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Grace (thanks for Paul Masvidal)

12月8日、チバユウスケ訃報から3日。ダメージが抜けない中でも「行った方がいい気がする」という勘が働いて渋谷Ruby Roomで行われたCynicのacoustic concertに行った。

私のようなCynicを何枚か聴いている程度のただのリスナーが来日中のCynicのVIPチケット購入者向けの、小さな箱で行われるライブに行けたのはオタク繋がりでありCynicの世界的コレクターであるSyoさんが「行けなくなった人がいるから」と誘ってくれたからだ。
熱心なファンの方には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そのため最前列が余裕で確保できる整理番号で入れていただけたのだが、端のほうの椅子に座りながら観ることにした。
SEで流れているアンビエントが自分好みの良いものばかりだったのでShazamをしまくりながら開演を待つ。

鹿?のマスクのようなものを被ったPaulさんがひとりで出てくる。鹿?と思いながら見ていたらCynicとはまた違う美しい音楽が奏でられはじめた。少しの機材と、ギターと歌声で奏でられる、聴くものの琴線をまっすぐに震わせるあまりに繊細で優しい音楽。

正直Paulさんがソロでやるのかも、ソロ音源を出していることも、Aeon Spokeというバンドのことも全然知らずに行ったし、何をやるのか予想もつかなかった(精神的余裕がなかったのだが、今となっては予習くらいして行けと思う)。

そんな無知な状態でライブを見ながら、舐達麻のBADSAIKUSHが以前ライブのMCで言っていた「自分の気持ちを何かに映し出すという行為が芸術なんだと思う」という言葉を何度も頭の中で繰り返していた。曲に込められているであろう沢山の感情を過剰に虚飾することなくシンプルに美しく音楽として紡いでいくPaulさんは素晴らしい芸術家なのだと思った。

特に気に入った曲が後からAeon Spokeの曲と知ったのだが、Aeon Spokeは私の大好きなタイプのUSインディバンドの香りがしてすぐに大好きになったし、演奏されたどの曲も美しさと悲しみが詰まっていて圧倒された。悲しみでいっぱいだった私の心臓を温かな両手で包みながら、同時に精神のバリア、血液脳関門のようなものを瞬く間に突破してケアしてくれるやさしい薬のようだった。

夢と現実の狭間のようなライブが終わって、ミート&グリートの時間になった。ここでも私なぞが……と腰が引けつつ、素晴らしい時間と音楽をくださったことに感謝を告げたくて並ぶことに。
終盤の少し余裕がある時間でSyoさんも交えてゆっくりお話できた。

私の英語レベルは中学生以下なのでどこまで伝わったのかは定かではないが、「個人的な話で申し訳ないが、私の特別なロックスターが11月に亡くなって私はとても落ち込んでいたが、あなたの今日のコンサートがあまりに素晴らしく、私の悲しみをとても癒してくれた。本当にありがとう」と半泣きで伝えたら「うん、うん」という様子で優しくハグをしてくれた。
とてもジェントルで、先程まで彼が奏でていた音楽そのままに悲しみをまるごと包み込むような大きな優しさを感じた。
そんなことを話すつもりはなかったのに、言葉の壁もあったのに、そもそも自分は滅多に初対面の人にそこまで内心を曝け出さないのに、思わず拙い英語でも話してしまったのは彼の持つ大きな優しさからだったのだと思う。
(後からショーンさんの命日付近だったと知り死にまつわる話をしてしまったことに申し訳ない気持ちでいっぱいになった)

他にも少し雑談をしたり、写真を撮ったり、以前作っていたCynicのジョーク交じりのブート・グッズを幾つか手渡したらとても驚いて喜んでもらえたのも嬉しかった。
とても柔らかで良い時間を笑顔で過ごせた。行けて良かったと心から思う。あの時間の全てに心から感謝している。

I'll live inside the burden till I've healed

Aeon Spoke/Pablo(at the park)

But I don't know how to love
I don't know how to trust myself
But I'll do my best to suffer with some grace

Aeon Spoke/Grace

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