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未来の予知・予言 ~飛騨の口碑~

『明らかにされた神武以前』(山本健三著、福来出版)は、語部翁(かたりべのおきな)が、山本健三氏に語った飛騨の口碑について書かれた本です。
この本の中に、予知(未来を見通す)能力を発揮された古代日本の偉大な二人の人物が描かれています。
エッセネ派やユダヤ教の預言者の未来の予知・予言(黙示文学)については、よく知られた話ですが、古代日本人の予言者を知ったのは、この本が初めてでした。

日抱の御魂鎮め

白髪翁は上西藤朝仙人(ウワニシフジトモせんにん)と私を前において静かに語り続けるのでした。
「・・・(病人に対し)一心不乱に念じていると心がぼーっとしてきて、時にはばーっと光り輝くお日様のような光るものが見えてきたり、時にはお月様のようなものが見えたりして、そういう光が現れてくると不思議によく治ったんじゃ。
・・・心の中に光輝くありがたい、ありがたい命(いのち)に一心不乱にお願いすると、病が治るだけでなくいろいろの不思議と思われることが現れてくることが分かっていた。過ぎ去ったことが見えてきたり、これから近く起こることも見えてきたり、・・・
そういう心の中の光り輝く命(いのち)を磨(みが)くために、近くの者が集まり、時々太陽の光や月の光を水面(すいめん)に浮かべて、それをじーっと見ることにより素晴らしい境地に入る修行をした。これは誰が始めたということもなく、自然に我らの先祖はずうっとやってきたことである。・・・
太陽の光を水に浮かべて、それを抱くような気持でじーっと暫(しばら)く眺(なが)め、それから目を閉じて心のどん底の光り輝く命を拝み、一切の災難を逃れて幸せを求めて生きてきた。我々人間はただ外の物を求めるだけでなく、心の中、体の中、内なるものを求め、求めて生きることが大事であると、私(わし)は父親からよく言って聞かされたんじゃ。
この御魂鎮(みたましず)めを行うことを日抱(ひだき)をするといってのう、日抱(ひだき)の御魂鎮(みたましず)めを毎日毎日していると、遠い未来が目を閉じていても目の当たりに見えてくるんじゃ。
私(わし)らの先祖が、こんな山奥にいても、外国の人が日本に上陸して攻めて来る時期も場所も見透して、その対策を考えたんじゃ。この御魂鎮(みたましず)めの深い時に見えてきたり、なんとなく感じてくるからできたことなんじゃ。・・・」

『明らかにされた神武以前』(山本健造著)

ヨーガの瞑想修行を感じるとともに、イエス・キリスト(エッセネ派)の教えを聞いているような気持ちになります。

上西仙人は相槌(あいづち)をうって次のごとく語り出したのです。
「おれも一心不乱に、先祖を祭っている祠(ほこら)の前に座って念じていると、目を閉じていても辺りが明るくなってきて、お月様のようにぼんやり光ったり、星のように小さくキラキラ光ったり、それが大きく太陽のようにまぶしく光ったり、時には一面が白い幕になったり、時には濃紺色(のうこんしょく)になったり、金色(こんじき)になったりしてくる。すると家の外の景色や人の動く様子が見えて、それがピッタリ当たることがあるんだ。俺でさえ見えてくるのだから、俺たちの神様なら日本の将来のことが分かるはずだなあ!・・・」
その時「私(山本健造氏)も心を深く統一していると光ってきます。その時は病を治す力の出る時なのです」と答え、三人の意見は完全に合致したのでした。

『明らかにされた神武以前』(山本健造著)

山本健造氏は、乗鞍の麓にある旗鉾分教場に赴任し、教え子の母が全身激痛で苦しんでいるのを、神通力で治したことをきっかけに、白髪の老翁から飛騨の口碑を伝え聞くことになったようです。

淡上方様の予言[第十五代皇統命]

淡上方(アワノウワカタ)様は日抱の御魂鎮がたいへん深く進んでおいでのお方であったので、将来のことを見通(みとお)して心を静めていると、数百年近い将来、日本の北の海岸に異民族が大挙して押し寄せて、日本を植民地化しようとする大事件が起きるし、その次には九州方面に危ないことが起こると申されたのじゃ。

『明らかにされた神武以前』(山本健造著)

意富加羅国の王子来襲の予言

  • 山下、山麓(ヤマノフモト)の子孫をあちこちの海岸に待機させ、連絡網を張らせ、万一の時は団結して国を守るように命ぜられた

  • 秋田、山形、新潟、富山、石川、福井の海岸一帯に一族を配置し連絡を取るように命ぜられた

  • 山本高山土公命(タカヤマツチノキミノミコト)と山下住命(ヤマシタズミノミコト)にそれぞれの一族を引き連れて伊勢の鈴鹿に行かせ、そこを本拠とする

  • 山下住命の子孫は、西は瀬戸の海へ、東は伊豆、横浜へ

  • 山本の一族は三つに分かれ、一団は鈴鹿、一団は琵琶湖の北畔(きたのほとり)へ、一団は若狭(わかさ)の湾へ

すると淡上方様の予言の通りに、朝鮮の王の子が王位継承の戦いに敗れて日本に逃げてきて朝廷に上り三年いて、宝物をもらって朝鮮に帰ると新羅国の軍に攻められて宝物を取られた。命からがら再び日本に逃れて敦賀に住んでいたが、朝鮮に密使を送り『王位はあきらめたから汝が王位につけよ。おれは日本国を征服して日本の王となり、汝の国の属国とする。汝は大軍を送り来たりて我を助けよ』と奏上したので、しばらくして大軍が舟を連ねて敦賀に来たのじゃ。
そのときの敦賀から大和へ攻め上るときの大将は、意富加羅国(おおからのくに)の王子都怒阿羅斯等(ツヌアラシト)とも、于斯岐阿利叱知于岐(ウシキアリシチカンキ)ともいう。名が二つあったんじゃ。

『明らかにされた神武以前』(山本健造著)
  • 白山のふもとから集団移動してきた山下住命の子孫たちの一団が、朝鮮から来た兵士たちが群れをなして南下して行くのを発見

  • 日本にない七支刀を持っていたので、すぐ外国人の来襲だということがわかった

  • 若狭の山麓氏と湖北の山麓氏へ使者を送る

  • 琵琶湖の北の方の山本山という山のふもとに勢力を養っていた一族は、山下住命の子孫の知らせで急ぎ北上して、迎撃態勢に入った

淡の上方様からの言い伝えに『敦賀湾に朝鮮の襲来する時あり、その時は奮戦せよ』と代々しっかり言い伝えていたので『いよいよ、時が来たぞ』と奮い立ち、様子を探ってみると、民家へ入って追い回し切り殺し、泣き叫ぶ子供を切り、あちこちの民家や、食糧庫は次々と破られ、あちこちで火をたき寝そべって、ぐっすり眠ってしまったんじゃ。それを取り囲んで一挙に歓声を上げて切り込んだので、敵は武器を探している間に切り倒され、血は河をなして流れて、大地は血で染まるほどであったのじゃ。王子はとりこにした。人々は『飛騨のおかけじゃ、飛騨!飛騨!』と叫んで万歳をした所に住みついて、今もその地を疋田(ひだ)というんじゃ。そして捕虜の王子は日本人の武勇に心をうたれて戦う気力なく、共存を契(ちか)い、命を助けてくれと懇願し、再び朝鮮から援兵を頼む気配もないので許して仲よくしてやったということじゃ。

『明らかにされた神武以前』(山本健造著)

このほかに、『明らかにされた神武以前』には、淡上方様の九州方面の危ないことの予言として、「熊襲と神功皇后に現れた飛騨の神」の話や、第三十五代皇統命(スメラミコト)のヒルメムチ命(天照大神)の予言についても書かれています。
詳細を知りたい方は、直接読まれることをお勧めします。

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