見出し画像

いつかネバーランドを手放す日

コチョクスカイドームで"Farewell, Neverland"を聴きながら、わたしは何かがこわれたように涙を流していた。"Farewell, Neverland"は甘く優しかったネバーランドに別れを告げて現実に向かう曲だが、わたしにとってのネバーランドはTXTであり、楽曲のように彼らを手放す時がやってきたんだと思ったら、涙が止まらなくなった。でもこれが何の涙なのか、悲しみなのかこれまでの楽しかった思い出を振り返っている涙なのか、何かに傷ついている涙なのか、よくわからなかった。そしていま自分がTXTに抱いている気持ちが愛なのかはたまた執着なのかもよくわからなかった。何もわからないままずっと泣きじゃくっていた。



わたしのアイドルのファンとしての日々は痛みを伴うことがとても多く―それは自分の気質によるものであり、たぶん誰のせいでもないのだが―晩夏ごろから耐えきれない感覚があった。自分の心の問題でしかないのがつらかったし、特にスビンが大人になって素敵になればなるほどそのつらさがどんどん増していくように感じられた(そういう時はキャロライン・ポラチェックの"So Hot You're Hurting My Feelings"ばかり聴いた)。アイドルのファンをする中であらゆる感情がジェットコースターのように上下することにも疲弊しきっていた。TXTのことが好きなのは変わりなかった。その事実はわたしを幸せにしたが、時には深い絶望にもなった。

もうこの痛みから、ジェットコースター的情緒から、アイドルのファンとしての自分から逃れたかった。アンコンに入ったら何かが劇的によい方向に変わるんじゃないかと、いま振り返ると何の根拠もないよくわからない期待をしていた。心のどこかでは燃えつきてそのままファンをやめることを、いや、ほんとうは狂わんばかりにそれを望んでいた。だから"Farewell, Neverland"を聴きながら、もうお別れなんだね、と涙を流していた。だけどわたしは今もネバーランドに残っている。

でも、スビンの誕生日である12月5日を韓国で迎えられたことは本当にうれしかった。ソウル市内のセンイルカフェにはいろんな国からきたであろうスビンのファンたちがいて、拙い英語と韓国語で話しかけたかった。スビンは「MOAが自分から離れないでほしい」というような旨のことをよく言っているが、センイルカフェで幸せそうな表情を浮かべるファンたちを見ながら、そんなことないよ、大丈夫だよ、と彼に言いたい気持ちになった。

インタビューを読む限り、スビンはこの一年間ですごく変わった。わたしはそんなスビンを見て自分だけ置いてけぼりになっている気がして、彼の変化を自然なこととして受け入れつつなんとも言えないさみしさを感じるところもあった。
しかしわたしもわたしでこの一年のあいだに自分の生活に変化があり、それによって自分自身が鮮烈な実感とともに確実に変わりつつあるのを感じている。人は常に変わっていくものだ。アンコンでは燃えつきることができなかったけれど、しかしいつかネバーランドを離れ、この幸せを忘れ、この愛を忘れ、この痛みを忘れ、TXTを忘れていくのだろうか。人は常に変わっていくものだ。だからきっとわたしも変わって、何もかもなかったみたいにいつかすべて忘れてしまうのだろう。だけど甘く優しい愛に満ちたネバーランドを手放すその日まで、TXTを可能な限りきれいに愛せますようにと願っている。