見出し画像

絵を描くこと

さっき、別のSNSにおけるnoteでもつながっている方との対話を通じ、自分の気持ちで気づいたことです。

学生時代は油絵とパステルを趣味で描いていました。
鑑賞者としては比べ物にならないぐらい、断然音楽の方が好きです、楽器を覚えるほどの根性もなかったので絵を描いてみた、というところでしょう。

社会人になって全く絵を描かなくなっていたところ、大好きなうさぎの新太が天に召されて嘆く娘を、なんとか慰めたいと絵本を描き始めたのが「おんなのこと天使うさぎたち」シリーズでした。

一作目は新太が天に召された年の、娘が小学校へ入学する直前の3月。
当初、新作を描き上げるたびに毎回大喜びしていた娘も、そりゃあさすがに小学校の高学年にもなれば、父親へのお義理で見ているなあということが伝わってきます。
娘が小4の頃に描いた73作目、「みにーとまろのスランプ」なんかはその当時の心境が現れていますね。

結局85作で描くのをやめました。
というよりも、途中から惰性で無理やり描いていたのを、打ち切りました。

昨年の9月に息子をモデルにした四コマ漫画「うさぎおやこ」を描き始めました。

妻は絵本を歓迎していたものの、自分や息子を登場させることは禁止していました。
妻自身についてはともかく、息子については、やっぱり知的障害の姿を描かれるのに強い抵抗があったことは良く理解できます。

妻が吹っ切れ、娘が絵本より漫画に親しむようになり(今は更に、漫画よりも小説にはまっています)、うさぎの姿であれば抵抗がないかも、と思ったのでしょうね。
幸い妻も娘も喜んでくれました。

姿こそうさぎであったものの、あの漫画には作り話は何一つありません。
全部実際に息子の行動を描いたもので、それは絶対に犯してはならない自分自身の約束でした。
話を作り始めたら、あの漫画自体に何も価値がなくなってしまいます。
私にとって。

当初は毎日毎日、息子は新しいことを発見したり、行動が増えていったため、毎日描いていても全く苦になりませんでした。
ところが90作あたりを描いた頃から、息子が新しい行動を示すことはなくなり。

うさぎおやこは101作で描くのをやめました。
これ以上描くのは無意味です。

今年の初め頃から右手の指がしびれ、痛むようになり、動きにくくなり、ペン(アナログでもペンタブでも)を使って線や文字を描くことができなくなりました。

ちょうど娘がリアルな絵を描き始めたことでもあったので、私も色鉛筆でうさぎを描き始めたところ、妻や娘に喜ばれたので、毎晩描いていました。

指は悪化し、様々な病院に回されて精密検査を受けても、手根管症候群、頚椎性神経根症、膠原病、糖尿病、更年期障害さらには最も現実的な腱鞘炎の可能性さえ否定されています。

今は色鉛筆を持つこともできなくなったので、描くのを中断、あるいは終了しました。

で、今日某SNSでの対話で「辛いでしょう」との温かい言葉をいただいて、ふと内面を観察したところ、そのような感情が見当たりません。

たぶん、自分にとって絵を描くことはその程度だったのでしょうね。

今は、小説でアーサーCクラーク、音楽でツトム・ヤマシタを再発見し、いろんな症状の物理的な困難さをしのいでいます。

なんだか変な文章だな、これ。