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【探偵小説】探偵里崎紘志朗 moonbow⑤


 愛美は横浜にある聖クレスト学院高校に通っている。この学校は、7年前までは聖クレスト女学院という完全なる女子校だったのだが、少子高齢化対策のために今は中高は共学になっている。
学校は中学から大学まで一貫教育をしており、このセミナーハウスは、大学生が利用する事もあり、駐車場が広く作られている。しかしその駐車場は、今はがら空きで、私は一番出口に近い場所に車を止めて、建物に入っていった。玄関で受付の初老の男性に小野寺先生を訪ねてきた旨を伝えると、その男性が館内放送で、小野寺先生を呼んだ。暫く待つと、細身で背の高い男性が、食堂のドアを開けて玄関までノロノロと歩いて来た。近づいてくると小野寺は意外に若い事が分かる。多分30を過ぎたばかりぐらい年齢だろう。誤差+-2歳というところか?骨ばった細い指に結婚指輪をしている。背は私より3㎝ぐらい高そうだ。つまり180㎝は超えているだろう。体重は恐らく60㎏台だ。顔色が悪く、やつれているのが分かる。
「里崎さんですか?」
「そうです。」
「小野寺です。随分早く着かれたようで、助かります。さあ、こちらへどうぞ。」
小野寺は先に歩き、私を食堂の隣のドアを開けて入っていった。応接室だった。
 
 ■
「里崎さん、僕どうしたらいいんでしょう?」応接セットの堅いソファに腰掛けるなり、小野寺はそう言って、上半身を折り畳み、ソファの前のローテーブルに突っ伏して泣き始めた。
「先生、落ち着いてください。大丈夫です。私が捜し出します。まずは昨日の愛美とのやり取りと、その時の愛美の様子を教えて下さい。」と、私は丸まった彼の背中に手を置き、そう言った。小野寺は暫く泣き止まなかった。嗚咽を漏らし、しゃっくりをした。その間、私はずっと彼の背中をさすった。2、3分して、やっと彼は泣き止んだ。テーブルに顔を埋めたままなので、よく分からないのだが、背中の呼吸具合で落ち着いてきてるのが分かる。少ししてようやく彼は顔を上げた。
「すいません…取り乱してしまいました。」
「大丈夫ですか?」
「ええ、」
「じゃあ話してもらえますか?」
「分かりました。」
彼は話した。珠美から聞いた以上の話は出てこなかった。
「それで全部ですか?」私は訊いた。
「そうです。私が知ってる事はそれが全部話しました。」
「分かりました。では、早速捜索を始める事にします。」と言って、私は立ち上がろうとした時、小野寺は咄嗟に私の右腕を掴んで、「里崎さん、僕はどうしたらいいんでしょう?」ともう一度言った。顔を見るとすがるような表情だ。
「先生は、ここで通常通りに過ごして下さい。まだ、事件と決まった訳ではないので、兎に角落ち着いて。」
「でも榊原君がいなくなって、半日が過ぎてるんですよ。きっと誘拐に決まっている。」
「そうとは言えません。」
「どうしてそんな事が言えるのです?」
「誘拐なら、とっくに犯人が親や学校にコンタクトしてきてる筈だからです。少なくとも親にはまだないし、学校にもコンタクトしてきてないでしょう?」
「それは、そうです。」
「だからここは平静を保つ事です。慌てないで。」
「でも、誘拐ならどうします?そしたら僕は…僕は…結婚したばかりなのに…マンション買ったばかりなのに…祐子ちゃんになんて言えばいいんだ?このままじゃ全部僕の性になってしまう…」
「小野寺さん、落ち着いて下さい。まだ分かりませんが、今のところ私は誘拐の線は薄いと思ってます。私が出来る限りの事をしますから、先生は普通に合宿に戻って下さい。お願いします。」
「本当に警察に届けなくていいんですか?」
「まだ早いです。警察に届けるのは、少なくとも犯人が一回目のコンタクトをしてきた後です。」
「私は今すぐ警察に電話したいんですが、あなたに止められている。今の事実はそれで良いですね?」
「その通りです。まだ早いと思います。」
「あなたが言いましたからね。」小野寺の声が変わった。悪い目になった。
小野寺は掴んでいた私の腕を離し、ズボンのポケットからICレコーダーを取り出した。
「全部録音しました。もしかして警察沙汰になるような事があったら、私はこれを警察に差し出します。いいですね?」
「結構。それであなたの気が済むなら。」
「ありがとうございます。これでやっと朝食が食べられます。今まで全く食欲が湧かなかったものですから。あっ、後、お伝えしとかなきゃならんのですが、里崎さんからの一回目の通話も録音してるのと、この建物に入ってきてからの防犯カメラの映像、それと応接室には隠しカメラを設置してありまして、全部録画してます。何かあったら、私はそれも警察に届けます。それも言っておきます。
「わざわざ教えていただき、恐縮です。承知しました。」
「ご理解いただき、ありがとうございます。では、私は朝食に戻ります。」
「分かりました。私はこれでお暇します。」
私たちは応接室を出た。小野寺は、私を玄関まで見送る事もせず、真っ直ぐ食堂へ向かった。さっき食堂から出てきた時とは違って、足取りは軽く見えた。
 
 小野寺は、愛美が一人で帰るという話をしに来た時、少なくとも自分で親への確認をするべきだった。しかし彼はそれを怠った。怠ったというより、全く関心がなかったんだろうと推測される。
彼は買ったばかりのマンションで待つ妻の元に戻る事だけを考えていたかもしれない。
取り返しのつかない大失態だ。
それを挽回するために彼はできる限りの安い演技をしてみせたという訳だ。一般人にとって、経験した事のないリスクへの対応として分からなくはない。しかし、私は悲しくなった。そんな気分を抱えて、私は駐車場へと歩き始めた。歩きながら気がついた。
 
今から私はどこへ向かえばいいのだ?

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