原始、女性は月であってもいい

朝、起きてカーテンを開ける。5月の真っ黄色の太陽の下で一杯の白いご飯を食べる。
いつもなら、ごはんが美味しい、良いお天気の素敵な日。
けど、そうはいかない。
太陽をぎゅっと睨んでみる。
私は、今日生理なのだ。

社会人になってわかったことが一つある。それは、この社会に月の満ち欠けがないこと。社会ではコンスタントに日の出と共に始業し、日の入りと共に終業することが求められている。
ここに、「月」は存在しない。
そう思いながら、目の前の白いご飯を眺めてみる。人間はお米を育て、農耕を始めた時から、毎日、太陽と共に田を耕し、稲に水をやってきた。
農耕の功罪を考えてしまう。農耕は、「豊かさ」と「太陽のリズム」を人類にもたらし、安定した食料供給と引き換えに毎日コンスタントに働くことを要求したのではないか。だから、今、この白いご飯は甘くて美味しくて、そして私はロキソニンを飲んでいる。

男の人と同じレベルで働きたい。祈りを込めてロキソニンを流し込む。
祈りは虚しく、毎日コンスタントに元気に働いている男性の同期の横で、
ロキソニンが由来か生理自体が由来かわからない眠気に耐える。
その上、同期に八つ当たりしてしまう。
「女性の社会進出」なんていうけど、私たちは、本当は社会で男性と同等に働けるような生き物ではないのかもしれない。
平塚らいてうは、著書の中で「原始、女性は太陽であった」と言ったらしい。
何度も、嘘だ、と思った。太陽であったなんて、嘘だ。
私には、月の臓器がある。この臓器は、私の体を乗っ取る。
この臓器は、太陽に負けない引力をもち、私の気分を「満ち引き」させる。
男の人と同じレベルで働かせてはくれない。

でも、私は「月」と生きることを辛いけど嫌だと思ったことはない。
話によると、月はその強い引力で、地球の地軸を傾けているらしい。
月は、昼と夜と、春夏秋冬をこの星にもたらした。
そう聞いてから、もう一度、白いご飯を眺めてみる。
稲は、太陽だけではなく月の働きによって、昼と夜と、春夏秋冬の中で、育ってきたのだ。
月も、太陽と同じレベルで、農耕に、社会にとって欠かせない天体であったのだ。
平塚らいてうの時代、女性は太陽になって、男性と同じように働くことを目指していたのかもしれない。
でも、これからは違う。
太陽にならなくてもいい。月には月の働き方がある。
私は、この厄介で美しい、満ち欠けする天体と生きていく。
太陽と、月があって、他の星たちもあって、はじめて稲が育つ。
そういう正常な社会を私達が今から作っていくのだ。


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