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どうして女性の私はme tooという運動が大嫌いか

この数ヶ月は、様々な方向からme too (私も)という運動について耳にする機会が増えてきたね。最初はアメリカで、たくさんのセレブが男女差別による給料の差やセクハラなどについて、いろんなメディアで自分の酷い経験について世界級の女優や歌手などが語り始めた。そして、知らないうち、誰がより大変な目に遭ったかというよく分からぬ競走までに至った。
そして、アメリカ大騒動から半年くらいたったところに、me tooは日本に遅れてたどり着いた。それから、日本中にでも様々な女性は自分の体験について打ち明ける。

はい。酷かった。よしよしっ。
しかし、今更どうしてほしいの?今更何も変わらないよ?

この記事を書く(個人的に最後の1滴である)きっかけもそう。現在、Twitterで大騒動の15才女子の強姦疑惑の件も、同じ匂いがしてきた。
(この件には私は詳しく触れるつもりがないけど。)

同じ匂い?
me tooと?!
しかも、レープ??!
どういうこと???!!

それはね、何も解決しない騒動だからだ。そう。多分びっくりするかもしれないけど、こういう事件は、基本的に当事者ではない人たちの指さす遊びでしかない。当事者じゃないのに、何か言う権利があるの?と聞きたくなる程だ。しらんけど。
そう、閉まっていたドアの、向こう側に何が起きたかは、本人達にしかわからない。そして、行為の跡である女性身体。

知っているかどうかわからないんだけど、レープ時、あまりの刺激で、膣入口部に跡が残る。そして、相手と戦ったら身体中にもまた青タン。もちろん、女性は男性と比べたら、根本的に弱い生き物であるので、抵抗出来なければ体中に必ず跡が残る訳でもない。そうなると、膣だけは唯一の、証拠になるわけ。そして、もっと酷いのは、思い出。1週間かけて何時間も、身体を洗い流しても取れない汚れと恥と、それによって生まれる自分への疑問。レープってやっぱり体より精神の傷の方が残るんだね。
まあ、この事件もそうだけど、世間は語っていても無駄だから、プロである病院と警察の調べに任せて、結論を待つしかない。

ちなみに、逆レープ、つまり女性は男性を強姦することもある。こっちの方が、体的な証拠が残らないので、もっと大変だなぁと思う。


男女平等あり?!

この数年は、世界中では、益々区別しがちって感じる。国籍・宗教・男女などの箱があるように、どこかの箱に入れられがちで、本質を失っている気がする。
フェミニズムとかも、どんどんズレてく。

言っとくけど、生物的に男女平等なんてありえない。

もちろん、社会において給料の差とかの問題は、解決しようと思えば、すぐ解決できるもの。ほら、アイスランドとか見てごらん〜!

だが、違う異性なだけで、相手を見下さったりするのは、良くない。もちろん、女性は毎月生理が訪れるし、男性と違って子供を産む側なんだけど、育児って、カップル/夫婦同士でだよ?
まあ、このことについては、次回にでも書いていいかも。

とにかく、今の社会では、古きアイデアは山ほどたくさん残っている。時代はこんなに進んでいるのに、男女平等に関しては、未だに皆は中世時代の概念を持っているみたい。モノガミーや、女の立場や弱さ、男の社会的優越とそれによって生まれるプレッシャーやストレス、これは全て、力を握っている人を脅かすための教えだけなんだ。もちろん、現在、それも変わり始めているけれども、この変化をものすごく遅く感じてしまう。だから、今のところ、地球に住んでいる皆に信じるしかない。きっと、いつかは、ちょっとだけでもいいから、成長できるはず。


フェミニズムによるme tooムーブメント

フェミニズムの定義について語りたくないので、wikipediaからの引用ご覧下さい↓

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Source: wikipediaより



歴史的に、フェミニズムが必要とされている。はい、フェミニストがいなければ、今の女性には参政権がなかったかもしれない。そして、現在、注目されている給料の差、育児休暇(男性でもいいじゃん!)、または、あまり知られてないインドでの女性トイレ権などについても、語り合わなければならない。究極(?)な話になると、生理用品の無料化の話まである。

女性は男性と同じ権利を、求めるのはおかしな話でなはいと思う。誰にでも、家族やキャリア、何を優先にするか選ぶ権利があるから。(政府や経済の話はさておき)

しかし、気づいたら、フェミニズムは、me tooみたいなムーブメントを生み出してしまっていた……
それはすごく残念なことだと、私は感じる。生み出したのもいいだろうけど、フェミニズムつまり女性にパワーを与える運動から、ど反対の方にいっちゃっているんだ。つまり、女性の弱さについてしか語ってない。

me too、私も、大変な目にあったから(今注目を浴びよう)というワケわからないムーブメントになっている。もちろん、そんな中、犯罪者を捕まることができるんだったら、めっちゃいいことだけど、私は知りたいのは、なんで今更?なんでもっと早く、声に出さなかったの?その時に、警察などに教えたら、あなたには、ほかの女を救う力があったのよ?今更、犠牲者も多く、どうするつもりなの?飲み屋で変な人に触られたら、逃げるのもいいけど、そのあと、他の女性はもっと大変な目にあう可能性もなくないよ?
もちろん、そういうことになると、他人に声をかけづらいだろうけど、怖いだろうけど、女って思っている以上強い生き物なんだよ?飲み屋で1人でいるなら、バーテンダーもいるし、携帯ですぐ友達とも繋がれるし。なのに、そんなあなたは、逃げることにする。逃げるのもいい。ただ、他の女は犠牲になったら、その責任は持てる?持とうとも思わないだろうね。

一方、何かが起きたあと、周りが後悔し始めるパターンもある。もうちょっとこうすれば…この人を紹介しなければ…こんなことが起きなかっただろうと、いちいち後悔して謝罪している人も少なくもない。しかし、そんなことは、当事者じゃない人達には、関係があっても、関係ではないと思う。よく知らない人と同じ部屋に行き、また車に乗るのは、アホだなぁと思う。自衛本能ないの?
結果的に、こういうことも経験だから、どうにか乗り越えて学ぶことが出来ればいい。そして、次からは、自分の頭を使えばいい。

勘違いしないでほしい。女に対する攻撃を与えるつもりがない。女でも男でもなれる犠牲者向けのトークなんだ。だけど、こういう時、女の方が弱く見てしまうというのもある。
だけど、許可を得ず誰かに手を出すのは良くないし、犯罪だ。それは事実。だけど、雰囲気で煽られ、頭を使えず、ダメな事が起きた後、犠牲者が後悔していても何も変わらない。残念ながら後戻りなんてない。だから、何かが起きる前に、勇気をもってできればどうにかしてほしいの。


me tooは勇気のないムーブメントでもある

そう。誰かが、事件が起きたあと、me tooと叫んでいても、その方は勇気なんてないし、ヒロイン/ヒーローでもない。
もし、犯罪が起きたあと、相手を捕まりたいなら、なるべく早く身近にいる友達や家族と一緒に行動を取ればいい。警察に任せろう。それこそは、勇気でもあるかも。

しかし、me tooって叫ばなくてもいいと思う。それは、注目を浴びたがる人の、承認欲求にしか見えないからだ。残念ながら、1~2週間後は、もう、誰も気にしないかも。

そして、何より、現在SNS時代の中では、それは一生も、あなたのマークになるわけ。もちろん、自分自身は、SNSに乗せていいと思うなら、どうぞ。だけど、そのあとの自分の人生も考えてほしいの。インターネットって恐ろしい世界だからなぁ。

1人は、me too叫んだら、叫ぶもう3人が増える。だけど、叫んでいてもどうにもならない。何も変わらないよ?なぜかというと、それは現在エンタメでしかないから。とてもとても残念なことに。


me tooより必要なこと?!

実は、世の中には、me tooやフェミニズムは必要ではない。それより、ずっと無視されていることを教える必要はある。それは、異性へのリスペクトである。つまり男女相互の尊重。

例えば、強姦事件がたくさん起きているケニアでは、子供の教育を変えてみたら、すごい変化が起きたらしい。
女性は、自分の身を守れるようになり、No!と言えるようになった。そして、男性は、女性を犯すのではなく、守るべきだと教わり、社会にいる女性に対する考え方が変わってきたらしい。
そして、たった3〜6年で、強姦率は、5割で減ったよ!これはすごすぎると思う。そして、世界中の教育に導入してほしいものではある。


男女平等に近づけるために、お互いの違いがわかるうえ、その違いを受け入れ、教育による得た相互リスペクトが最も必要である。



英語なんだけど、ケニアの男女教育について知りたかったら、是非見てください↓


最後に、ここまで読んでくれてありがとうございます。
皆さんのために少しでも役に立てば、嬉しく思います。
そして、シェアやコメントをよろしくお願いします!


それではまた。

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