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探偵 里崎紘志朗  moonbow①

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私は里崎紘志朗。そう、探偵だ。
 
人捜し専門の。
 
私はいつも誰かを捜している。
 

 真夜中と夜明け前の間の曖昧な時間に、私は家に帰ってきた。酷く疲れており、昨日はもう遠い過去のように感じてた。何故なら一日で終えるつもりだった郡山の出張が、予想以上に長期化し、一週間もかかってしまったからだ。向こうでは七夜連続で、運転席で仮眠を取った。何せ日帰りのつもりだ。着替えなんて一切持ってなかった。下着とワイシャツは、張り込みの途中で見つけたコンビニで何とか買えたのでよかったが、スラックスはそうはいかず、結局ずっと同じものを履き通した。車なのでジャケットは着る事がなかったので、皴になる事もなく、それに対してスラックスの生地はくたびれ果てており、同じ生地と思えない程だった。
風呂に入れないのもダメージが大きかった。下着を替える時に、大量のウェットティシュで身体を拭いて、気分を紛らわせた。車に置いてあった電動シェーバーで髭を剃る事は唯一の快感だった。
 それより更にキツい事があった事を忘れていた。それは「美味いコーヒーが飲めない事」だった。私はコーヒーが好きで、一日に何杯も飲む。それも自分が気に入ったオリジナルブレンドのコーヒーをだ。
 今回、コンビニに立ち寄った時は、必ずコーヒーは買ったが、それは気休めに過ぎず、一刻も早く家に帰り、自分の美味いコーヒーを飲みたいという欲求は募った。
 

出張の依頼内容は「不倫の証拠捜し」だ。普段なら絶対に引き受けない仕事なのだが、昔お世話になった福島県警の緒方刑事からの頼みで、仕方なく引き受けた。対象は中々尻尾を出さず、証拠の写真を撮るために、結局七日も張り込みを続ける羽目になってしまった。
 
定年間際の刑事がやっと巡り合えた随分年の離れた若い妻の不倫。
 
仕事とはいえ、こんなに切ない話はない。証拠写真を撮ると、さっさとメールで刑事に送り、すぐに東京へ向け、車を走らせた。走っている間中、熱いシャワーを浴びた後、自分のコーヒーを飲む事を夢見た。
 

部屋に戻り、すぐに異変に気がついた。
私の住居兼オフィスの部屋全体のエアコンが一切作動しなくなっていた。
 今日は八月第三週だ。残暑は厳しく、東京は今晩も熱帯夜だった。部屋の中はうだるような熱気が籠っていた。どうにかしようと思ったが、何せ真夜中だ。打つ手はない。
 私は、念願のシャワーを浴びた。ボディソープをたっぷり使って、念入りに身体を洗い、熱い湯と冷水を交互に浴びた。
 部屋に出ると、すぐに汗が噴き出してきた。もう一度冷水を浴びようかと思ったが、きりがないので止めた。そしてランニング用のTシャツと短パンを着て、キッチンでコーヒーを淹れ、飲みながらオフィスへ行った。最初の一口はさぞ美味しく感じるだろうと思っていたのだが、部屋の熱気が香りを打ち消してしまったのが残念だった。
オフィスには、脱いだワイシャツや下着が散乱していた。ブリーフケースには向こうで着ていた洗濯物が入っていた。それらを大きなゴミ袋へ入れた。今回コンビニで買ったものは全て捨てる事にした。スラックスはクリーニングに出すので、洗面所のラウンドリーボックスに入れた。デスクの上には、上着に入れていた財布や特殊警棒、スマホが置きっ放しになっていた。
私はスマホを見た。郡山を出てから4時間以上、私はスマホを見ていなかった。メールをチェックすると、緒方刑事からの受領確認のメールが一件入っていた。それは読む気になれずそのまま閉じようと思った。しかし、ショートメールが一件入っているのに気づいた。愛美からだ。愛美から?珍しいな…って言うか、初めてじゃないか?そんな事を考えながら私はショートメールを見た。
 
パパ来て 肘折
 
それだけが書いてあった。
履歴を見ると、メールが来たのは昨夜11時過ぎで、郡山を出発してすぐだった。

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