「子供っぽさ」との格闘

わたしは明日、二十歳になる。これまでの誕生日とは訳が違うこの日のために、わたしは20年間の人生を振り返ろうとした。

同い年と比べると、わたしの精神年齢は相当幼くみえる。感情をそのまま表に出してしまう。せっかちで余裕がない。自分に自信はないけれど、時々根拠のない自信に満ち溢れたり。

こんな子供っぽい自分から抜け出したいと思い始めて一体どれくらいの時間が経っただろうか。

わたしは子供っぽい自分が実は少し好きだ。周りにもこのわたしを期待されている気がするし、あらゆることに実力が足りていないわたしは、あの子は子供だからって思わせて、わたしに対するハードルを下げておいてもらいたくなる。

でも、その気持ちは自分を変えたくない言い訳だ。自分の性格を変えるには相当な労力がかかる。もう、面倒なことはあまりしたくなかったんだろう。いわば行動に移さない免罪符として、それは機能していた。

わたしは自分を「子供っぽい」とは言うが、年齢不相応という表現自体、おかしな話だ。「子供」の年齢に値する人の中にも、「子供っぽく」ない人はたくさんいる。それに、「子供っぽい」が実に多くの意味や性格を内包していて、人によって連想する意味が異なる極めて漠然とした言葉だとも思う。

わたしが直すべきは、「子供っぽい」といった漠然とした自分像ではなくて、もっと詳細に分けた個別の部分。自分が好きな、無邪気で感情表現が豊かなところは残せばいいし、せっかちで余裕がないところは直す対象に含めればいい。

どちらも自分の子供っぽさというカテゴリーに共存していたから、子供っぽさを変える決意ができなかったのだろう。では、わたしが格闘するべきものは一体何なんだろう。この苦悩を、「二十歳っぽさ」とでも名付けてみようか。

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