来るもの拒まず 来ぬもの引き摺り下ろさず

久々にnoteを開いたらなんだか書けそうな企画ものがあったので、便乗しようと思う。
noteを開いたのは別のことを書こうとしたからだが、まあ、そんなに重要な話でもないのでまたの機会に。

趣味:おえかき

私は絵を描くのが好きだ。でも別に絵を描きたくなって絵を描き始めたんじゃない。気がついたら、暇があれば紙と鉛筆を持ってきて、机に向かって何かを描く、というのが私の中では自然なことだった。

紙はなんだってよかった。
実家にいた頃は、親が幾らか古い人間だったので、何かしらのメモを取る用の、裏紙をハガキ大に破ったものが常備されていた。
左手でそれを一枚引っ張り出して、右手に筆記用具を握って、食卓のテーブルの父親の席を陣取って、絵を描いた。

少ししっかりした絵を描きたくなったら、自分の部屋にコピー用紙の裏紙が大量に取ってあったのでそれを使った。個別指導でプリントアウトされたもので、片面どころか物によってはほぼ両面が無地だった。
シャーペンで描き、気が向いたら写真を撮って、Twitterに載せた。

高校生くらいになってくると、ペンタブを買い与えられたのでパソコンで描くようになった。それでも自室の机は奥行きがあまりなかったので、やはり食卓のテーブルに陣取って、描いた。

今回はそんな私のお絵かき事情について、拙筆ながらお付き合い願いたい。

きっかけはいつも突然

さあ絵を描こう、と思ったことはない。
というか、何て言うんだろう。絵を描くことが目的だったことはない、と言うのが厳密だろうか。
他人に頼まれた場合と年賀状のデザインを除いて、絵を描くことが第一目標になったことは、多分殆どない。
いつもいきなり頭の中に絵にしたい情景が浮かんで、その瞬間に手が空いていたら、それを描いていた。

例えばPokémon GOが流行った時、御三家ポケモンがじゃれあってる姿が「降りて」来た。だから描いた。

ブイズもそう。

あと、金曜ロードショーで千と千尋の神隠しが放送された時も、思い浮かんでしまったから描いた。

デジタルの絵も大体は構図が降りてきたものだ。夏に暑くてたまらなかった時はこんなのを描いた。

他にもたくさん描いたが、どれもこれも絵のイメージが先にやってくる。絵を描くモチベーションはその後だった。だから私は、絵の構図を「迎えに」行ったことがほとんどない。
試みたことはあるが、まあついてきてくれない。迎えに行って絵になった作品、多分ないんじゃないかな。

作曲家の言葉

以前なんかの番組で、ある作曲家——勿体ぶるほど小物じゃないので言うが、久石譲さんがこんなことを言っていた。

私は曲は作っていない。曲の方からやってくるから、私はそれを書き留めているだけだ。

うろ覚えだから文体とか一人称はこんなんじゃないと思うが、内容はまさにこういうものだった。テレビを見ていたカシロキ少年は「はァ〜〜〜???????????????????向こうからやってくるだァ〜〜〜〜?????????????????????天才もほどほどにしろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」とブチギレていたが、3回まわってワンと鳴き10分の瞑想をしてゆっくり茶でも点てて枯山水の美しさに想いを馳せてからよく考えてみれば、私の絵に対する姿勢もなんら変わりないことに気づいた。
構図は向こうから勝手に降りてくる。
私はそれをキャンバスに写しとるだけ。

なんか、、、、天才みたいで嫌だな、、、、、、、

でも多分、創作活動ってそういう物なんだと思う。
0から1を作り出す方法は無限にあるから、迎えに行くなんて到底できっこなくて、
向こうからアイデアとして頭にポンと浮かんでくるのを、根気強く待つしかないんだろうと思う。

私は多分、その待ち時間が他の生活の時間になってるから、待たずに構図が浮かんでいるように傍目からは見えるのかもしれない。

デメリット:遅筆

ただ問題点が一つあって、向こうが降りてくるときしか絵を描かないから頻度が著しく低い。そして絵以外のこともやるから、私のTwitterは絵師のそれでは到底ない。

先日「絵師として有名になりたいのに画像欄に絵が全然ないのはどうかと思う」みたいな意見を言われた人がいるっていう話を聞いたので、多分私は絵師として認識されていない。
絵師を名乗れない。エセ絵師。

あとは自分のところに自分からやってくる構図を描くという性分なので、人が持ってきた構図を描くのに慣れてない。多分依頼とか受けれない性格だなって思う。

だから、というか依頼を取れる性格だったとしても、私は絵を仕事にする気はない。
自虐的に言えば、金を取れる技量じゃないから。
本音を言えば、趣味はずっと趣味のままでいいから。

誰からも対価を受け取らないうちが、一番楽しいんじゃないかって思うから。

おわりに

なんの話かわかんなくなってきたからこの辺で締めよう。
私は仕事をしていない(学生)身なので趣味について書くしかなく、趣味に舞台裏も何も……全部表だが……?みたいな顔をしていたので、そういえばあまり表立って発信したことがなかったな、ということで「構図がひとりでにやってくる主義」の話を書いてみた。

私は別に絵に限らずいろいろ趣味で創作をしているのだが、やはり絵だけでなく曲にしろ文章にしろ、向こうからやってきた時に形にしている気がする。
作品の方から「形にしてくれ」ってわざわざ出てきてくれたんだもん、形にしてやらなきゃ不親切だろう。

芸術は芸術そのものが主人公で、創作者は粘土なり轆轤ろくろ台なりに過ぎない、という考え方も、この姿勢に一役買ってるのかもしれない。芸術のしたいように、なりたいように作品になればいい。
我々人間は、芸術の意思に反してそれ変質させられるほど偉くないので。

#わたしの舞台裏

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