作品主義

劇団四季オタクを10年以上していました。事情により、今は横に置かせてもらってますが。そこで学んだ精神が、'作品主義'というものです。この対義語に'スター制'というのがあります。

作品主義においては、どの役者が演じても同じクオリティーの感動を客席に届けるというもので、極端な場合、劇場にいってみて誰がどの役を演じるか初めて知るときもあり。当然チケットを買うときには誰が演じるか全くわかりません。ある意味固有の役者についているファン泣かせでもあります。

対してスター制においては、この役者が主役を演じるのはこの公演日、あの役者はこの公演日というように、役者のネームバリューでチケット販売します。御贔屓にしている役者さんがいるファンは当然、公演日を選ぶことができます。演出もやはり、それ相応に主役を目立たせることに力点が置かれていると感じます。

では、この作品主義の良さはなんぞやという話へ。あくまで私が聞いた話や、観ていて思った個人の意見です。
1つの演目というのは、主役、脇役、アンサンブル、照明係、衣装係、音響、経営、営業等々のちからで支えられています。
例えば、主役を演じる役者を10人揃えても舞台は成立しない。主役の演技を受け止める脇役も必ず必要です。主役級の役者が別の演目では端役ということも、時に起こり。そもそもスポットライトをあびることのない、いわゆる裏方仕事の方々との信頼関係あってこそ、役者さんも安心して舞台に立てるというもの。
1人1人がプロフェッショナルとして尊重される、そんな精神だと私は理解しています。

実生活に置き換えてみても、それに近いものを感じるときがあります。実社会も支えあいです。

ただし、主役のようなスポットライトをあびる経験しかしたことのない人の中には、自分1人の力で有名になったかのような錯覚をしていると見受けられる人も時々います。
チームとしてやったプロジェクト、たまたま代表になったのが貴方/ 貴女であったかもしれないけど、それを支えた、'表に名前のでることのない人間'への配慮は大事にしてほしいと思います。ここは想像力の問題かと。「そんなに感謝してもらいたいなら、あなたが主役やりなさいよ!」と言い返されるのはお門違い...。自分の得意な分野でプロジェクトに関わる気持ちを持てば良いわけで。「主役やる気がないなら、やめてしまえ。」という言い分も違うと思うのであります。主役10人集めても、プロジェクトは頓挫するのは容易に想像できます。俺が俺が...私が私が...空中分解。

私が言っているのは『小学校の運動会で徒競走、みんなが並んで手を繋いでゴールする』とかいう類いのものとも違います。

自分がやりたいことをやって良いと思うし、やるべきです。自分のやり方で。但し、互いに相手を慮りながら、それに協力してくれた方々への感謝、筋道とおしてからのこと。そうしないと、人はどんどん離れていきます。全て自分1人の力で成し遂げたというのは、往々にして勘違いであることがあります。

同じ方向を向いてるのに、どうしてマウント合戦にもちこまれたり、ディスられたり。自分が主役になれなきゃ指一本動かさない等。どうしてそうなるかな。悲しいこと、疲れること多々。自己主張も結構ですが度が過ぎると、刃物のように誰かの心を傷つけてる。

地球は誰か1人を中心にまわっているわけではないから。『おかげさま』の謙虚な気持ちを大切に自戒もこめて書きました。

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