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K氏の話

K氏は人生の半ばを過ぎて独りぼっちだった。
両親は、弟も妹も作ってはくれず、彼は一人っ子として育った。
学校は苦手だった。
あまり思い出したくないことばかりだった。
弟か妹でもあれば、学校が、いくらか楽しい場所であったろうに。

両親は小さな活版印刷所を経営しており、朝早くから夜遅くまで働いていて、幼いK氏の相手になる大人もいなかった。
K氏は、だから一人で遊ぶしかなく、仕損じの印刷用紙の裏に絵を描いたりして過ごしていた。
印刷所ゆえに、文字が豊富で、K氏はかなり小さい頃から難しい漢字を読むことができた。
中学生ぐらいになると、「活字拾い」を手伝うかたわら、大人が読むような書物を紐解くようになっていたので、現在のK氏があるといっても言い過ぎではなかった。

つまり本を知己(ちき)として、独りぼっちの生活を自殺もせずにやってこれたのであった。
今は、活版印刷所も開店休業状態で、老いた両親も自費出版と名刺印刷ぐらいしか仕事を受けておらず、雀の涙ほどの両親の年金でK氏も暮らしていたのである。

都会からも中途半端に遠いK氏の住む街は、全体が寂(さび)れていた。
その寂れ具合がK氏にとって心地よかったともいえる。

その日も二階の四畳半でK氏は寝巻(ねまき)のまま、万年床で安部公房の『砂の女』を読みふけっていた。
電蓄に、何度も聴いたリュートのLPレコードが回り、木製の箱に入ったスピーカーから微かな音色が響いていた。
K氏が二十代のころ、専門誌を見ながら作った自作の電蓄で、中にアンプも入っていて、外付けスピーカーを鳴らすことができたのである。
手先が器用だったのは、父親譲りだったのかもしれない。
とはいえ、貧乏暮らしの彼は、その後、カネのかかる趣味は持たないことにしたようだ。
たまさか街に出ると、古書店に寄って、表紙カバーのなくなった棚ずれ品を漁り、二、三冊を数十円で買ってくるのが物心ついた時からの趣味と言えば趣味だった。
小遣い銭をほぼ、そう言った古本につぎ込んでいたのである。
だから二階の押し入れは、かび臭い古本だらけだった。

実を言うと、LPレコードも古書店で買ったものである。古書店ではそういうものも扱っていた。
古書店の中古レコードであるから流行のものは一切なく、ジャンルもまちまちで買い手が選ぶというものではなく、売る方も売れるとは思っていない代物ばかりだった。
演歌や浪曲、民謡がほとんどで、洋盤はクラシックや外国の民族音楽など偏った、だれも見向きもしないレコードが無造作に並べて売られているのである。
その中でもフォルクローレとリュートのレコードがK氏のお気に入りだった。

リュートは、K氏の心を少なからず揺さぶった。
この哀切きわまりない響きは、彼に同情を寄せてくれる顔のない女のようだった。
K氏は童貞だった。
それでも、それだからこそ、彼のイメージでの女性は、彼を包み込むような慈しみに溢れていなければならなかった。
テレビすら見ないK氏にとって具象の女は皆無だった。
画集などにある聖母や、踊り子の女しか彼の具象を結ばなかった。
たびたび夢精はしても、自慰行為はしなかった。やりようがわからなかったのだ。
夢の中で、K氏は白人とも日本人ともつかない若い女と結ばれ、抱き合っているうちに射精して目覚めるのである。
何と高潔なことか!

いつだったか展覧会に赴き、油彩の香りを嗅ぎ、その中に淫靡なものを感じたことがあった。
裸婦像を目にしたからかもしれない。
豊かな裸体は、童貞の脳裏に印象付けられた。

K氏は自身の体から漏れ出た、テレピン油のような臭気のする粘液におののいた。
それは印刷所のインキの匂いでもあった。
幼い記憶とともに印象付けられた匂いである。

『砂の女』の主人公と自分を重ねるK氏だった。
「砂を噛むような思い」の意味が、痛烈にK氏の心を打った。

K氏は自分が果ての見えない砂漠の中にいるような気がしていた。
見なれた四畳半は、その砂漠につながっていて、永遠にそこからは出られない運命なのだと。
寺の境内の乾いた土の所に「アリジゴク」というカゲロウの幼虫がいて、K氏も子供の時に見たことがあったが、自分がアリジゴクなのか、それともアリなのか判別がつかなかった。

LPレコードが終わったようだった。
K氏はトーンアームを徐(おもむろ)に上げ、レコードを取り、紙のジャケットに滑り込ませる。
そして電源を切った。
氏は立ち上がると、窓辺に立った。
裏は幅が1メートルほどのどぶ川が流れ、その向こうに背を向けた木造平屋が建っている。
戦後まもなく区画整理されてできた棟割長屋である。
川との間に、猫の額ほどの庭があり、ゼラニウムやイチジクなどが植わって、目隠しになっているようだった。
だが、K氏のように二階からだと、長屋の窓辺が丸見えなのだった。
ふと、その窓辺に女の子がしゃがんで何かしている。
縁側に腰かけて、「おりん」を叩く棒で、毛のない赤い陰部をつついているのだ。
K氏は目を瞠(みは)った。
「あの子は確か…知恵遅れで学校にも行っていないはずだ」K氏はその娘を見知っていた。
あろうことか、その娘はりんの棒の尖った方を胎内に収めては、抜き差ししているのである。
いくら童貞でも、それが性交の真似事だということがわかろうというものだ。

K氏は、はからずも勃起させてしまっていた。
しかしそんなことよりも、その娘の行為にくぎ付けで、自慰をする頭がなかった。
「ああ、あんなに奥まで」
K氏の喉はカラカラに乾き、声にならなかった。
寝巻の間から、大きく立ち上がった分身が、窓の敷居に当たる。そして初めて彼は勃起に手をやったのである。
自身を握りしめ、その熱を感じ、目を皿のようにして、娘の行為を見入ったのであった。
娘は、こねるように棒を使い、肩を震わせている。
その両脚は、ぴんと伸び、はだしの指先が握るように内側に曲がっている。
こけそうになりながらも、器用に尻だけでバランスを取って、棒を出し入れしていた。
K氏の手の動きも早くなる。
すると、娘は何を思ったか、慌てて行為を中断し、スカートを戻して奥に引っ込んでしまったのだ。
おそらく親が帰ってきたのだろう。知恵遅れと言っても、軽度であり、羞恥や事の善悪ぐらいは理解しているようだった。

K氏の興奮は冷めやらない。
ふたたび、万年床に大の字に横たわり、分身をしごいた。
目をつむり、あの少女の行為を再生していた。
「ああ、あああっ」
K氏の腰に激震が走り、あの夢での快感を自らの手で呼ぶことに成功したのである。
膿のような粘液が尿道から噴きあがり、握る手の甲にまとわりつくように流れたのである。

こうして、人生の半ばを過ぎてから、K氏は自慰を覚えたのであった。
夢には、あの娘が出てくることになってしまったが。
(おしまい)

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