1位じゃなくて、2位でもなくて
私が5歳。保育園にいたころ。
新年にマラソン大会があって、年長さんだけのイベントだった。
卒園を前に体を鍛える、みたいなコンセプトで「おねえさんたちだけができる」って言い聞かせられてきたから、年少、年中組からしたらちょっとあこがれの祭典だった。みんなで見に行って、声援を送ったりして。
だから、自分がいざ、出るってなった時はすごく緊張したし、あんな小さな子供でも「他の子に負けたくない」とか「1番になりたい」って思うものだ。私も例に漏れず、一等賞を目指していた。
私は頭は良くないが体力はそこそこで、ちょっとそこは自信があった。背も高いし、足も速いし、この子は1番なんじゃないかな、みたいなことも先生たちから言われていた。
結論から言うと、私は2位だった。
折り返し地点までは圧倒的1位。なのに後半から、持久力がすごくあって最後の最後まで同じペースで淡々と走れるすごい子がいる、ということがわかって、すごく焦った。
そのうち、全く歯が立たないことがわかった。大きく離されて2位。ゴールした時は、走り終わった達成感と、1位ではないと言う絶望感と、とにかくものすごい心拍数だった。
あれが、人生で初めての大きな出来事だったと思う。息が上がって、頭がばくばくと弾けそうで、その子が1位のメダル(先生が折り紙で作るようなものだったのに、その時の私はそれが欲しくてしょうがなかった)を首にかけてもらっている時の姿を今でも良く覚えている。
目をそらしたいのに、そらせなかった。
悔しすぎてそれせない。そういうことってあると思う。見たくないのに、見てしまうような。知りたくないのに、人に聞いて回るような、そういうこと。
たかが、保育園のマラソン大会だ。その後も短距離走やら長距離走は嫌というほど経験するし、小学校に上がれば「シャトルラン」なんていういじめみたいなスポーツもあるわけだから、心配しなくてよろしい。
でも当時の私には大事件だった。
1位の子から順に、列に並ばされてまだゴールしない子を待っていた。私は、1位の子の背中を見つめながら、
「私の人生は、もしかしたらずっと2かもしれない」
とおもった。5歳とかそんな子が、そんなことを?って驚くかもしれないけれど、私はあの時はっきりとそう思ったことを覚えている。子供って色々なことを考えるんだなあ、と思う。
私の人生はこの先もずっと2で、1にはならない。
1はいつもだれかに取られてしまって、2しか残っていないだろう。
1以外の数のなかでは1番になれるけど、決して1は取れないだろう。
そんなことを考えながら、その日を終えた。
その後の私の人生はといえば、1や2どころか、ケツから数えたほうが早い、というシーンがめっきり増えて。
2を目指すことすらも、とうの昔に諦めた。だから、1にも2にも未練はない。
ただ、最近になってふしぎと、こんなことを思うようになった。
もし、マラソンの途中で、ふと足を止めて勝手に家に帰っちゃった子供がいたらどうだろう。
応援しているお父さんお母さんをあざ笑うかのように、勝手に家に帰ってお菓子を好きなだけ食べる。
そして何食わぬ顔をして、またマラソンに参戦するのだ。
もちろん順位はドベ。でも、その子は本当に負けたのかな。
用意された競争からこっそり抜け出し、自分がしたいことをしたいようにした。それが道から少々外れていたとしても、ゴールしたんだから文句ないだろう。
必死に走った5歳の私には、なんだか申し訳ないけれど。
あの時の私に言ってやりたいのは、いますぐ走って家に帰って、首に下げた鍵で中に入って、好きなだけポテチとポッキーを食べたらいい。
母さんが食べ過ぎないように、って棚のうえに隠してるあれもこれも。いつもは姉にとられて泣くしかないあれもこれも。
ぜんぶぜんぶ、みんなの留守に食べてしまえ。
それが一番したかったんだから。
君が欲しかったのはあんなちゃちなメダルじゃないはずで、よく考えれば走ることだって別に好きじゃない。
美味しいものを食べて食べて、自分が1番満足するように。自分だけが、必ず1番を取れるような、そういうレースに。
そういえば、後日、ミカ先生というとても美人の先生に「先生は1より2の方が好きよ」と言われて有頂天になっていた気がする。
おっぱいが大きい先生で、いい匂いがしたのでよくしがみついていた。だから別にいいか。
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