川崎殺傷事件報道にみる’ひきこもり’への偏見


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幼い命も犠牲となる凄惨な事件が起きた。「犯人像」をめぐって辛辣な発言がテレビ報道やSNSで飛び交うであろうことは予想していたが、案の定すぎて私からの反論のツイートは早々に削除した。犯罪行為そのものを擁護することはできない。だが、安易に’引きこもり’を犯罪者予備軍として仕立てあげ、社会復帰の芽をむしりとる構図が悲しい。いかにして’ひきこもる’に至ったか、1つ1つの事例にフォーカスすることなしに、漠然とカテゴライズされすぎてはいないか。偏見やレッテル貼りが、少ないキーワードをもとに一斉に形成されることは恐怖である。こういう人間は、一人で死んでヨシとする社会的制裁に私は反対の意を唱える。

この内閣府とやらの定義にある’ひきこもり’に私も該当していた時期がある。人の心はそんなに強靭ではないことを身をもって知っているが、私のケースが万人に当てはまるとは限らないことも知っている。それを前提として以下をお読み頂きたい。

15年以上前の話だが、私は心身の不調を訴えた。藁をもすがる思いで「この病院なら治るかもしれない」と、ドクターショッピングを繰り返した挙句に、とあるクリニックで薬漬けにされ、水しか飲んでいないのに体重が10キロ以上増加した。みるみる太っていく身体が怖くて、市販の下剤を多用したのが自傷行為とみなされ、精神科の閉鎖病棟に1ヶ月幽閉された。

閉鎖病棟の空間には独特なルールがある。携帯・パソコン等の通信機器、ハサミ・カッター等の刃物類の持ち込み禁止。入院患者同士の連絡先交換の禁止。家族との面会も、行動範囲も治療計画によって細かく制限される。薬を飲むときも看護師が入院患者1人1人に付き添って、確実に飲みこむまで見張っている。そこの空間の規則上、具体的に書けることには限りがあるので詳細は伏せる。わからない人には全くわからない世界だろうが、松尾スズキ氏の小説をもとにした映画『クワイエットルームへようこそ』はかなりリアルな描写がされていると思うので勇気がある人は参考にされたい。あまり心の健康に自信のない人にはお勧めはしない。

私が何故そこまで回り道をしなければならなかったのか。いまとなっては不毛な「たら・れば」の話ではある。職場で涙が止まらなくなった、黄色信号のあのときに病院に行っていれば、過労蓄積により半年後に救急車で運ばれるなんてことにもならなかったはず。病院へ行くと言った私の決意を鈍らせたのは、母がいう「世間体」(母はそんなこと言っていないと主張しているのでいまだに、ここは親子喧嘩の火種となっている)。

科学的根拠のないものに縛られて、医療や福祉に繋がるタイミングを逃す人が増えないでほしい。誰にも理解されない孤独に打ちひしがれている人が1人でも救われますように。次なる悲劇が起こりませんように。そんな気持ちを込めてこの文章を書いた。

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