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70年代末ヨーヨーチャンピオンたちは、赤い服着た消費の宣教師だったのかな?

昨夜、10歳上の姉、20歳上の叔母と飲んでいました。

姉いわく、
昔は遊びにお金がかからなかった。私が少3(10歳)のときに、”仮面ライダースナック”(画像)が販売されるようになって、子どもたちがカードほしさに買って、お菓子は食べなくてもいいってなった。そこから子どもの世界に消費が入り込んだ
とのこと。

自分は、姉が10歳のときに生まれているので、いわば消費社会の申し子(?)なのだそうです。

「え、でもさ、駄菓子屋のお菓子はお金で買ってたよね?」
と質問すると、
「だって駄菓子屋のお菓子は駄菓子屋のお菓子じゃん」
謎理論で応酬されてしまい、なんだかだなぁと思ったんですが・・・。
家に帰って仮面ライダースナックをウィキペディアで調べたら、本当に自分の生年1971年に発売されたことを知って、姉の記憶力恐るべしとなりました。

この話は、今の子どもたちは遊ぶのにいちいちお金がかかりすぎる、という文脈で出てました。
石蹴りや砂遊びで楽しんだ。おばあちゃんちで感じる海からの風が心地よかったなどなど。

でも、そういうこと今さら言っても、パチンコ並かそれ以上に人間の快楽報酬系をビシバシ刺激する今ゲームに昔ながらの遊びがかなうわけもなく、またそんな外での遊びなんて危なくって無理ザマス、誰が責任取れるのって社会なんで、まぁ難しいよねって話で、盃が重なっていきました。
典型的な中年以上の正しい酒の飲み方と言えましょう。

そんでヨーヨーブームが気になった

そういえば、自分が小学生のとき、ヨーヨーブーム(第一次)(画像)があったなぁと、酒でしびれた頭で思い出しました。

小学校2年くらいのときでしたっけ。通ってた蒲郡南部小学校の北門の前にある駄菓子屋(通称「門前」)に、謎のヨーヨーチャンピョン(白人男性)(画像画像)が来て、世界のヨーヨートリックを披露していったのですよ。たぶん、1967~1975年生まれだけにわかるネタですが。

いくら子どもがメッチャクチャ多い時代とはいえ、人口6~7万人くらい?の町の小学校にまで来るヨーヨーチャンピオンって、本当は100人くらいヨーヨーできる白人を集めて、とりあえずチャンピオンブレザー着せて全国津々浦々を回らせたんじゃないかなぁ、なんて想像してました。
70年代後半は、いわゆる「ガイジンらしいガイジン」の数も少なっただろうから。

もうそう考えると、ラッセルヨーヨーブームの関係者っては、一種の「資本主義宣教師」であったのだなあ。
少なくともそれまで、日常的な子どものおもちゃ価格をぐっと押し上げて、300円、450円、500円とかのヨーヨーをみんな買いだしたわけです。

そういや、ガンプラも一番小さいスケールは300円でした。

結論はなんもないんですけど、昔は遊びにお金がかからなかった。今の子どもたちは・・・、と気楽に言える世代は確かに10歳うえくらいにはあるのだなぁと思いました。
もちろん、自分たちの世代でもお金かからない遊びはあったけど、そう無邪気には言えないなぁ。

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