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白鳥になりたかった私は、ダチョウになった。

今でもあの日の写真がある。

両親が離婚したとき、いろいろと私物を捨てて出てこなければならなかったが、写真だけは何枚か持ってきた。そのうちの一枚が、この写真というわけだ。


それは、動物園で私が大きなフランクフルトにかぶりついている写真だった。口の周りはケチャップだらけで、隣にコーラが置かれている。その写真は父が撮った。


保育園の年長さんになると、県内のとても大きな動物園に遠足に行く。それは親が一人、必ず同伴しなければならなくて、現地集合、現地解散の1日がかりの遠足だった。


入り口で説明を聞いて、記念写真を撮る。でも、そんなのはどうでもよかった。そこからは、父と二人だけの時間。私はそれがすごく嬉しかった。


私の家は3人兄弟だったから、親の注意を自分に向けようと、いつも競い合っていたような気がする。父を独り占めできるのは、その日だけだった。自分だけのために父がいてくれる。フランクフルトは食べたいか、ポテトはどうだ、ジュースは飲みたいか、トイレに行きたくないか。いつも聞いてくれる。

だから私はわざとトイレを我慢して、何回も「トイレはいいか」と聞いてくれるのを待っていた。


カバを見て、虎を見て、アリクイを見た。
ダチョウの前に来た時に、その砂と脂で固まった毛と、大きくて臭う体を間近でみた。それは、バタバタとみともない音を立てて走り回り、時に変な形をした目でこちらを睨んでくる。私はすっかり圧倒され泣いてしまった。父は笑いながら

こんな動物は見なくていいよ。もっと綺麗な鳥を見に行こう。

と言ってダチョウの柵から離れた。

いいんだよ、怖い動物は見なくても。汚いものは見なくても。そうだ、白鳥はいないかな。あんなに美しい鳥はいないよ。

と父は園内地図を見ながら探したけれど、白鳥はいなくて、代わりに大きな池に浮かんでいる白鳥のボートを見つけた。それを足で漕ぎながら、無限に広がる緑色の水をした池を望んだ。


私は自分が漕がないとボートが沈んでしまう気がして、必死で漕いでいた。父が、そんなに漕がなくても、沈むことはない。万が一沈んだとしても、助けて泳いであげるから、心配はいらない、というので安心したのだった。


あれから何年経ったんだろう。父が好んだ白鳥になりたかった私は、ダチョウになった。空なんてまるで飛べなくて、珍しくもなく、綺麗でもない。動物園の人気者にはなれなかった。


でも、飛べないからこそ夢を見ることができた。空を飛ぶ夢。目を瞑ると、悠々と大空を横切る自分がいる。そして、その時だけはまったくの自由でいられるのだった。


目を開ければひとたび、あの日のダチョウみたいに、地面を走り続けるのだ。ただ汚く、空を飛んでいる鳥よりも速く、どう猛に、バタバタとみともなく走り続けるのだ。





白鳥の子

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