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【小説(前編)】帰れない 忘れられない帰り道


だからイヤだったんだ、塾なんて!
来たくなかった。どうせ、僕は…
 
「上田、この後、カウンセリングルームに残ってくれるか?」
「斎藤先生、時間、かかりますか?」
「いや、ちょっと、今回までのテストの件で話をするだけだよ。10分ぐらい。」
「…分かりました。」
 
 
「今回の小テストも、君だけ20点だったね。難しいかい?」
「全然、分かんないんです。」
「仕方ないよねえ。なんせ、小6の秋から塾に入ってくるなんて、中々ないもんなあ…上田は、どうするの?」
「どうするって?」
「中学受験だよ。どっか、受けるつもり?」
「受験って、お金かかるんでしょう?」
「そうだね、多少はかかるねえ、受験費を払わないといけないし、合格したら、入学金もかかる。」
「なら、僕、受験しないと思います。ウチ、お金ないから…」
「そうかあ、それは残念だなあ。上田は、理科だけはすごく成績いいからねえ。後の3教科を頑張れば、色々受かりそうなんだけどね。」
「先生、そんな事言われても。ウチ、かあちゃんだけで…かあちゃん、いっぱい働いてるけど、ずっと貧乏だから…」
「そうか、じゃあ、仕方ないねえ。でもね、小テストの結果とこの補講の案内は、帰ったらお母さんに渡してくれるかな?」
「…分かりました。」
 
小テスト…
算数20点、国語18点、社会35点、理科78点。
冬休み特別補講、10日間、3万円。
 
 
僕は塾を出て、夜の駅前を歩き始めた。
 
 

僕は、線路沿いの細い道に停めてある自転車を取りに行った。
線路のフェンスにチェーンを巻きつけて停めてある。ホントはここに自転車を停めてはいけないのだけれども、駐輪場に自転車を停めると100円もかかるんだ。
 
自転車は、かあちゃんが昼間に働いている青果店の配達用のお古だ。
3段の変速機は壊れていて、一番重い段でしか走れない。でも、この自転車のおかげで駅前まで30分で来れる。バスなら10分だけど、バスなんて乗れないから、自転車がないと困ってしまう。
雨が降っても、カッパがあれば平気だし、寒けりゃ軍手をはめれば大丈夫。
この自転車があれば、どこにだって行ける。
 
どこにだって行ける?
 
かあちゃんに、テストの結果を見せたくない。きっと、ひどくがっかりするだろうから。
それに補講の案内も見せたくない。きっと、行けと言うだろうから。
 
3万円もするんだぜ。また、かーちゃんが違う仕事を見つけてくるに決まってる。
 
かあちゃんは、毎晩1時ごろ出かける。コンビニで売ってる弁当を作る工場で深夜勤してる。
朝早くに帰ってきて、僕に朝ご飯を食べさせてくれて、それから青果店で夕方まで働く。
家で待ってる僕に晩ご飯を食べさせて、寝て、また夜中に起きて…
土日は昼間にコンビニで働く。
土曜の夜は、内職の仕事もやってる。
ホントに働き詰めなんだ。
それでもウチは貧乏だ。
死んじまったとうちゃんが仕事で作った借金を返さないといけないから。
 
それなのに、3万円。
もうかあちゃんに無理はさせられない。
イヤだ。
 
どうする?
 
家には帰りたくない。帰ったら、かあちゃんに全部正直に話しちゃうんだもん。
かあちゃんには嘘つきたくないから。
大体、かあちゃんに嘘ついても、直ぐにバレちゃうんだ。
 
どうする?
 
自転車がある!
 
家に帰らないで、どこかに行こう!
そしたら、かあちゃんに話さないで済む。
 
よし!行こう!
 
僕は家の方向とは反対の駅前の照明が明るく瞬く街の中に向かって自転車をこいだ。
 

自転車に乗って、商店街の大きな歩行者用の道をゆっくり走る。
塾の前を通り過ぎてすぐあるコンビニから吉村と鶴井と広田が出てきた。おでんを買ったみたいだ。
3人とも同じ小学校だが、みんないけ好かないやつら。お小遣いをたくさんもらってるみたいで、いつも買い食いしたり、ハンバーガーショップに寄ったりしてる。
僕は奴らに顔を見られないように、反対側を向いて自転車をこいだ。
 
「おう、上田じゃねえか?」吉村が声をかけてきた。バレた。無視するか?いや…
「おう、吉村。」僕は答える事にした。
「お前もおでん食わねえか?寒いし、腹減ってるから美味いぞ。」
「いや、僕はいいや。急いでるから…」
「何だ、付き合い悪いなあ。」鶴井が茶化す。
「急いでるって、お前の家、こっちじゃないだろ?」広田が言った。広田は色々と目ざといのだ。
「うーん…ああ、ちょっと、かあちゃんにお使い頼まれたんだ。」嘘ついた。
「ホントかあ?嘘だろう?どうせ、おでん買う金も持ってないんだろう?」吉村が意地悪く言った。
「いや、僕腹減ってないし、急いでるんで、じゃあ。」僕は自転車を急いでこいで、その場を立ち去ろうとした。
「待てよお。金ないならおごってやるぜ。」僕の背中に吉村が怒鳴ってきた。
「知ってるぜ。ウチの学校一の貧乏人だって事。」鶴井が大声で言った。
「スマホも持たずに塾来んなよお。」広田も怒鳴った。
 
僕は顔が真っ赤になるのが分かった。
商店街の通りにはたくさんの人が行き交っていたからだ。
 
みんなに聞かれた…
 
ショックだった。
 
涙が出た。悔しくて…
 
自転車のスピードを上げて、最初の十字路を左に折れた。
 

角を曲がると、すごく明るいカラフルな色の細い通りだった。
すごく細いのに、人がいっぱいいた。
店から出てくるスーツ姿のサラリーマンや、普通の服を着たおじさんたち。
キレイなドレスを着たおばさんやお姉さんもたくさんいた。
 
ここは自転車で通り抜けられないや。
 
僕は自転車を降りて、引いて歩いた。
 
店の前に立つお姉さんたちのうちの一人、絨毯みたいな生地の赤いドレスのお姉さんが僕に話しかけてきた。
 
「あんた、見かけない子だね。ウチの店の誰かの子供?」
「いや、違います。あっちに行きたいだけです。」
「そう。なら、子供がこんなとこを通っちゃダメよ。」
「はい」
お姉さんは優しく言ってくれた。
僕に話しかけた時、お姉さんからいい匂いがした。
僕はその匂いにドキっとしたんだ。
 
うわあ
 
「あんた、私の事好きになったでしょう?」
 
うへえ
 
「いえ…」
 
「たってるんじゃないの?」
 
お姉さんは、僕の股間をギューッと握った。
 
痛てえ…
 
「ユミちゃん、よしなさいよ。子供をからかっちゃダメよ。」
隣りに立ってた緑のドレスのおばさんが言った。
 
「杏子さん、分かったわ。いい子だから、もうこの通りを夜通らないでね、分かった?」
 
「分かりました。」
僕は自転車を引いて、小走りで逃げた。
 
杏子が言った。「あんた、子供相手に、どうしたの?」
 
ユミが応えた。「いや、実家に預けてるウチの息子に似てたのよ、あの子が。私のこんな姿、見せたくないな、と思って…」
 
「そう。」
 
そんな話は僕には聞こえなかった。
ただ、怖かったんだ。だから、走った。
 

急いで次の角を右に曲がった。大きい通りに戻りたかったんだ。
 
僕の街の駅前は、JRと私鉄の駅があり、大きな商店街がある。
僕の家の方は、私鉄の線路を渡っていく。
今日は線路とは反対方向に進んでいる。
商店街でもこの辺は、僕は一人で来た事がない。
おまけに今は夜だ。塾を8時10分ぐらいに出たから、今はもう8時半ぐらいかな?
 
大きな通りは両サイドに居酒屋さんとかがいっぱいあり、どの店も大人のお客さんでにぎわっていた。
焼き鳥屋さんの前で、焼き鳥の良い匂いがしてる。
 
お腹がグーって鳴いた。
そらそうだよな。お昼に給食を食べてから、何も食べていない。
お腹空いたな…
 
前からスーツにコートを着たお兄さんの4人組が歩いてきた。
僕は4人にぶつからないように、慎重に道の端を自転車を引いて歩いた。
4人のうちの一番僕に近い青いネクタイのお兄さんが、急にせき込み、カーって言って、痰を吐いた。
その痰が僕の大事なスニーカーにかかったんだ。
今年の誕生日に、かーちゃんが買ってくれたナイキのスニーカー。
右の甲にべったりと痰がかかった。
 
僕は我慢できなかった。
 
歩いていく4人のお兄さんを呼び止めた。
「ちょっと、すいません。」
 
4人が気付く素振りもなく、大声で話しながら駅の方へゆっくり歩いていく。4人とも足元がふらついている。
 
「ちょっと、すいません!」
 
僕は、自転車を電柱に立てかけて、青いネクタイの人に向かって言った。
 
「何だ?」青いネクタイの人は振り返った。誰もいない?目線を落とすと僕が見えた。
「どうした?俺に何か用か?」
「あの、お兄さん、さっき痰を吐きましたよね?」
「ああ、それが?」
「お兄さんの痰が僕の靴にかかっちゃったんですけど。」僕は足を上げて、右のスニーカーを、青いネクタイの人に見せた。
「そら、悪かったな、兄ちゃん。これで拭いてくれ。」青いネクタイはコートのポケットを弄ると、クチャクチャになった汚らしいポケットティッシュを出して、僕に渡そうとした。
「そうじゃなくて…」僕は怒りで言葉に詰まった。
「おう、お兄さん、それはちょっとねえんじゃないかい?」後ろから声がした。振り向くと、とうちゃんが着ていたみたいな作業服のおじさんがいた。
「何だ?おっさん?おっさんには関係ねえ!」青いネクタイが怒鳴った仲間の3人も作業服のおじさんを取り囲む。どうしよう…
「そんなにいきがるなよ。話は後ろで全部聞いたぜ。可哀そうじゃねえか、この子が。見てみろ、この靴、新品じゃないのにキレイだ。きっと、大事に履いてるに違いない。それをお前さんの酒混じりの痰で汚したんじゃあ、そらあ、お前さんが悪い。そう思わねえかい?」
「ああ、でも、そんなの、これで拭き取ればそれで終わりじゃねえか?だから、ティッシュを渡そうとしたんだ。」
「そらねえだろう?大体お前さんが道端に痰を吐くからいけねえんだ。それでいやな思いをした人がいる。そうなったら、それなりに詫びを入れないといけない。そうじゃねえか?」
「人?人ってったって、小学生のガキじゃねえか。そんなの、これで十分だよ。」そう言うと、青いネクタイは手に持ってるティッシュを振ってみせた。
「それじゃあ、償いにならねえって言ってるんだ。物分かりの悪いヤツだなあ。」
「おっさん、関係ねえのに首つっこむなよ。」背の高いデブの仲間が作業服のおじさんに詰め寄る。
「だから、いきがるなって言ってるだろうが。何回、言わせるんだい?お前さんたち、市役所の人間だろう?」
「えっ?」
「分かってるんだよ。」作業服のおじさんは背の高いデブの空いてるコートの前に手を突っ込み、スーツの胸ポケットに手を入れた。おじさんは手を出すと、手の中にネームバッジがあった。
「ほらな。お前さん、細川って言うのか?それにしちゃあ、ちょっとばっかり太り気味だな。」
酒の勢いもあっていきり立っていた4人は途端に大人しくなった。
「おっさん、じゃあ、どうすればいいんだよ?」
「やっと、話を聞く気になったかい?そりゃあ良かった。じゃあな、お前さんたち一人5千円、出しな。」
「えっ?」
「4人合わせりゃあ、2万円。これなら、ちょっといいスニーカーが買える。なあ、坊主。それでいいだろう?」
僕は何も言えなかった。2万円…おじさんの目を見た。おじさんの目は笑っていた。その目を見て、僕は「うん。」と答えた。
「何で、俺らも払わなければならないんだ?」デブが言った。
「連帯責任だろう。いいよ、払いたくなけりゃ、明日、市役所に苦情の電話を入れるだけだ。それで、いいかい?」
4人は、財布を出し、5千円ずつ僕に渡した。
「よし、じゃあ、みんな帰りな。」とおじさんが言った。「ああっと、ちょっと待った。」
「まだ、何かあるんすか?」青いネクタイが訊いた。
「ティッシュ、ティッシュ。ティッシュよこせ。」
「ああん?」青いネクタイが渋々ティッシュをポケットから出して、おじさんに投げた。
「おおう、サンキュ。もう帰っていいぞ。」おじさんはティッシュをキャッチしながら言った。
 
4人は肩を落として、駅に向かって歩いていった。
 
 
「ありがとう。おじさん。」
「いや、いいって事よ。坊主、足出しな。拭いてやるよ。」
僕はおじさんの方へ右足を出した。おじさんが受け取ったティッシュで靴を拭いてくれた。
「さあ、キレイになったな。後は家で良く洗ってもらいな。ところで、坊主、こんな遅くにこんなところで何してたんだい?」
「塾の帰りだよ。」
「そうか、じゃあ、早く帰りな。かあちゃんが待ってるぜ。」
「うん。ありがとう。」
「いいよ、いいよ。」
 
僕は自転車を取り、また走り始めた。
 
おじさんの作業服の胸には左藤工務店と刺繍があった。
 
左藤工務店。絶対に忘れない!
 

自転車をゆっくりと走らせて、僕は考え事をしていた。
さっき、助けてくれた左藤工務店のおじさんの作業服を見て、僕はとうちゃんを思い出してたんだ。
 
僕のとうちゃんは、上田建設っていう自分の会社を経営してた。高いビルとかの建設現場で使う足場を組む専門の会社だった。
 
僕が小3の夏休みの時、とうちゃんは現場の事故で死んだ。
 
台風が近づいてきてる夜。とうちゃんはそわそわしてた。とうちゃんの会社で請け負ってる3丁目の15階建てのマンションの外装補強工事の仮囲いが心配だったそうだ。
夜中、僕が寝ている時にとうちゃんは、急遽、現場に向かったと、後から聞いた。
とうちゃんの心配が当たって、仮囲いが突風で吹き飛ばされそうになっているらしい。
何とか飛ばずに持ちこたえているけど、飛んじゃったら、マンションのすぐ横は普通のおうちが並んでいるところなので、どこかの家に、うちの会社の仮囲いが当たって、家が壊れるかもしれない、という状況だったみたい。
とうちゃんは、仮囲いの左上の留めが外れて、左側の角から風に大きくなびく囲いを自分で何とか留めようとして、風に煽られて下に落っこちて死んだ。
 
何とかしようとしたけど、できずに死んじゃったんだ。
 
そして、囲いは全部外れてしまい、マンションの壁も、マンションの横にある家も、大きく傷つけた。
壊れた家は4軒もあったんだ。
 
事故の後、その工事を仕切っている荻島組という会社から、うちにたくさんお金を払えって言ってきたらしい。
傷つけたマンションや家の修理代、やり直す仮囲いの費用、そして、何よりも、事故でとうちゃんが死んで、死人が出た工事という事で、ゲンが悪いと言い出す人がいて、荻島組がその工事から外されて閉まっって、その損害賠償とかいうヤツ。
 
それで、いっぺんにウチは貧乏になった。
 
会社は3階建てのビルで、2階と3階は僕らの家だったんだけど、直ぐに引っ越さなくてはならなくなり、今住んでる都営のアパートに移った。
 
会社の権利と建物と土地は、全部荻島組に渡す事になり、それでも足りないので、かあちゃんは荻島組に月々の支払いをしなければならなくなったんだ。
 
とうちゃんはいつも言ってた。
「どんなに簡単な事、いつもやり慣れてる事でも、始める時は慎重に。何があるか分からないといつも思う事。」って。
 
「そんなとうちゃんが、あんな事故起こすわけがない。」かあちゃんはいつも僕にそう言う。
 
「とうちゃんを信じなさい。かあちゃんはいつもとうちゃんを信じてる。だから、とうちゃんは悪くないと思ってるから、一生懸命働けるのよ。」
 
かあちゃんがしんどそうな時に、僕が「大丈夫?」って聞くと、かあちゃんはいつも決まってそう答える。
 
かあちゃん、心配してるかなあ?
急にかあちゃんに会いたくなった。
帰りたくなったんだ。
 
でも、ダメだ。
このテストと、補講の案内を見せたくない。
 
僕は、自転車をこぐ足に力を入れた。
 

次の交差点の手前で、商店街が終わる。その先は家が立ち並ぶ薄暗い細い道だ。
交差点を右に曲がるとJRを越える陸橋があり、その先は明るいけど、ちょっと不安。何故なら僕はそっちに行った事がないからだ。左に行くと川を越える橋がある。川は大きくて、土手の下には川岸があり、橋の下には、僕が小4の時に作った秘密基地もあった。でも、だいぶ行ってないからまだ、あるのか、どうかは分からないけど…
 
僕は当然川を目指すつもりだったけど、交差点まで来ると、何故だか行った事がない右の方が気になって、ずっと右の道の先を見ていた。
JRを越えた先には、長い上り坂があるのが何となく分かる。
上り坂かあ…しんどいな。
 
そう思っていると、その坂をものすごいスピードで自転車が駆け下りてくるのが見えた。
スゲエなあ…あんなにスピード出して、怖くないのかな?
 
あっという間に陸橋を越えて、僕の前を通り過ぎた。
 
あれ?直原じゃね?
 
走り過ぎる自転車の横顔が、僕の学校の同じクラスの女子、直原仁美にそっくりだった。
 
「ナオハラあ!」僕は大きな声で呼んだ。
 
キキキキーっ!!!!自転車が急ブレーキをかけて止まった。
 
「誰?」
「俺。同じクラスの上田。」
「えっ?上田?こんなところで何してるの?」
「そっちこそ、こんな暗いのにスゲエスピード出して。危ねえよ。」
「そう?スゴイ急いでるの。」
「急いでるって、どこに行くんだい?」
 
直原は、黙った。そして、僕の眼を見つめた。
僕も直原の眼を見た。
少しの静けさ。
やがて、直原は口を開いた。
 
「おじさん家。ウチが今、大変なのよ。」
「大変って?」
「ウチの親、離婚してるんだけど、前のパパが、酔っ払って、ウチに来てね。ママに暴力をふるってるの。だから、おじさんに助けてもらわないといけないの。」
「ええっ?そりゃ大変だなあ。おじさん家、近いの?」
「向こうの川の土手沿いのマンション。」
「そうか。僕も川に行こうと思ってたから、一緒に行こう。」
「そう。じゃあ、スピード出すわよ。」
「負けないよ。」
 
僕らはオレンジの街灯で明るい広い道を走り出した。
 

暫く走ると、前の道が舗装工事中で通行止めになっていた。但し、左端は歩行者専用となっており、歩けば、この道を真っ直ぐに行けるみたいだ。
 
僕と直原は自転車を降りて、引いて歩いた。
 
「直原、訊いていい?」
「何?」
「さっきさあ、パパがママに暴力ふるってるって言ってたじゃん。」
「うん」
「それって、殴ったり、蹴ったりしてるの?」
「そんなんじゃない。あれ、言い過ぎた。パパは殴ってない。」
「じゃあ、パパは何をしてくるの、ママに?」
「ずっと、怒鳴ってるの、泣きながら。なんで、こんなことになっちゃったんだって。」
「怒鳴る?どうしたんだろうね?」
「ウチね、パパが寿司屋やってたんだけど、コロナの影響で店にお客さんが来なくなって、潰れちゃったの。」
「ええ?そうなんだあ…」
「そう。店が潰れたら、パパがおかしくなっちゃって。心の病気になったの。毎日、怒鳴ったり、ぶつぶつ言ったり。でね、ある日、パパがママに離婚しろと言いだしたの。」
「急に?」
「そう、急に。離婚しないと、もうやっていけない、みたいなことを言い出して、それから毎日、毎日、離婚しろ、離婚しろって、そればっかり。で、ママもおかしくなりそうになったから、おじさんに助けてもらって、離婚する事にしたの。」
「おじさんって、今直原が向かってるとこのおじさん?」
「そう。パパの弟。ケーキ屋さんをやってるの。おじさんに間に入ってもらって、離婚したんだけど、やっぱりパパが心配じゃない。だから、パパを入院させて、私たちは家にそのまま住んで…でも、時々、パパが調子が悪くなるとこっそり病院を抜け出してね、ウチに来るの。で、ママに怒鳴る。」
「そうかあ、大変だなあ。俺は、とうちゃんが死んじゃったから、もうとうちゃんには会えないけど…パパが来て、普通のパパじゃないのは嫌だね。」
「うん。困る。でも、私にとっては大好きなパパだったから、病気を治して、元のパパに戻ってほしいと思ってるわ。」
「そうだね。僕もそうなるようにお願いするよ。」
「お願いするって、誰に?」
「宇宙にさ。宇宙は僕らに無限のパワーをくれるんだぜ。」
「そうなの?」
「ああ、そうさ。直原も知ってると思うけど、俺ん家、貧乏じゃん。とうちゃんが死んで、急に貧乏になっちゃって…でもね、きっと良くなるように俺は、毎晩空に向かってお祈りしてるのさ。今日から、直原の家の事もお祈りするよ。」
「えっ?ありがとう。私もやってみるね。上田の家の事も祈るよ。」
「分かった。お願いするよ。お祈りのしあいっこだね。」
「そうだね。」
 
通行止めの道は行き止まりになった。ここからは、右に行くか、左に行くかだ。
 
僕の秘密基地のあったところは左に曲がる。直原は右に行くようだ。
 
「じゃあ、ここで。」
「うん。じゃあね。」
 
僕らは左右に分かれて、また、自転車をこぎ始めた。


後編へ続く。
なお、後編は有料記事にさせていただきますので、宜しければお読みください。

※どなたか「上田亮介」を彷彿させるイラストを提供していただけませんでしょうか?noteのライブラリーで亮介のイラストを探しましたが、良いものがありませんでした。
良いものがあればコメントでお知らせいただければ幸いです。
お手数をお掛けしますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

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