見出し画像

価値のはなしーー佐々木隆治『マルクス 資本論』前半を読んで

今回の課題本は、佐々木隆治『マルクス 資本論』(角川選書)の前半部分でした。
マルクスの『資本論』について、章立てに則りながら要点をかいつまんでいくスタイルの本です。
思いついたことを思いついた順に、箇条書きで並べていきます。

・資本論は、資本主義の仕組みを、根っこの部分から順番に解き明かしていくという筋立てです。初めの部分を要約してみたいと思います。

・資本論は「商品とは何か」という問題から始まります。なぜなら、資本主義社会とは「あらゆる物が商品になった社会」だからです。
前段として、自給自足の社会がありました。商売はありましたが、知ってる者同士で、商品の「使用価値」に基づいた交換があるだけでした。お腹が空いている人がお米を買い、代わりに鍬が壊れた人が新品をもらうようなものです。
ところが時代が移り変わり、人々は社会全体で分業するようになりました。そうすると、生活必需品を自給自足できなくなり、見知らぬ人同士で交換する必要が出てきました。そこでは、商品の使用価値よりも、「交換価値」の方が重要になっていきます。お米は鍬とも酒とも絵巻物とも交換できるから、お腹が空いているかどうかに関わらず、みんなが欲しがるというイメージです。
やがて、あらゆる商品と交換することができる特権的な商品が現れます。それが「貨幣」です。全ての商品の価値が、貨幣の量によって表現されるようになったのが資本主義社会のひとつの特徴です。

・ここからは感想です。個人的に面白かったのは、「価値」という言葉を二つに分けている点です。
たとえば使用価値と交換価値という二項対立が登場しましたが、別のところでは「有用労働」と「抽象的人間的労働」という二項対立に置き換わっています。
有用労働とは、どんな労働をしているかという労働の中身、「質」が問題とされるときの言葉です。一方、抽象的人間的労働とは、労働の中身を問わず、平均的な能力を持つ労働者がどれくらい労働したかという「量」で表される労働です。
商品に話を戻すと、有用労働が生み出すのが使用価値で、抽象的人間的労働が生み出すのが交換価値です。後者はちょっと不思議ですが、つまり使用価値が異なる商品(20キロのお米と1本の鍬)を交換できるのは、それを作るのに費やした労働の量が等しいからだ、ということです。
このように、価値という言葉は(特に交換価値において)、物それ自体が持っているのではない「別の何か」である、という奇妙な側面があります。
ここで思い出すのは、言語学者ソシュールが考えた「言語の恣意性」です。たとえば、イヌという言葉があの動物を指すことに、必然的な理由はありません。ウヌでもイニでもよかったわけです。ではなぜイヌという言葉があの動物を指すことができるかというと、他の言葉との関係(または差異)によって、語と意味の結びつきがたまたま成立しているからです。ネコでもなくオオカミでもないあれを指す言葉を、日本人は慣習的にたまたまイヌと呼んでいる。
言語学の「語と意味の結びつきは恣意的なものである」という話は、そのまま資本論の「商品と価値の結びつきは恣意的なものである」という話にパラフレーズできます。
たとえば600キロの糸を今まで18日かけて作っていたのに、技術革新で3日で作れるようになったら、糸600キロの使用価値は変わらないけれども、交換価値は6分の1になるのです。
同様に、貨幣というのも商品のひとつなので、インフレやデフレ、為替のレートによって価値は変わってしまいます。「価値の基準であるお金の価値が変わるって、どういう理由で許されてるの?」これが小さい頃からずっと不思議でしたが、資本論によってとりあえずの回答を得ることができました。言葉の意味を社会が決めているように、貨幣も商品である以上、社会が価値を決めているのです。逆に、なぜ私のようにそれを不思議がってしまうのかというと、あくまで相対的なものに過ぎない価値を、絶対的なものとして扱ってしまうからだと思います。この意味で、マルクスは資本論を通して、貨幣(を中心とする資本主義社会)を文字通り「相対化」したのだと言えます。

長くなってしまいましたが、これから先を読み進めていくうえで、「価値」についての議論は常に「意味」についての議論として読み替えていくことになりそうです。当てずっぽうですが、柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』は多分そういう話になってるのではと思います。
さらに言えば、これは精神分析的な意味でのシニフィアン(語)とシニフィエ(意味)の関係としても考えられます。ラカン派は人間の無意識がシニフィアンの集まりで出来ていると言いますが、つまりそれは商品が集まる「市場」です。人はいち商品の価格を操作することはできますが、市場のコントロールはできません。同じように、無意識をコントロールすることもまた不可能です。ジジェクの『イデオロギーの崇高な対象』でそういう話があるらしいので、こちらも遠くないうちに読もうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?