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「価値の共創で産業をアップグレードできるか?」 “NHKクローズアップ現代(4月3日放送)で、伝えきれなかったこと”

2019年4月3日放送のクローズアップ現代「食費が激減!? “食品ロス”だけで暮らしてみた」というテーマに、出演させて頂きました。ここでは放送時間の都合上、十分にお話できなかったことを補完させて頂きます。4月は出演させて頂いた初期ということもあり“考えていることをわかりやすい言葉で、限られた時間で伝える”という点において非常に苦労した期間でもあります。特に、この回の最後のまとめ「データでロス↘、おいしさ↗」にはもう少し説明が必要だったと感じています。データによるロス削減については、その後東洋経済さんがまとめた記事が明瞭なものだと思います。ここでは、データを活用して、おいしさを高めるアプローチにはどのような可能性があるのか?について提示したいと思います。

この取り組みについてお話するにあたり、私がアドバイザーとして企画から関わらせて頂いている「うめきた2期」についてご説明させて頂きます。うめきた2期は、大阪駅北口にある梅田北側のまちづくりにプロジェクトで、六本木ヒルズを超える開発規模であると言われています。また2024年の開業を目指すうめきたは、2025年の大阪万博と共通するテーマをまちづくりのコンセプトとして採用しています。その中核コンセプトの一つが『ライフデザインイノベーション』です。ライフデザインイノベーションとは、病気を治すというだけでなく、健康で豊かに生きるための新製品やサービスを創造するというものであり、本稿で掲げたSustainable Shared Values(SSVs)と一致するものです。このコンセプトを基に、金沢21世紀美術館を設計した建築家ユニット「SANAA」や、ランドスケープアーキテクト集団である「Gustafson Guthrie Nichol」が描いたデザインは、ビル1棟を一つの石に見立て、枯山水を表現した空間です。京都にある龍安寺の石庭では全ての石の内、どこから見ても必ず1個の石が見えない構図になっています・・・つまり、どの見方も正解であり正解ではない。何か一つのグランドビューを正解とする都市ではなく、多様な価値観を前提としているのです。人々の多様な生き方があり、自然がもたらす四季の変化があり、その中で様々な価値が生み出されるということが象徴されています。この都市ビジョンは人々が中心となる新たな社会像であるSociety 5.0が目指すものを、デザインの観点からも牽引するものであり、より良い形でデザイナー達の目指したイメージが実現すれば良いと考えています。

こうした素晴らしい空間デザインに呼応する形で、未来都市の可能性を拓く様々な取り組みが検討されています。その多くは守秘義務事項に抵触するため現段階では公表することはできませんが、守秘義務に抵触しないアイデアの1つをオープンイノベーションの一環として、ここで共有できればと考えています。これが先述のデータを活用した食の価値共創の事例です。まずは背景として米国の事例をお話します。米国のスーパー大手をある巨大プラットフォーマーが買収した時、投資家達は喝采を送りました。しかしながらその後起きたのは、「確かに安くなったけれども、おいしいもの少なくなった。」という現象でした。GAFAに代表される巨大プラットフォーマーは、既存の産業の不合理な部分に対して、テクノロジーを活用した圧倒的な合理性で世界を席巻しています。ただ食においては一元的な軸で評価することは困難です。ただコストという面だけでなく、オーガニックで体に良い、地域の持続可能性や誇り、旬を楽しむ、などさまざまな価値軸があり、これが調理や加工という出口により更に変化するため、多元的な評価が必要になります。このような多元的な価値に対応する上で、巨大プラットフォーマーのデータ覇権主義は相性が悪いのかもしれませんし、もしかしたら時間が解決するのかもしれません。ただこの事例を、日本の食品関連企業や流通、IT企業とディスカッションした時に、ふと我が身に返りました。「日本の状況もたいして変わらないないのではないか」と。

例えば「トマト」の価値を考えた時、どう調理するかによって、“おいしい”トマトの条件は変わります。多くの日本人が好む“甘い”トマトは、特にサラダなど生で食べる時には重要な要素です。一歩でミートソースなどの肉とからめる場合には“酸味”が重要になります。またトマトを出汁としても優秀な食材であり、その時は“旨み”が大きな価値をもたらします。ただ今までの農業のケースでは、限られた農地で形の整った農作物を効率良く栽培する、という点に焦点が当てられてきました。この効率を実現するために、品種改良を行い、土壌を改造し、時に農薬を用いるという形で合理化を図ってきました。この点の努力は素晴らしいことだと思います、特に安全管理という観点からは標準的な管理工程は不可欠です。またどんな農作物でも一定条件を満たしていれば買い取る、という農協が果たす役割も農業という産業を安定化させる上では重要な位置付けですし、今後も必要だと思います。一方で食品の“おいしさ”に新しい価値を付加することも、重要な視点です。

「うめきた」というエリアを考えた時に、大阪は天下の台所として、素晴らしい料理人と、その料理に対価を払う品質の分かる消費者がいます。例えば、農薬等を使うことなく、地域の自然な環境で育まれた食材について、その食材の魅力を引き出す調理法を考えることができれば、両者にとって良い条件の流通を成立させることができます。今までは農家が1で売ったものが、市場で100となったのが日本の農業でしたが、これを農家が5で売り、市場が75で買うだけでも、両者にとっても良い状況が生まれます。また価値の高い出口であれば、農家が10で売り、市場で150にすることも可能かもしれません。もちろん全ての作物に付加価値がつくわけではないので、既存のルートも重要です。ただ、この時不足しているのは農産物に対するデータです。実は既に現在の技術によって、先ほどのトマトのように、産地や安全性だけでなく、“甘さ”、“酸味”、“旨み”などの様々なタグを食品につけ、生産者と提供者、消費者が価値の共創を行うことが可能となっています(価値の共創を成立させる上で、付加価値に対して対価を払う消費者も不可欠です)。食という1つの側面をとっても、都市と地域がネットワークを形成し、相互に価値を高め合う多層型ネットワークは両者の発展にとっても重要になります。

上記は2024年という中期的な時間軸からのバックキャストになりますが、短い期間の中で実現できるデータ駆動型の取り組みもあります。例えば、ある三つ星料理店では、冬を最初に突き破ったタケノコが提供されます。初春の時期に、寒さに抗い生えてくるタケノコは生命力に満ちているだけでなく、独特の味わいがあります。この味わいに料理店は付加価値をつけるのです。この時、タケノコには収穫時期というタイムスタンプをつけるだけで新たな価値が生まれます。ただ注意すべきなのはこのケースにおいては1つのタケノコにタイムスタンプをつけても価値は上がりませんが、集団としてタイムスタンプをつけることにより、一定割合の作物に付加価値を加えるということです。

また果物の糖度についても例をあげることができます。例えば初夏に低温と長雨が続いてしまうと、スイカは全体として甘さが足りないものになってしまいます。今までであれば、価格を暴落させ市場で買いたたかれてしまいます。しかしながら、気象データを活用することで、その年に市場に出回るスイカの糖度を予測することができるでしょう。この時、食品系企業と連携することで、予測される糖度のスイカの価値を引き出す食品としての提供の仕方を考えることができるかもしれません。例えば不足している当分をジュレで補うということも安直ですが、一案です。またそのような商品の準備を事前に行うことによって、「今年はカットフルーツよりも、スイカジュレがおいしい」などのように広告によって消費者の気持ちを高めることも可能です。データを活用した価値の共創は、実は既に他分野でも始まっています。出版不況下であっても返本を減らし新しいエコシステムを創ったニューヨークの書店の事例もその1つです。「これからの経済は人という単位で動く」というのは東京大学経済学部の柳川先生の言葉ですが、正にその通りだと思います。食文化においては、多様な価値を提供することができる質の高い提供者(料理人、農家)、そして新しい価値に対して対価を払うことが可能な成熟した市場(多様な食文化を醸成する人々)、この条件が整った日本は、価値の共創による新しい食文化を発展させるチャンスがあると感じています。

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