、バイクを駆る腕前は俺や明をはるかに超え、格闘技も身につけ、なぜか銃の扱いまで知っていた。さらに菊千代は刀、五郎兵衛は弓の達人で、他のメンバーに五瀬が指南する手助けもした。ほどなく十人の腕前は伯仲。動きの速さと体の強度で、防人として生まれた俺らに僅かな分がある程度。七人とも普通じゃ無い。
 ある時、一対一の組み手で菊池代があえて負けた気がした。最初から動きが不振だったので、わざと投げさせようとした。結果は逆に。怒りがこみ上げる。胸ぐらを掴み上げ、初めて正面から睨み付けた。目を閉じている。間が開く。観念したように菊池代の瞼が開く。記憶が蘇る。

 ネットで募った闇ドラッグレースに、手入れが入った。交通機動隊の覆面パトカーと白バイ隊。逃げる。
 もたつく奴はつかまる。しかたがない。白バイ隊三台が、執拗に追ってきた。VFR800P。無敵の運動性能を纏(まと)うバイク。俺のVmaxでは、瞬発力以外敵わない。
会場を選定する際に、逃げ道も考えてある。その中でも、短い直線の多いルートを。強化したVブースト全開。加速時に引き離した距離をキープ。徐々に追っ手を遠ざける。
 しかし、一台だけあまり離れない。焦る。無理なターンと同時にアクセルグリップ全開。バイクの方向がぶれる。視界の端に対向車。ちっ、こんな時間と場所に。人気の無い場所を選んだカップルの車が、ライトに照らされて迫る。間合いを計る。このままアクセル全開でも、一瞬擦れる程度で避けられる。だが、対向車のドライバーに、そんな対処は出来ないだろう。俺を避けようとして、急ハンドルをきりガードレールに激突して大破。そんな惨事が頭に浮かぶ。
 力の限りの急制動。無理な姿勢の急加速中に。承知の自殺行為。一瞬路面に突き刺さったバイクがふっと浮き、宙を飛ぶ。俺も飛ぶ。視界の端に、急ブレーキで姿勢を崩しながらも止まる車。相手の惨事は回避。良かった………。

「生きてるか? 」と、声をかけられた。飛んでいた記憶の続きが流れ出す。バイクとほぼ同時にアスファルトに叩きつけられ、反動で転げる。頸椎を壊さない姿勢をとろうとするだけが限界だった。止まる。瞬時に、ニトロを添加したガソリンの漏れたVmaxが爆発。二年間手なずけた愛馬。すまない。
「あぁ………」と答える。見下ろすのは、直前まで追ってきた白バイ隊のライダー。異様な巨漢。体を点検しながら座り込む。激痛。左の二の腕が折れている。肋骨も何本か。幸い、足は動く。バトルスーツに感謝。
「さっさと行け」予期せぬ言葉。背を向けた白バイ隊員。停車し、身を乗りだす車の男にも、行けの指示。一瞬振り返る。ゆっくりとサングラスを外す。視線が合う。
「またな」
 あの目がここに。なぜ? いや、問うまい。あの時も、ライダーとして理解し合った。命を掛け合う同士として、不足無い。

 十六
 夜織とは、闇レースを仕切る無敵のドラッカーと、白バイ隊隊長としての出会いだった。

 違法レースの一斉摘発。その逃走を追跡。夜織が駆るのはVmax。排気量と瞬発力ばかりのバイクと侮った。だが計算し尽くされたた逃走ルートは、俺の愛馬VFR800Pを徐々に引き離す。記憶に無いほどの、渾身の戦闘モードで追う。身体が熱くなり快感が全身を走る。しかし、それも束の間。夜織は、不意に現れた車を救うという、予期せぬ事態で自爆。重傷。その、迷い無い潔い行為で通じ合うも、彼が祖父の言葉の「防人」とは気づかなかった。
 
 祖父に厳しく育てられた。両親は俺が幼いとき死んだと言われた。ともかく目立ってはいけないと、口うるさく育てられた。けれど、いつの間にか身長が二メートルになってしまった。
 ずっと頭(あたま)をやらされた。ガキ大将、班長、部長、番長、そして隊長。本当はガラじゃ無いが、外見相応な? 神武(じんむ)猛(たけし)という勇ましい名。仕方が無かった。
 祖父に勧められ、剣道をしていた。無敵だった。どんな強い相手の竹刀も、本気を出すとスローな動きに見えてしまった。大学時代に国体予選に勝ってしまい、久し振りに祖父に怒られた。数時間、『神武(じんむ)』を氏(うじ)にいただく子孫として生まれた俺には大切な使命があると聞かされた。誰かを「防人(さきもり)」とともにお守りする。その時まで、人に名を知られてはいけない。意味が解らなかった。そんな祖父は、彼が望む警察官採用試験に合格した日、息を引き取った。
 
 そういえば、渾身の戦闘モード。身体が熱くなり、全身を快感が走る記憶が過去に一度だけあった。全国白バイ競技会で夜鴉(やたがらす)翔(しよう)さんとスラローム競技を競った時。上司の勧めで一度だけの出場だった。忘れていた祖父の顔が一瞬よぎったが、最初で最後と手を合わせた。いつの間にか手足のようになっていた機械馬も、走らせてくれと懇願した。
 決勝レース以外は、いつもどおり世界がスローになって見えていた。僅差だったが、夜鴉さんの連勝を止めることに。声をかけてくれた。二才年上だったが、分け隔てのない友人にしてくれた。俺よりずっと熱い男だった。だから、稲氷隊長に初めて呼ばれた時、俺が夜鴉さんをチームに推薦した。

「次、七郎次! 」夜織が、最後に夜鴉さんを指名した。組み手の立ち会いを続けて七人目。さすがの夜織も息遣いが荒い。組み手の戦闘力は、夜鴉さんがチーム最強。あえて自らを苦境に追い込み、さらに腕を磨こうとする防人。
 一瞬で、夜織の身体が飛ぶ。しかし空中で自力回転、着地姿勢を整える。ところが地面に向かった夜織の足を、瞬時に飛び込んだ夜鴉さんが払う。倒れ込む夜織。だが、地面との衝突の反動すら使って跳ね起きる。容赦なく攻撃を加えようとした夜鴉さんの動きも止まる。対峙。両者の動きが凍り付く。互角。俺の推薦は間違いではなかった。

 十七
 人では無い。対峙する若者は、防人という特別な生を受けたもの。次の組み合いで投げ飛ばされる。弱気ではなく、見えてしまう結果もある。
「これまで! 」はて、自分の瞳に勝機を悟ったか? 夜織は自ら終えてくれた。覚悟したダメージが消え、やはりホッとする。呆然と立ち尽くす自分に、
「お疲れ! 夜鴉さん」と声がかかった。
「七郎次と呼べ!」と返す。七人の中で、菊千代と呼ぶことになった神武(じんむ)とだけ旧知だった。全国白バイ競技会で知り合い、三年連続の総合優勝を阻まれた。それまでの生涯では、初めて負けた人間だった。
 
 祖父と思い込んでいた里親の老人は、厳格だった。
 気づいた時には柔道着を着ている自分だった。人と組み合うことが遊びだと思っていた。中学に入ると同時に、截拳道(せつけんどう)の道場に切り替えられ、学校の柔道部に入ることはゆるされなかった。
 ブルース・リーという、すでに他界した映画俳優でもあった格闘家の創設した格闘技。敵を倒すことに目的が絞られ、相手の急所への攻撃が第一。ゆえに、競技としての広がりはほとんど無い。友も無く、ただ強いだけの男となっていく自分が嫌いだった。
 中学二年の時、通っていた学校の粗暴な不良グループに呼び出された。自分の噂を聞きつけたらしい。木刀を持った三人が、同時に襲ってきた。本気で振り下ろしてくる。自分は素手。腕で受けたら骨を折られる。仕方なく、本気で戦ってしまった。
 自分以外に立っている者がいなくなった時、駆けつけた警察官たちに補導される。ただ、重傷を負った不良たちの、それまでの素行が悪すぎて、正当防衛とみなしてもらい、何も咎められ無かった。
 しかし帰宅直後、怒りを露わにした老人に里親であることを告げられ、住み慣れた地を離れ移り住むことに。その迷いの無い彼の振る舞いにかえって落ち着き、苛立ちも消えて行く不思議な自分がいた。自分という特異な存在に意義を感じ、受け入れようと思えた。
『強さを世の為に』と、自衛官か警察官になるよう告げられる。納得し、従う。
 警察官を選び、白バイ隊員となる。速く走る為の無骨な機械。自分に似ていると、すぐに同化した。日常勤務では、どんなに凶悪な暴走族の相手でも、命をかける戦闘という自覚は無かった。鉄パイプや角材、時にはナイフを手にした複数の族に囲まれても、冷静でいられた。バイクも逮捕のための格闘も、負けたことは無かった
 先輩に勧められ競技会。連戦連勝。そんな自分の前に神武が現れてくれた。負けはしたが、ホッとした。人生で初めて友と思える男に出会えた。

 そしてこの任務も、神武が決めてくれた。自分が警視庁に呼ばれた日も姿を見せ、近くで飲んだ。ビールは進むが、お互い無言だった。自分も神武も、任務を承諾したことすら確認しなかった。言わずもがな、わかり合えていた。自分たちにとって、ようやく使命と呼べる役目に就けたことを。
「夜鴉(やたがらす)さん、家族は? 」と、神武の問い。
「親兄弟はいないさ」というより、幼い頃里子に出され、肉親のことを聞く前に、里親の老人は他界した。そして、これまで自分のことを知ろうとも思わなかった。
「やっぱりね、俺もですよ。祖父が一人で育ててくれたんですが、俺の就職を待っていたように亡くなりました」という話。なぜか境遇が似ている。家族のことは初めて聞くのに、知っていたような気分だった。
「お互い、後ろ髪を引かれるものは何もないという訳だな」と言っていた。
「好きな女くらいいますがね」
「そりゃ、自分だって………」と言いかけたが、明日別れようと決めていた。
「そうですか、良かった。でもね、任務を引き受けたので、ここへ来る前に別れてきました」自然にビールのジョッキを持ち上げていた。神武も従う。泡のない飲みかけのジョッキが、低い音をたてて安っぽい照明に輝いた。

十八
『了解です速飛(はやひ)隊長! いや、平八さん』と久蔵の声が聞こえた気がした。久蔵? 俺にとっては………。

 夕暮れと共に鍛錬を終え、しばらく休息の時を持てる。館の敷地内は警備の必要が無い。結界という場になっていて、人は入れないそうだ。チームは人間だが、朔夜様の僕(しもべ)として、結界が認めているらしい。便利なもんだ。
 久蔵が、勝四郎と呼んでいる若者と楽しそうに絡んでいる。バイクの指南を求めて。年の近い兄という感じ。バイクの扱いでは、白バイ競技会のチャンピオンという経歴をもつ七郎次や菊千代でさえ一目置く勝四郎。なんでも、ロードレーサーあがりらしい。二人だけ二十歳を少し過ぎたばかり。たとえ朔夜様を御守りする崇高な使命でも、命をとるのは惜しい。
  隊長………数ヶ月前に捨てた速飛義家(よしいえ)という名で、二年前まで白バイ隊の隊長だった。その時、新任の部下で最高のバイク乗りだった五瀬。今は久蔵と呼ぶ。俺が辞令で皇宮護衛官に転属となって、次期隊長に推薦した青年。
 皇宮護衛官。俺のような履歴で配置されるとは思わなかった。皇族の車を護衛し先導する事実上の親衛隊員。もうひとつの白バイ隊員の顔。愛車はVFR800PからGL1500ゴールドウィングのサイドカー………なんだかサラブレッドから、図体ばかり立派な牛に乗り換えたよう。まぁ、この国で皇族が襲われる場面は考えにくい。だから見た目の威厳が優先の、現代版儀仗兵(ぎじようへい)。 
 一年近くそんな役目を平和に過ごし、それまで考えても見なかった家族という言葉に想いを馳せた。俺には、育ててくれた年老いた里親の老婆がひとり。家族はいない。そう、そんな氏素性(うじすじよう)のはっきりしない存在。
 里親に『武道をひとつ身につけること、家族はつくらないこと』と、言われ続けた。
 あまり好戦的ではない俺。相手の力を使ってその攻撃を無力化する「合気道」を身につけた。ピタリと合う。ほどなく師範代の腕に。しかし、どれほど上達しても、演武会への参加はゆるされなかった。『人目をひくことはしてはいけない』と老婆。従順な俺。
 多分チームのみんなや、たとえ防人たちでも、無闇に攻撃してくれば撃退できる自信はある。もちろん、そんな素振りは見せず、鍛錬はどうにかこなしている。三十に届いてしまった身体には少々辛い。
 突如課された隼チームの任務。その使命。やっぱりと納得。世の中これだけ人がいるのだから、適材適所。俺という存在の理由がはっきりして良かった。

 しかし、寂しがり屋の俺、家族は欲しかった。
 久蔵………いや、俺にとっては五瀬隊員。奴も里親育ちと初任の履歴で知る。似た境遇。俺を慕ってくれた。隊長と部下だったが、職務の立場以外でも心が通じ合う気がした。家族とはそのようなものか? 今は生死まで共にする戦友に発展した。
 そして、戦友は父親と再開。この任務についてからは久蔵という借りの名しか使わない。だから、息子は気づいても、父親は知らないよう。この事実、俺と稲氷しか知らない。まぁ、侍従五瀬の背負ってきた人生に、息子の入り込む余地は無かったのだろう………。
 屋敷に引き上げる五瀬の後ろ姿。やはり、久蔵の骨格とピタリと合ってしまう。血肉を分けた親子に、どんな未来が待っているのだろう。

 十九
 平八と呼ぶことになった速飛隊長の視線が無ければ、自分が何をしたかわからない。侍従と自称する同姓の五瀬が視界に入る度に、隊長の存在に感謝した。そして、思考をバイクへ振った。

 自分の自信は粉みじん。上には上がいることを思い知る。隼チームの最年少で、戦闘力も最小。おまけにバイクの扱いも一番下手ときている。これでも白バイ隊小隊長だった。井の中の蛙とはよく言ったものだ。せめてバイクの腕前を上げたいと、勝四郎についてまわる。元ロードレーサー。そして同級生だった。人生で初めて得た親友。死を覚悟の任務に就き出会うとは、皮肉なもの。
 自分の父親は事故で死んだと、ずっと一人で育ててくれた母から聞かされていた。 寂しさから、幼い頃は父親を自慢する奴とよくケンカした。勝ったり負けたり。どうも自分は、ごく普通の少年だった。強くなりたい願望はあり、空手教室に熱心に通いようやく黒帯。それでも身体は大きく頑丈だったので、強い男の端くれにはなれた。
 白バイ隊員に憧れ、バイク乗りに。一度、大きな事故を起こして入院。その時、母から父親のことを打ち明けられた。
「織部(おりべ)………父親は『侍従』というとても特殊な存在として生きている」と。侍従という言葉を初めて聞く。もしかすると、自分もその役目を担う日が来るかもしれないと。『至高の存在の付き人』高校生だった自分には意味がわからず、ただ、父親が生きていることだけ頭に残る。そして、『死んだ』と騙されていたことに憤った。
 母に反発し、苛立ちのはけ口を求めて不良グループ、暴走族の一員に。ただ、一過性だった。母は自分の行動に心を痛め、壊れ、ほどなく自殺してしまった。自分が殺してしまったと、死ぬほど後悔。生きているらしい父親への糸口も、母とともに消えた。心は荒んだ。ただ、一人で立ち直る。自分の心のよりどころは、母の残してくれた『役目』という言葉。本当に自分が必要とされるなら、やがて導く者が現れるだろう。ならばその時が来る日を一人で待とうと思い定める。
 あこがれの白バイ隊員となる。しかし孤独な自分の心は荒んでいた。速飛隊長が、そんな自分を気にかけてくれた。それも今となっては運命の出会いだったと自覚。結果として、彼が『導く人』だったのだろう。
 チームヘッドの勘兵衛さんが、このチームが出来た時に外装などのデザインを自分に依頼してくれた。ただ一人の暴走族上がりという過去を知っていて。バイクはその時点で世界最強のスズキ二代目ハヤブサと決まっていた。全てがチタン製という金属パッドの特注のバトルスーツに、強度を上げたハンマーブーツ&グローブ。外見だけで選んだシンプソンのヘルメット。すべて黒で統一。battling Falcon=戦う隼のロゴ入り皮チョッキ。メットを取れば七人七色のモヒカンとレイバンサングラスに無精髭を徹底してもらう。苦笑いしながらも、みんな言うとおりにしてくれた。出で立ちが揃うと、その威圧感は凄まじかった。
 暴走族狩りに明け暮れた日々は想像よりずっと短く、不謹慎だが、鵺(ぬえ)との最終バトルを楽しみ、終えてしまうのを惜しんでいる自分がいた。しかしそこまでは、任務のほんの序章だった。真の敵との死闘はこれから。
 
 許された僅かな時間に、勝四郎の後を追ってスバルラインをハヤブサで駆け上がる。これも鍛錬。高速コーナーを、路面に肘のパッドを擦るほどバイクを傾けてクリアする。快感。淀んだ頭がアドレナリンで満たされる。すべての不安が消し飛ぶ。しかし………
 どんな理由があったにしろ、人として、母と自分を捨てた父を、結果として母を死に追いやった父をゆるしてはいない。戦いの最中に、五瀬が視界に無いことのみ願ってしまう自分がいる。

 二十
 二百キロを越えるメガバイクの車重が、二つの図太いタイヤのサイドを消しゴムのように削っていく。連続高速コーナーに荒れた路面。下りはペースを落とさないと、すり切れたタイヤがバーストする。ピタリと後ろに着けた久蔵は、そんな計算はしていない。スピードに酔っている。所詮市販車。レーサー車のようにワンレースぎりぎりの削ぎ落とされた身軽な設計ではない。少し自覚させないと、戦闘でこいつを扱う時にしっぺ返しをくらう。

 ロードレース。自分は、毛沼隼人(けぬまはやと)という名のレーサーだった。菊千代さんや七郎次さんはバイクを飼い慣らしてねじ伏せるように扱う。それは主従の関係で、彼らはあくまでも駆る人。もちろんバイクは上手に駆られ、その能力以上に忠実に従う。しかし、それではレーサーにはなれない。レーサーはバイクと一体に、レーサー車の部品になる。そして、バイクと会話をしながらワンレースに全てを賭ける。バイクのわがままだって聞いてやる。それが出来ないと勝てないし、時には命を失う。そう、バイクと共に。
 何十億もの人は、それぞれの役目を担うために生まれてきたはずだ。毛沼隼人はロードレーサーだったのではと、今でも思う。この役目、『勝四郎』となっていなければの話だが。
 みんなと違い、自分には両親がそろっていた。ただ、成長すればするほど、自分との体格差や顔つきの違いを感じていた。今、そのことは封印。愛情をもって、きちんと育ててくれたのだ。
 幼い頃、父親の書棚に「マッドマックス」という題の古びたビデオ映画があった。はまる。特に「2」の冒頭。モヒカンの悪役が、主人公に見せつけるカワサキZターボでのウィリー走行。どうしても真似したかった。両親の反対を押し切り、高校生からバイク乗りに。日中は進学校の優等生。夜は首都高で公道レーサー。結局進学せず、バイクレーサーの道に。親を泣かす。デビューしてしばらくは無敵の強さ。有頂天になっていたあるレースで、ずっと競ってきたライバル選手が事故死。親友だった。そいつも、公道レーサーの時からバイクの部品と化していた。事故の時、何が起きたのか? わからない。
 そいつを忘れることが出来ず、事故の原因がどうしてもわからず、レーサーを断念する。でも気が付くと、白バイ隊員に。その仕事に関しては両親とも理解してくれた。
 この特殊任務。初任の時の隊長という顔見知りで、尊敬していた稲氷隊長の言葉が終わった時、自分という存在の本当の役目を理解した。友の死は、ここに至る運命だった。その時には理解できなかった訳だ。
 任務に就く直前、両親と離れ一人暮らしを始めた。何かを察したのか、荷物をまとめていた自分に『大事な話がある』と声をかけてきた。応じずに、そっと家を後にした。その時以来、連絡はとっていない。
 以前の勤務地は首都だった。隊員から隊長、それも暴走族取締専門で、黒塗りのVFR800Pを駆る『黒豹隊』。そんな日々で、暴走族や公道レーサーの顔見知りに。勝四郎のデザインしたbattling Falconの姿になっても、自分の走りはもとのまま。潰していく相手達には逮捕や補導歴のある連中も多く、ばれないかとひやひやした。
 そして鵺との最終戦。以前ヘッドをしていた卑墨は二度自分が逮捕した。いい走りをしていた。二度目に追跡した時、死んだ親友の走りを思い出し、逮捕後に思わず声をかけてしまったほどに。卑墨のいない鵺は烏合の集団で、あっけなく殲滅。ただ、逃げていくZX14Rの尾灯が一瞬視界に。やはりいたなと納得。

「勝四郎、どうしてそんなにたらす! 」ヘルメットのインカムに久蔵の怒鳴り声。
「バカ野郎! これ以上出すと屋敷までタイヤがもたないくらい解れ! 」

 二十一
 
 三十五才で暴走族をやれって! ムリがある。けれど、
「高倉五郎さん、自分も三十二です」と、稲氷。髭面はまだしも、モヒカン刈りときたもんだ。おまけに、そいつを緑に染めろだと! 
「五郎兵衛さん、お願いします………」と、若いのが頭を下げる。五郎兵衛………おっと私か。この呼び名は稲氷隊長の支持だった。けれど、いつまでたっても身につかない。隊長という役職名もだめで、『高倉でいい』と隊員たちに指示したっけ。『隊長』といえば、集まったメンバーは、みんな所轄ではなく交通機動隊直属で精鋭ぞろいの小隊長あがり。凄まじい人選だ。
 
 チーム最年長。ヘッドの稲氷………いや勘兵衛より年上。そして唯一人の家族持ち。こんな仕事? の適任者ではない。だが、警視庁に呼ばれ、警視総監に会った時、告げられた任務に違和感を覚えなかった。『もしもの場合、君の妻子は私が責任を持つ』と総監。戦に向かう武士や、戦争に赴く兵隊ってこんな立場なのだろう。ただ、私が背負う大義名分は、それら古の男たちより上。説明されないが、みんな理解している。
 和弓の名手だった祖父に手ほどきを受けた。両親の記憶は無い。幼い頃に事故死したと祖父。十五の誕生日、祖父から『弓の技を、やがて担う崇高な使命に役立てよ』と言われた。詳しい説明はしてくれなかったが、その言葉を心に残した。
 だが、三十を過ぎても『使命』らしき役目を担う機会は訪れなかった。ごく普通に付き合っていた女性と結婚もしていた。祖父は数年前に他界していて、相談する相手もいなかった。娘も生まれ育つ。なぜか、娘でホッとした。
 妻と娘には、特殊な海外研修勤務に就くことになったと偽り、家を後にする。娘の養育や、仕事を持った妻の援助は警視庁の職員が対応してくれることに。
 後ろ髪を惹かれながらも、やはり使命感が勝る。私はそのために生まれてきたらしい。ふっと家族の面影が浮かぶ時は、菊千代に剣の指南を請う。剣道ではない。敵を切り伏せる為の一撃必殺の刀の扱い。刃はきちんと研がれた重い真剣を使う。刀が空を切る一瞬、すべての邪念が消え失せ心に平穏が訪れる。矢を放つ瞬間に似ている。
 
菊千代は七郎次と仲が良かった。年が近く背が高いところから、ツインタワーと呼んでいた。『俺たちは、旅客機が突っ込んでも崩れないぜ! 』と、そう呼ばれることを楽しんでいた。彼らも若いが、さらに若い勝四郎や久蔵を兄弟のように可愛がり、格闘術や射撃の面倒を見てやっていた。勝四郎たちもそれなりの猛者だが、上には上がいることを素直に受け入れ、認め、従っていた。そんな姿を眺め、助言者となる私や平八。全てを掌握しまとめる勘兵衛。
 チーム結成当時は、勘兵衛以下バラバラな六人だった。れぞれが威嚇し合い、暴走族つぶしを競い合ったりもした。しかし朔夜様を前にして、全ての雑念が吹き飛んだ。時折外出する朔夜様を防人たちとともに警護し、個々の戦闘能力を高め合う僅かな日々で、心が通い合うチームとなった。
「五郎兵衛さん」と背後から声。声の主は平八。いつも通り、まったく気配を感じることが出来ない。合気道の達人と後から聞いた。
「俺のクロスボウの標準がぶれるので、見てくれないか?」差し出された小さな弓を手に取る。和弓に比べ存在感は乏しいが、バイクという機械馬から放てる我らの武器。平八の表情が重い。悟る。
「敵の襲来が近いか? 」
「あぁ………邪悪なものたちが我々に標準を合わせたようだ。凄まじい邪気を感じるようになった」平八は気配を殺し、気を悟る。
「そうか………せめて、あいつらは生き延びさせたいな」ふっと言葉に出て、同意まで求めてしまった。視線の先には勝四郎と久蔵が笑談していた。平八が、大きく頷いた。

 

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