努力に興味がない

興味のないことについてわざわざ書くシリーズ「興味がない」。今回のテーマは「努力」です。世の中のいろんな力に興味がない私ですが、もちろん努力にも興味ありません。

あ、失礼しました。発言を一部訂正します。いろんな力に興味がないと書きましたが、権力には興味があります。今の私に必要なのは努力ではなく権力でしょう。絶大な権力が必要です。

で、さっそく本題ですが、最近インターネットの色んなところで「サボロー」なるキャラと、それに対する反応の声を見かけます。どっかの塾の広告のアレですね。サボローが勉強をさぼる言い訳をあれこれ提案してくるという設定のようです。最初は特に気に留めることもなかったけども、なんか色んな所で何回かこのキャラとそれに対する反応を見かけ、しかもその反応の声が一様に皆同じような反応なわけです。要するにサボローのほうに共感する人の意見しか見受けられません。

これを見て直感的になんとなく思いました。「努力とか勤勉というのはオワコンではないか?」と。

今の時代、努力しても相応の対価が得られる保証がないということにみんな気づいてしまっているんじゃなかろうか?ある意味、「良い物を作れば売れる時代は終わった」というのと似たような話かもしれません。

そもそもあの広告は何なんでしょうか?塾のサイトもちらっと見てみましたが、「絶対にさぼるな」というメッセージなのか、それとも皮肉を込めて「ちょっとぐらいサボれ」というメッセージなのかいまいち判断できません。いずれにせよ多くの人は前者の方として受け取っているように思います。

サボローを見て共感するというのは、「俺も学生時代にもっとやりたいことをやっとけばよかった」ということでしょう。かくいう私も、学生時代はサボローと同じ側の人間でした。むしろサボローよりさぼっていたかもしれない。それでも「学生時代にもっと色んなことやっとけばよかった」と思うことは結構あります。

前にここで書いたかもしれないし書いてないかもしれないけど、私はプログラムで飯を食っている人間です。で、プログラマ的な観点からひとこと言うと、プログラマに向いている人間とは、サボローの側の人間です。

そもそもコンピュータというのは人間がやると時間のかかる作業を効率化するためにあるので、できるだけ人間が楽してさぼれるようにするための機械なわけです。なのでこの機械を最大限に活用するには、「さぼること」への飽くなき渇望、そして「息をするのもめんどくさい」という怠け者精神が求められます。

プログラマとして生きていると、できるだけ最小限の労力で、できるだけ最大限の結果を出す事を常に意識するようになります。いわゆる最適化です。仕事をする上でも、暗黙の了解としてそれが求められます。はっきり言って、努力は敵、努力は悪です。プログラマの仕事というのは、この敵をちまちまと倒していくゲームみたいなもんです。プログラマ以外の人には「ほんまかいな」と思われるかもしれませんが。

まあ、そんな仕事をしていると、時代が進むにしたがって、人間のやる仕事はどんどん少なくなっていくという話もあながち否定できないというか、全然否定できません。すぐにそうなるとは思えませんが、仕事が減ることはあれ増えることは無いような気がします。そうなると、「機械に置き換えることが出来ない種類の労働」にしか価値がないのではないか?という事になって、そして「機械で置き換えられる事が可能な労働」をしている人々は蔑まれることになるような気がします。いずれそのうち、「機械で置き換えることのできる労働で得た給料で食う飯はうまいか?」と言われる時代が来るのかもしれません。

この仕事をしていると、いくら努力しても必ずしもその努力に見合った対価が得られるとは限らないという事を、さまざまな形で思い知ることになります。なんというか精神論というか根性というか、そういうものが顔を出しはじめた時点で、途端におかしくなっていく。「間に合わんから徹夜しよう」とか、「間に合わんから増員しよう」となった時点で、残作業が減らずに逆に残作業が増えるパターンが始まるフラグが立ってしまうという感じです。これは体験したことのある人にしか分からないかもしれませんが、本当にフラグが立つような感覚です。神(か悪魔)が裏でフラグを操作しているのが何となく分かり、「あ、今フラグ立てたな」というのが気配で感じられます(あくまで個人の感想です)。

この「努力に見合った対価が必ず得られるとは限らない」という実感は、同業者以外にはあまり理解してもらえない事なのかと思っていたのですが、上で書いたサボローへの反応を見ると、そうでもないかもしれないと思いました。

とは言え、例えば学校の勉強とかは、そこそこ努力の量と成果が比例するものだと思います。ただそれは、あくまで学校の中での成績の話。あとは、スポーツなんかも、努力の量に見合った成果が出る部類かと思います。ほかにも絵のうまさとか、楽器の演奏の上手さとか、ゲームの腕前というのもそうかもしれません。ただしそれは、努力の結果として得られるスキルの話です。スキルはある程度努力の量に応じて上がるかもしれません。でもお金としての対価を考えた場合はどうでしょうか。めちゃくちゃ絵が上手くてお金を稼いでいる人もいれば、めちゃくちゃ上手いのに稼げてない人もいます。ギターをめちゃくちゃ練習して上手くなっても、ギターだけではあんまり音楽として成立しないので、たいていバンドに所属すると思います。そうなると、お金を得られるかどうかはボーカルの人のルックスに左右されるかもしれません。あるいは極端な例で言えば、木根尚登のようにエアギターで貫きとおす人もいます。

なので、お金と商売に関しては、努力の量と得られる対価の間には何の関係もないような気がします。

結局のところ、努力は必ず報われるとは限らない現実がある以上は、死なない程度の必要最低限の努力だけしていればいいんじゃないかと思います。でも人によってはそういうのは努力と言わないかもしれないけど。

世の中で成功しようと思ったら何が必要なのか?それはもう「」ということでいいんじゃないでしょうか。そういう風に割り切ってしまった方が精神衛生上よろしいような気がします。でも、たまたま運が良くて成功を手にした人の中には、それが運ではなく努力の賜物だと勝手に思い込んでいる人もいます。そういう人が成功してない人に対して「君たちは努力が足りない」とか言ったらそれは皮肉でしかありません。世の中にはいくら努力しても結果が出ない人もいるんです!努力が足りないんじゃなくて運が足りないだけなんです。

かくいう私もこれまで副業でスマホ向けのアプリを何個も作りましたが、なんぼ頑張ってもさんざんな結果に終わっています。一つもヒットしたアプリがありません。苦労して作ったアプリもあれば、片手間で適当に作ったアプリもありますが、結果としてはどれも目くそ鼻くそです。(あくまでこれは副業の話で、本業の方では死なない程度に努力して、なんとか死なない程度の収入を得ています)

長々と書いてきましたが、ようやくここでもう一つの本題に入ります。今まで私の作ったアプリは結果としてみれば全戦全敗ですが、性懲りもなくまた作ってしまいました。その名も「ブラック企業レヴォリューション」。とりあえず現在Android版のみですがGooglePlayで好評配信中です。

ブラック企業レヴォリューション

このアプリは、「放置型RPG」と呼ばれるジャンルのゲームです。放置型RPGというのは自動探索型RPGとも呼ばれますが、要するにRPGの中のダンジョン探索と敵との戦闘の部分を全部自動化したゲームです。武器防具の装備とパーティーメンバーを設定して行先のダンジョンを選べばあとは勝手にゲームが進行するというすぐれものです。

私はこの放置型RPGというタイプのゲームを知ったとき、非常に優れたアイデアだと思いました。私はそもそもRPGが全く好きではありません。何故かというと上で書いたように私はサボローの側の人間なので、RPGのなかでダンジョンを歩き回って、何回も何回も敵と戦闘して経験値やお金を貯めるというような作業が嫌で嫌で仕方なかったのです。でも放置型RPGではその辺のめんどくさい部分を全部自動化してあるので非常に楽ちんです。これは目から鱗でした。ダンジョンを歩き回って何回も敵と戦闘するというのは、「機械で置き換えられる事が可能な労働」なわけです。これはなかなか理に適っていると思います。めんどくさがり屋の人間にもRPGが嫌いな人にもお勧めできますし、何だかんだでRPGのテイストは色濃いのでRPG好きにも勧められる代物です。

そしてこの放置型RPGの黎明期に、自分も一つこのジャンルのゲームを作っておこうと思って作ったのが、「モヒカン黙示録」というゲームです。もちろん全然人気が出ずダウンロード数も伸びなかったのでここではさらっと流しておきます。この「モヒカン黙示録」に続くシリーズ第2弾という形で今回「ブラック企業レヴォリューション」を作りました。

タイトルの通りブラック企業がテーマのゲームです。私はこういうアプリを作る場合は、まず初めにアプリ名とアイコンを考えます。何故かというとスマホアプリの場合、ユーザーが一番最初に目にするのはアプリ名とアイコンだからです。なのでインパクト重視で「ブラック企業」という言葉を入れ、こちらを凝視するおっさんと目が合うアイコンにしました。そしてタイトルとアイコンを考えてからゲームの内容を考えていったわけです。

ブラック企業と言われて真っ先に思いついたのが、以前私が勤めていた会社です。この会社では、いくら努力しても給料は上がらず、そして社員たちがいくら頑張っても会社の利益も上がらないという状況でした。そんな当時の会社の経営状態を思いだしながら、ゲームの中でそれを再現してみよう!と思ったわけです。

放置型RPGの良いところは、普通のRPGではあまり見られないような仕様を盛り込んでいろいろと実験的なゲームシステムを作ることができるところです。

普通のRPGでは、敵と戦闘して勝つとお金が貰えます。敵は無尽蔵に出てくるので、いくらでも時間をかければいくらでもお金を稼げることになります。つまり努力すればするほど、努力の量に応じて報酬が得られる世界です。それではブラック企業の経営状態は再現できません。なので、今回このアプリでは、敵を倒してもお金が得られないようにしてます。(ちなみに前作やその元になった放置型RPGでは、そもそもお金の概念がなかったりします)

このゲームでのお金の入手は、ダンジョンのクリア時の報酬という位置づけにしました。ダンジョンを探索して、パーティーが全滅せずに無事クリアすれば報酬が得られ、途中でパーティー全滅した場合は報酬は得られないという形です。これは前述のとおり昔働いていた会社の業態をシミュレートしているので、一つのダンジョンが一つの仕事の案件のメタファーになってます。当時の会社は典型的な人月商売の会社だったので、それをゲームに反映してダンジョンの探索を人月商売で請け負うという形のゲームになっています。

人月商売というと、例えばソフトウェアの開発の場合、取引先から「これこれこういうのを作ってくれ」という依頼がきて、それに対して「だいたい5人で取り掛かって3カ月くらいかかりそうだから15人月かな」という具合に見積もりを作成し、話がまとまったら開発がスタートというようなイメージで、実際に見積もりの範囲内で開発が終われば利益が出るように見積もりをするというのが普通ですが、その当時の会社では、何故か案件の話が持ち掛けられた時点ですでに予算と納期が決まっていて、予算と納期と今空いている人員から適当に逆算して人月を出したりもしてました。

それでまあ、大抵のブラックIT企業というのは、例えば開発が始まってから見積もりの時より人員を減らされたり、開発開始が遅れたのに納期が変わらなかったり、一人の人間に2つ以上の案件を掛け持ちさせた結果キャパシティをオーバーしたり、あとは単純に案件が自然発火して炎上したりと、ありとあらゆる原因を駆使して当初の見積もり通りに開発が進まないようにする謎の力が働いているわけです。

ただ、ゲームの中ではそこまで複雑な要素は今回は入れていないです。ブラック企業のシミュレーションとしてどこまでリアリティを持たせるかということを、開発中のギリギリまであれこれ考えていたのですが、結局やりすぎるとめんどくさいゲームになるし、何よりもブラックなIT企業の経営を本当に忠実にゲーム化したら、難易度が高すぎてすぐに詰んでしまうだけのただのクソゲーになってしまうので、最終的にはゲーム性を優先させる方向に寄せていきました。何だかんだで、放置型RPGというのはゲームとしてシンプルさがあると言うところに魅力があると思うので、出来るだけシンプルさを殺さないようにはしました。あと、前作「モヒカン黙示録」があまりにも難しすぎてクリアできないといろんな人から言われたので、その反省もあって今回は割と難易度低めにしてあります。一応クリアできるはずです。多分。

とはいえブラック企業のテイストを味わってもらう程度の、若干のクソゲー感は残してあります。

まあともかく、このゲームの根本的な発想は、敵を倒すたびにお金を得るのではなくて、人月商売でお金を得る形にすればブラック企業の経営を再現できるんじゃないか?という所なわけです。でもこれはゲームの売りの一つの面でしかありません。もう一つの売りは、タイトルとアイコンを見てもらえばわかると思いますが「徹底的なネタゲーム」だということです。スマホのゲームと家庭用のゲームの大きな違いは、スマホではネタゲームの存在がそれなりに許されているという事です。でもスマホのネタゲームって、ほとんど「出オチ」みたいなネタばっかりだと思うんですが、このゲームは最後までギッシリとネタが詰まっています。前作「モヒカン黙示録」もネタ満載だったんですが、かなり散漫なところがあって人を選ぶものだったので、今回は反省を生かしてちゃんと前フリやオチのあるネタを重視するようにしました。今作では吉本新喜劇のようなコント仕立てのストーリーを用意してあるので、それを中心にネタが展開していきます。私としてはクソ真面目なゲームを作るつもりは全くなく、むしろ笑いをゲームの中核にしたいのです。

というわけで、長々と自分のゲームの宣伝を書きましたが、最後にちょっと本題に戻りましょう。

今までこの仕事をしてきて、例えば3日かかっていた作業が30分で終わるようになったり、一方では3カ月で終わるはずだった仕事が1年かかったりするような現象を見てきて、やっぱり努力とその結果には相関性は全然ないなと常々思っていたわけですが、改めてこのブラック企業全盛の時代では、必要最低限の努力だけにとどめておくというのは生きる知恵なのかもしれないと思います。

あと私が子供のころから全く理解できなかったのは、RPGでレベル99まで上げないと気が済まない人たちが存在するということです。本当に理解できないので、そういう人たちに対しては必ず「なんで99まであげるの?」と毎回聞いてきたのですが、ついに今に至るまで納得できる答えが得られたことがありません。おそらくこれについて突き詰めて考えると、その人の生まれ持った性質がSなのかMなのかという所に行きつきそうな気がするので、これ以上考えないようにしようと思います。