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私の秘密

ここだけの話、私が大学で化学を専攻したのは、毒薬に興味を持っていたからです。こういうことはあまり他人には話せません。かなり引かれますから。

毒薬だけでは、読む人は「何だそんなことか」と思われるかもですが、もし目的をもって毒薬を研究したいと思ったとしたら?

毒とは、人に害を及ぼす化学物質です。そして毒薬は、おおむね人を殺害する目的で人為的に用いられるものです。皆まで言いません。

「お前には殺したい人がいるのか」と尋ねられたら、「今はいない」と私は答える。でもそういう人が現れるかもしれない。身の危険を感じるような攻撃を仕掛けてくる人に「やられる前に、やってしまおう」となる場合、あるいは、自分用に使うかもしれない。たとえば、潜水艦乗りになって、攻撃を受けたか、不慮の事故で、もはや浮上の見込みが断たれたとき、旧海軍の兵たちは青酸カリを持たされていたと聞きます。次第に酸素が無くなって苦しむのなら毒をあおるしかないじゃないですか。たとえが極端でしたかね。

よく「人が死ぬのを見てみたい」とか「人を殺してみたい」という動機で犯行に及ぶ人がいますが、私にはそんな気はまったくありません。みんな、生きていてほしい。人が死ぬのを見たくもない。

前置きはそれくらいにして、学部生のときに図書館などで毒についていろいろ調べましたよ。インターネットなんかなかった時代ですからね。1980年ごろのことです。

キョウチクトウという庭木によく用いられる植物があります。かなり丈夫な木で、白や赤のあざやかな花をたくさんつけ、夏の日差しの中でひときわ映えます。そのためか、当時の建設省(現国土交通省)がグリーンベルトなどの植栽に好んで用いたようです。園芸家にも人気で、挿し木で簡単に増やせるんですね。私も枝を切って、コップに水を入れて挿しておき、発根させてから土に移植して育てたこともありました。

キョウチクトウ

ところが、このキョウチクトウで中毒を起こし、重篤な状況に陥った人がいたらしい。よくよく調べてみると、オレアンドリンという強心配糖体が全草に含まれていて、それが心疾患を惹起して最悪、死に至るのだとか。

キョウチクトウは実際どこにでも見られ、人の手の届くところにあるものだから、野外でバーベキューなどをした人が、割りばしの代わりにキョウチクトウの枝で箸を作って料理を食した後で気分が悪くなって救急搬送された事例が少なからずあったそうです。この毒物は加熱しても壊れず、また腐葉土にしても土中に残るとかで、家畜がそれを食べて死んだ事例が先に報告されていたのでした。

つまりキョウチクトウは、煮ても焼いても、捨てても危ないわけで、焼くなら灰になるまで焼かねばなりません。まして生木や切り花を口に入れることは決してしてはならないのです。

悲しいことに、キョウチクトウを殺人に使おうとした主婦がいたようです。未遂に終わりましたが、警察が容疑者の自宅の庭にキョウチクトウが繁茂しているのを目ざとく見つけ、解決に至ったらしいです。日本の話です。

毒草はかなり身近にあり、知っていると自分の身を守ることにもなります。イヌホウズキがあります。

イヌホウズキ花

イヌホウズキ実

ナス科の雑草で帰化植物です。ナスの花に似た白い小さな花をつけ、それが黒い実を結びます。ホウズキもナス科でよく似た花をつけることからイヌホウズキと名付けられたのでしょう。イヌホウズキも全草にソラニンという毒があります。ソラニンは実はジャガイモ(これもナス科)の芽に含まれ、芽の出たジャガイモを食べて中毒を起こした事例がたくさんあります。加熱してもソラニンは壊れませんので、湯がこうが、フライにしようが、電子レンジでチンしようが食べてはいけません。子供だと少量で死ぬ可能性があります。ナス科の植物には毒草が多いのです。ナスやトマトは大丈夫なのかって?そりゃ、あなた、危険かもよ。

アメリカ人はフライドポテトが大好きですね。あのジャガイモは保管が悪いらしく、芽吹いたジャガイモでも原料にされていて、集団中毒を起こしたことがあったようで、アメリカ政府は厳重にジャガイモの管理規定を定めました。

話が反れましたが、ソラニンを含むイヌホウズキは、利用するなら全草を煮だして、そのだし汁を料理に混ぜるなどするのがよいでしょう。味はおそらく苦いと思いますが、ソラニンはステロイド骨格を持つアルカロイドの配糖体なので食べられないほど苦くはないでしょう。どうしても殺したい相手がいるのなら、罪を償うつもりで考えてみてください。本懐を遂げたら自首するんですよ。赤穂浪士のようにね。

もっと怖い毒があります。実際に暗殺に使われる筆頭だと思います。それは「リシン(ricin)」です。毒のリシンは、カナ書きするとアミノ酸の「リシン(lysine)」と同じだけれど、綴りが違います。ひまし油を取るヒマ(トウゴマ)という植物がありますが、そのヒマの実の種子から抽出されます。つまりひまし油を搾り取った油粕に大量に含まれるのです。

リシンはタンパク毒という種類の毒物で、これまた加熱しても、何をしても破壊されず、その上、ごく少量で死に至らしめる優れモノです。第一、解毒剤が存在しないんですよ。お手上げです。

ヒューミント(人を使った諜報作用)で暗殺に用いられる場合、針の先にリシンを塗布して首に刺したり、傘の先に塗布して刺したり、皮膚に塗りつけても効果があるし、ハンカチにしみ込ませて口に当てて吸わせるなど、ありとあらゆる方法が使われます。たいていは呼吸困難に陥ってもがき苦しんで死にますってよ。

ひまし油の主な生産地はアフガンなどの中東だといいます。だとすればアルカイダの連中はヒマの実など普通に入手しているだろう。日本でもヒマを育てることは禁じられておらず、大麻は禁じられています。これはかなり危険なことではないでしょうか?

ひまし油は大丈夫なのか?これは大丈夫です。リシンはひまし油には全く含まれていません。採油(圧搾)し、油成分のほうにはリシンは溶解しないからです。ゆえに油粕が怖いんですね。まず、ひまし油を食用にする人はいないと思います。なぜなら下剤や催吐剤として使われるからです。ひまし油を構成するトリグリセリド(油脂)の脂肪酸には水酸基があり、他の栄養になる脂肪と違って、人体は拒否するんですね。だからひまし油を体に取り入れると、出そうとして吐き気や下痢を催すんです。

ひまし油の工業的利用は、かつてのレシプロエンジンのエンジンオイル(潤滑剤)としてよく使われました。やはり水酸基を持つことが金属間の滑りをよくしていたのでしょう。エンジンオイルのトップメーカー「カストロール」の社名は「カスターオイル(ひまし油)」が由来です。

カストロール

しかし今はその用途では使われず、食用油の廃棄のために固める薬剤「固めるテンプル」なんかに使われます。これも水酸基が持つ性質をうまく利用したものです。

毒物にはアルカロイド(含窒素塩基性天然物)とタンパク質毒(ヘビ毒、ウナギ毒やリシンなど)、巨大分子化合物(フグ毒やゴシポールやパリトキシン、トップの画像に示したシガトキシンなど)があります。アルカロイドは麻痺性の神経毒であり、昏睡に陥ることがあり、タンパク毒と巨大分子化合物は神経破壊、組織壊死に至るようです。症状としては、昏睡、呼吸困難、やがて心停止です。

日本ではシアン(青酸)化合物が安易に手に入らないようになっていますが、上に挙げた毒物は何の法律的な縛りもない。いわば野放しなんですよ。知識があれば悪用も、防御もできるのです。ちなみに青い梅の実にはアミグダリンという有機シアン化合物があって、死ぬほどではないけれど幼い子では中毒例が報告されています。青い梅の実の種子にアミグダリンは多く含まれます。アミグダリンは配糖体で、そのままでは分子が大きく安全ですが、人体の中で酵素反応によって小さい分子のシアン化合物に分解されるので危ないんです。

最後に死に至るほどの毒ではないが、男性の生殖機能を失わせる恐ろしい物質「ゴシポール」について少し。

ゴシポールは綿実(ワタの実)に含まれるポリフェノールです(下図)。実際に男性用避妊薬として使われる例があるほどです。精巣での精子の産生を阻害し、精子そのものの運動機能を奪います。

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ゴシポールは綿実油を搾油する際に、リシンと異なり、製油工程で除けず、綿実油に含まれてしまい、綿実油を食用とする地方に出生率が低下した例が見られたことから発見に至ります。無精子症を惹起する化合物がゴシポールだったのです。

ゴシポールによる不妊症は不可逆的であり、綿実油を摂取しなくなったからといって戻ることはないそうで、事は深刻です。つまりパイプカットと同程度の避妊効果があるというのです。

少し化学的な話をしましょうか?このゴシポールの化学構造はとてもおもしろいんですよ。

亀の甲が二つ並んだ「ナフタレン構造」をしていますね。そして点対称にこの構造がつながっていることに気づかれましたかね?真ん中の一本線の結合を対称に同じ構造が向かい合っています。

この一本線(一重結合)のまわりでナフタレン構造は回転自由なのです。ところが、隣の水酸基とメチル基が回転を邪魔してしまい、回転できないんです。すると二種類のゴシポールが存在することになります。この二種類は光学異性体なんですが、不斉炭素原子はありません。こういった化学構造を「軸不斉」と言います。おもしろくないですか?


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