掌を返す

おはようございます。八田灰景です。
最近研究が思うように進んでいなくて若干病んでいます。年末あんなに控えていたAPEXをここ数日毎日やっています。

今から根も葉もないことを言います。根と葉がないものを見ると生命維持活動に重篤な支障をきたす恐れのある人は読むのをやめてください。





いい?言います。

掌を返す能力って重要なんだなあ

古今東西、東はキリバス西はニア諸島、北はイルクーツク南は昭和基地まで、ありとあらゆる地区と時代で「掌返し」は怒られ案件です。別に怒られなくてもすごい目で見られます。あの小早川なんとやらも、東軍に寝返って石田三成にさぞすごい顔をされたことでしょう。

だからみんな掌クルーを嫌います。自分がするのも嫌な人が「正常」と見做されます。当然ですね、信頼を弄ぶことに他ならないので。ア、このへんはあまり強い言葉を使うと怒られるので、藍染隊長を呼ぶのはやめてください。

でもこれ、心の健康のためにはそこそこ大事なんじゃないかって最近思うようになりました。

VS理想マッチ

基本的に人間は何か理想を持って生きています。これは別に何でもいいです。新宿あたりに自生している高意識人(いしきたかいんちゅ)は、一攫千金だとか世界を変えるとかカンボジアに学校建てるとかSDをGするとか言います。私八田のような者は「マックの期間限定バーガー食べたいな」とか程度のことを考えています。そういう意味で、一切理想がない人は多分いないと思います。

しかしその理想は往々にして我々に牙を剥きます。一攫千金したい人は事業に失敗するし、世界を変えたい人の声は雑踏に埋もれて届かず、マックは外食ですからお財布が痛みます。要は理想って、私たちを攻撃してくるのです。

何も理想が悪いなんてことはありません。たまーーーーーーーーに機嫌がいいと本当に夢を見せてくれます。営業がうまくいったり、ちょっと名の知れたカンファレンスに出席したり。サムライマックのトリプルベーコントマトはめっちゃ美味かったです。マックは夢しか見せてくれんけどね。ただその夢を見るまでに多かれ少なかれ悪夢がある。これ、まあしんどいと思うんです。

で、ここまでが世に言う理想一般の話。ハードルが高ければ見る悪夢も増えます。そこはこっちで調整してやれば、飴と鞭の比率はある程度はいじれるでしょう。ただ、「広義の理想」まで考えるとその例から漏れるやつが出てくる。

「こうありたい」ではない理想。

「こうあるべき」という理想です。

義務的な理想はタチが悪い

何でもいいです。親・親類の期待、周囲の羨望、締切、信条…。そういう外部が絡んでくる「理想」が私たちを蝕みます。少なくとも私を。困ったねえ。エ?信条は外部じゃないじゃないかって?信条って自分の中に基準を飼うことだと思いますが、その基準って自分の心自身ではないので、ここでは外部です。異論は認めるので後で旧校舎裏に来てください。

そういう理想と、現実の自分のギャップってあると思います。そのギャップは、外からは知らんが自分からすれば嫌でも目につく。父親が立派なのに倅の俺はだとか、弟はしっかり者なのに兄の俺がこんなんでどうするんだとか。締め切りの話する?締め切り近いのにAPEXしてるとか…

(ここで心肺が停止する)

こういう、「こうあらねばならないのに・こうあって欲しいと思われているのに」「そうはなれていない」のコンボは心によく効きます。痔にボラギノール、風邪の初期症状にベンザブロック、頭痛にロキソニンがよく効くのと同じくらい。多分。で、多くの人は、私も含めて、特に外的要因が関与していることもあって「もっと頑張らなければ」という気持ちを、自発的半強制的問わず持つことになります。

そうして人は潰れていく

多分これで勝手に人って潰れます。だからみんな声をかけるのです、「もう十分やってるよ」「そんなに頑張んなくていいんだよ」とか。「逃げ出していいんだよ」とか。でもこれ、多分言うだけじゃ効かないです。

潰れかけの人は今、掌の上に身に余る分銅を乗せられています。そこへ「もうその分銅落としていいんだよ」と言っても、彼らはその落とし方を知らない。と言うよりは、落とすために掌を返すその動作が禁忌だと思っています。「これだけ期待されているから」とか「これは私が今までコツコツやらなかったのが悪いから」とか、そういう理由を勝手にでっち上げて自分に許される動作を勝手に制限している。

なるほど客観的に見たら当人に非がある場合もあるでしょう。夏休みの宿題を最終日にまとめてやるのは当初想定された夏休みの宿題の使い方ではないですからね。物によっては実現させないとならない理想もあるでしょう。卒研なんてのはその最たる例です。

(ここで心肺が再度停止する)

ただそこで「掌を返してしまう」のが「悪」だと思っているのと、一旦心の中で「もうやめた!掌クルー!」と自分を解放できるのとでは、心の余裕に天と地ほどの差があるでしょう。わからん、みなとみらいとスカイツリーくらいかもしれん。何も実際に投げ出せというわけではない。脳内ヴァーチャル世界でくらいは好き勝手しろという意味です。そうすれば人は潰れるのを先延ばしにできます。先延ばしにできれば、運良く潰れる前に理想が叶えば、その理想が理由で潰れることはもうないです。

掌をグルグルしろ

要は「心の中の掌をグルグルできるようにしておけ」ということです。「周りは期待しているらしいが知ったこっちゃねえや!」とか「俺は今日卒論の一文目の主語を修正したぞ!」みたいに、理想から程遠い状態にあっても、あるいは離れるような状態にあっても、その理想に直向きに向き合う姿勢を「掌返し」できるように心を持っておくのは重要だと思います。これを「メンタルよしよし」とも言います。理想、特に外的要因が絡むそれは我々の心に非常に悪影響を及ぼします。それをケアするためには掌がグルグル回るように、掌返しは悪くないんだぞと思っておくことが肝要。しらんけど。

おわりに

まとまりのない文章だな。三日ぶりに明日は家を出よう、バイトがあるから研究はしなくていいや!はいメンよし!以上、八田灰景でした。

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