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グレーの手袋

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編み物といえばあの夜を思い出す。クリスマスの夜だった。みんながお互いをよく知っている中、わたしだけが他人だった。ヨーロッパではクリスマスは家族と、と決まっている。日本のお正月以上に、クリスマスは血のつながりを確認するための大切なイベントのようだった。


いいよ、わたしは。家族じゃないんだし。だって、どんな顔して話にはいればいい。そもそも、ノルウェー語が話せないんだから。


スティーナは、根気よく誘ってくる。
じゃあ、この家に一人でいるわけ?聖なる夜に?どの家もみんなわいわいと楽しくやるのよ。ライトアップして、みんなでご馳走食べて、歌を歌って。


私は黙った。結局、スティーナの決め台詞に根負けした。
「私はクリスマスに一人も不幸でいてほしくないの」


スティーナとその子どもたちと車に乗って、スティーナの故郷に向かった。有名な漁港町で、その町並みの美しさから観光客が絶えない。こんな場所に、縁があって連れてきてもらったのに、私の頭の上には重たい雲のようなものが覆いかぶさっているようだった。


スティーナの家族と、親戚はみんな集まって30人。大きなホームパーティーだ。スティーナのママが大ごちそうを作って待ってくれている。玄関でビッグハグを受けた私は、そのまま中に通され、家族たちに紹介される。


この人は、私の弟。今日は散々飲むと思うから近寄らないで。そしてこちらがその息子さん。こちらは、弟の奥さんで、こちらが奥さんの連れ子さん。それから、こっちが私のママの前夫との息子さんで、その隣が奥様。奥様の連れ子の・・と、・・。さて、こちらが・・・


延々と続くスティーナの紹介に笑顔で頷いていたら、ママが叫んだ。さあ、テーブルに着いて。あなたの食べたいものは何でも手に入るから、慌てないで。


大きなテーブルが2つ並べられていた。一つは、会食のためにテーブルセットが整えられたもの。もう一つは、ごちそうがずらりと並べられたビュッフェスタイルのもの。みんな、惜しそうにまずはテーブルに着いた。ママの挨拶が終わり、乾杯をして少し飲んだら、一目散でごちそうに駆け寄る。


食べて、飲んで、お互いに自慢話や失敗談、笑い話や他人の悪口、親戚の噂話から一周回ってまた自分の話をしていた。誰かが思い出したかのように、私に英語で話しかける。


あなたはどうしてノルウェーにいるの。クリスマスは日本に帰らないの。家族は悲しまないの。いやいや、日本ではクリスマスなんて無いんだよ、禅の国だろ。そっか、クリスマスを知らないのか。じゃああなたはプレゼントも特にいらないのね。笑いが起きる。面白いはずの冗談だったから、私も笑っておいた。本当に、私に用意されたプレゼントはなかった。


そろそろみんな酔いも回ってきた頃だ。ノルウェー語で下品なジョークが繰り広げられる。誰も、私に気を使って英語で質問してくるようなことはなくなった。


私はふと、暖炉の方に目をやった。この家には2つ暖炉がある。大きな暖炉には、たくさんの薪がくべられ、家族が集っている。そうじゃない方の、世話をされていない、火が小さく小さくなった見栄えしない方の暖炉。その前には老女が一人で座って、編み物をしていた。


髪は強いカール、グレーヘアは顔にかかり影が落ちているので表情がみえない。背は曲がり、息が苦しいのかたまに咳き込む。


私はそちらの方へ行こうと立ち上がった。親戚の一人が私に英語でそっと言った。あの人は一人にしておいた方がいい。私は、ちょっと暖炉が暑すぎる、とかなんとか言って結局その老女に近づいていった。


老女はピクリとも様子を変えず、淡々と編み物を続けていた。私は黙って座り、その手元を見た。リズミカルに動く編み棒とウール糸はお互いが手を繋いでダンスをしているかのような心地よさがあった。暖炉の火に照らされたグレーの糸。それがだんだんと手袋の様相を帯びてきたと気づいた頃に、誰かが私に話しかけた。


私は一瞬、ポーランド訛のその英語が私に発せられた言葉であることに気づかなかった。それは「あれを見てみなよ」といった。少し経って、ようやく老女が私に話しかけていると気づいたとき、大きな暖炉の方から奇声が発せられた。どうやらみんなでプレゼントを開封しているらしい。大人たちも、子供と変わらないような調子で包装紙をびりびりと破いている。


老女の低い声が聞こえた。


あんたに用意されたプレゼントなんて無いよ。あんたはここでは根無し草だ。あんたのルーツを知る人なんていない。あんたに興味のある人間はここにはいないんだよ。


老女は顔をあげずに、手袋を編み続けた。親指の付け根を慎重に、何度も何度も糸を重ねている。そこが一番、破れやすいんだろう。


私の頬にはゆるい涙が少しずつ流れていた。あとになって、その涙の意味がわかった。老女の言葉にやっと開放してもらった気がしたのだ。この国には、私に親切にしてくれる人はいても、私と一緒に生きてくれる人はいなかった。


老女の手には無数の皺と血管が走っていた。編み棒を動かすたびに、それらは波を打つように暗闇で怪しく動いた。


どれくらい経っただろう。老女の隣で眠ってしまったようだった。スティーナに起こされる。スティーナの背中には同じく気持ちよさそうに眠っている子供がいた。帰るわよ。あんまり暗くなると運転が怖いの。酔っ払いも多いしね。


私は慌てて老女の方を見た。まだそこにいた。私の枕元には、完成した手袋が小さく並べられていた。


あんたのとこみたいな国じゃ知らない。毛玉ができたとか言って捨てるんだろう。でもここでは、編み物は長く使うんだよ。糸の繊維と繊維がくっつくまで、なんどもなんども使うんだ。糸の隙間がなくなったときが、一番暖かい。


細めの上質なウール糸がつやめく。触ると、肌を厳しく刺す力強さがあった。


糸がくっつくまで、きっと使うよ。


まだー?
スティーナが車から叫んでいる。私は、手袋を持って急いだ。しばらくしてから、お礼を言わなかったことに気づいて、しまった、とおもった。




私は車の中でずっと、老女のことを考えていた。ふと、顔をあげると、オスロが見えた。光をまとったクリスマスマーケット、本物の馬車の音。ノエルの街並みだった。


スティーナ、どこでもいいから、オスロの近くでおろして、お願い。今夜は帰らないから。


スティーナは呆れていた。今から遊びに行くの。あなた、友達は。知っている人と歩かないと危ないわよ。迎えに行かないからね、なにか起こっても。






私は街にでた。わざとらしいイルミネーションの下を、知らないアフガニスタンの酔っ払いたちと歩いた。炊き出しをしているインド人のグループとハグをした。中国のクリスマスの曲を大声で歌っている女たちを見つけ肩を組んで、踊った。だれかがSIAを大音量でかけている。


Baby, I don't need dollar bills to have fun tonight.


私達にはみんな、家族がいなかった。集まる場所も、暖炉を囲む相手もいなくて、それが何よりも幸せだった。


私はグレーの手袋をつけた。糸からはうっすらと、老女の匂いがした。彼女もずっとひとりだったのだろうか。これからも毎年、この夜を一人で過ごすのだろうか。


ルーマニアからの難民が道端に座って物乞いをしていた。私よりもずっと若い少女だった。小銭がはいった紙コップを振って「入れてくれ」という。私はそこに、持っているお金を全部入れた。


紙コップを持つ手が細く小さく震えていた。私ははめていたグレーの手袋を外し、彼女の膝下に置いた。いつか何処かで誰かが言っていた、難民がほしいのは金だけなんだよ。服だのお菓子だの、あんなのは気休めさ。だったら、この手袋だって、きっと気休めなんだろう。

あのね、糸がくっつくまで使うんだよ。すると暖かくなるから。

女の子は不思議そうな顔をしていた。言葉が通じない。彼女は何か言おうとしていた。身振り手振りで、伝えようとする。
そうだよね、クリスマスにたとえ一人も不幸でいてほしくないよね。


誰かが窓ガラスを割った。その破片が輝きを保ちながら飛び散り、北欧の夜空に消えていく。私は、こんなに美しいクリスマスは二度と、私の人生には訪れないだろうと思った。とくに信じてもいない神様にこの夜だけは感謝して、入り組んだ都会の道を一晩中歩き続けた。





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