見出し画像

同調圧力が怖い

 新型コロナウイルスの感染拡大によって、これまでの「普段の生活」が大きく変わってしまった。

 家に居ることが是とされ。ある首長からは「来ないでいただきたい」と言われるような始末。家に居ることは大好きだが、普段から思いつくとすぐに旅に出てしまう自分にはどうも、息苦しい生活が続いている。仕事も、勤務体系がガラッと変わって、やっと慣れてきたところだ。

 家に引きこもる時間が長くなってくるともの思いにふけることが増えた。「俺はなんでこんなことしてるんだろうか」「この状況から離れたり、距離を置くにはどうすればよいのか」。忙しければ全く考えないようなことだが、自分を見つめ直すいい機会になっている。

 自分自身の性格や、やりたい生き方を考えることで深く納得したのが「同調圧力が怖いから逃げたい」だった。

 同調圧力とは地域共同体や職場などある特定のグループにおいて意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して、暗黙のうちに多数意見に合わさせることを指す。少数意見を有する者に対して態度変容を迫る手段にはさまざまな方法がある。少数意見を有する者に対して物理的に危害を加える旨を通告するような明確な脅迫から、多数意見に逆らうことに恥の意識を持たせる、ネガティブ・キャンペーンを行って少数意見者が一部の変わり者であるとの印象操作をする、「一部の足並みの乱れが全体に迷惑をかける」と主張する、少数意見のデメリットを必要以上に誇張する、同調圧力をかけた集団から社会的排除を行うなどである。(Wikipediaより引用)

 まあ簡単に言えば「俺(たち)の意見と違うなんて頭おかしい」って言われることです。好きな漫画とか食べ物でもよくある話だ「アンタ鬼滅の刃読んだこと無いなんて、人生の半分損してるで」なんていうやつも同調圧力のひとつだろう。

 「ウイルスという未知の敵に対して、日本国民は一致団結して立ち向かわなければならない」という政府の意思の下、感染者の増加とともに、イベントや移動をはじめ日常生活にも自粛ムードが広まった。

 自粛ムードが広まるにあたって顕在されたのが「自粛警察」だ。県外ナンバーの車があれば嫌がらせや傷つける。外出や営業などの自粛要請に応じない個人や商店などに「営業するな」などの貼り紙をしたり、店の備品を壊したりする、私的に取り締まろうとする動きだ。最初は「ホンマに?」と懐疑的だったが、自身も近所で営業を続けるお店に嫌がらせの貼り紙がしてあるのを目撃し、本当にあるんだとびっくりした。

 「自粛警察」と聞いて真っ先に思い出したのが、関東大震災の時に起こった「自警団」だった(朝鮮人に対する流言からくるものだが、知らない人はまんが日本の歴史でも読んでください)。また、マスクをしていないと、まるでバイ菌のように避けられる。小学生の時にあった、誰かを手で触って、別の人に「はい、〇〇(誰かの名前)菌~」っていう半分いじめみたいなやつそのもののようだ。「マスクをしていなければ非国民」のようになることが、とても怖く感じた。品薄になっているので手に入れられない人もいるだろうし、手話通話者は口の動きも言葉を伝える重要なツールだし、アレルギーなど皮膚関係の疾病があるからつけることが難しい人もいるだろう。さらに「マスクをしていれば絶対大丈夫」という考えにも怖くなった。別にウイルスなんてマスクぐらいの網は余裕で通り抜けられるのに。

 「自粛警察」という、科学的、法律的に根拠が無い、もしくは歪められた攻撃者の思想に基づいた「こうでなくてはいけない」という同調圧力が、僕自身はとても怖く感じる。「自粛警察」は歪められている部分があるので、おそらく政府が緊急事態宣言を解除した後も続いていくだろう。政府は6月1日以降に県外へ移動することを認められたが、県外ナンバー車への嫌がらせは続くだろう。航空便や鉄道の再開のニュースに憤る人もいるだろう。嫌がらせしたほうが名誉棄損や器物損壊で罪に問われるのに。

 「自粛しましょう」という流れの中、他者を攻撃する必要があるのだろうか。それぞれ「自分自身がいかに感染リスクを下げるか」について突き詰めればいいのに、なぜ他者を「あいつは」と攻撃しないといけないのか俺にはよくわからない。むしろ、嫌がらせするほうが、だまって家に居るより感染リスクが高いような気がする。

 自粛期間に自分自身を見つめ直すことができて「自分も含めて世間は時代が進んでも大して人間は変わんない」「僕は臆病で、そんな手段と目的を間違えて攻撃してくる人を避けたい」ということを改めて自覚することができた。新型コロナウイルスが落ち着いた後、どう生きていくべきか見えた。

よろしければサポートお願いします。 いただいたサポートは旅行記の資金に使わせていただきます。