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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

水星の魔女という作品

今興奮が冷めやらないので、書きます。
この記事は、機動戦士ガンダム『水星の魔女』のネタバレを含みます。見てない人は読まないでください。

OA当初は学園ものとして始まった水星の魔女。

ざっくり言えば、引っ込み思案のパイロット候補生スレッタマーキュリーが、モビルスーツ関連の技術や知識を学ぶ高専みたいなところに編入してわちゃわちゃするお話。

その中で、モビルスーツ産業を牛耳るベネリットグループ総裁・ダブスタクソ親父の娘ミオリネや、学園の仲間たちと出会い交流する中で、スレッタは徐々に社交的になっていく。







みたいな話だったじゃん??!!?!!?!?!?!?!???????!!?!?!ねえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



ハイ。

まあ実を言えば、当初からかなりきな臭かったですよ。ジェターク一派による総裁暗殺計画は前半ですでにお披露目されてたし。

でもさ、その時失敗したしさ、この話のトーンだからかなりいいとこまで行ってもどうせ失敗するんでしょって、感じじゃん。

全然そんなことないの、なんなの?視聴者をなんだと思ってるの、もっとぐちゃぐちゃにしてくれ、最高だよ


最後の2話くらいでのスピードが異常なんだよ。

いや違うな、最終話で全部持ってかれたよ。全部。腕以外。

それまでの空気に、この後の展開を匂わせる部分が全然ないんだよ。あったのかもしれないけど塩梅がうますぎて、全然気にする域までいかないんだよ。

学園ものだなって、思ってて、ちょっとスレッタとミオリネたちの間に亀裂が入って、でもすぐ埋まって、よかったねえって。ミオリネ可愛いじゃんって。

そこでテロリストが来るのも全然いいんだよ。いやスレッタたちにとっては良くないか。
でもさ、この流れ(暗殺計画)だったら来るじゃん。
シャディクの時間切り上げも想定内だったよ。よくある展開だよ。
学園のみんながさ、やばい戦争だって、慌てふためくのも当然だよ。そりゃマジの戦争に巻き込まれるなんて思ってないじゃん。

グエルだってあの状況だったらモビルスーツ奪ってでも出てくよ。
そんで、テロリストだと思われて攻撃されるよ。わかるよ。そりゃそうだよ。で、これでグエルやられちゃいかんから勝つでしょ。

でもだからと言ってさあ!??!??!!??!実父相手じゃなくてもいいじゃん!?!???!?!いや許そう。想像はついてた。

ただ、通信が通るようになって、グエルパパはこう言うんですね。

「無事だったか」って。

あんなにグエルを雑に扱ってたグエルパパですよ。でもこういう時って、優しい言葉をかけてくるのは定石ですよそれでも、私は!!!!!!!!!!ごめんね解釈違いの人いたら、私はね、

「強くなったな」みたいなね、こう、実父たる自分を超えたことに対する賞賛というかね、そういう感じかなって、ちょっと思ったの。あまりにも発言がさ、今までの発言がさ、実力主義っていうか、そういう感じだったじゃないですか。そう思ってたらこれだよ??!?!?!?!??父親の!!?!?!?!???セリフだよ!??!!!?!??!!?しかもこれが遺言ですよ。グエル、現実を認識して、助けようとするも、まもなくパパ爆散ですよ。グエルそんな、グエルもお父さんのことそんなに嫌いじゃなかったもんね、あんな仕打ち受けてたけど、最後まで言いつけは守ってたもんね。あの時のグエルの悲痛の叫び、非常にこう、体に悪くて健康にいいね。


で、次のやつが私的に好きポイント高いんだけど、
テロリストのモビルスーツちゃんが脱出用の船を壊そうとしてきた時に、実は色々手引きしてたニカ・ナナウラが間一髪で通信して事なき[諸説あり]を得たシーン。
ニカも、必死の思いでコールサイン打って、なんとか破壊を免れたわけだけど、それを見ちゃった寮長くんが「一体何をしたんだ」って。

そりゃそうなるよね、でもなんか、ここは構図の取り方もうまかったんだと思うけど、寮長もそうだけどニカの、どうしようもない焦燥って言うんですか、ニカは賢いから下手な言い訳は逆効果ってわかってると思うんですけど、それ故に次に取るべき行動がわからないあの顔、あの緊張感がすごくバチバチ伝わってきました。好き。


最後に、スレッタがエアリアルのところに来てからラストシーンまでのところですけど。
スレッタが来て、音立てちゃって、テロリストに見つかりそうになって、間一髪でプロスペラに救われるシーン。
ここ、実戦経験者とそうでない人の、引き金の軽さというか、覚悟の違いというか…覚悟っていうのは違うな、やっぱり引き金の軽さ、正確に言うなら「引き金を引く力の強さ」って言うんですか、これが出ていたように思うわけですよ。

スレッタは死んじゃう死んじゃうって思って息を潜めてるわけです。あの状況だから薄々わかってるんだと思いますよ見つかったら殺されるってことは。
でも、それでも、母親プロスペラとその側近がテロリスト4人くらいを射殺した時、目の前でその死体が転がった時、

スレッタは、助かったことに安堵する暇も、母親との再会に安堵する暇もなく、目の前に転がった敵が「死んでいる」ことに焦るんですよ。
スレッタが戸惑いながら、震えながら「死んでる」って言うと、プロスペラは口調も変えずに「死んでるわ」と言う。怖かったでしょうね、自分がそのおかげで助かったと言うことを考えても、自分が到底理解できない「殺人」を、信頼していた母親がこうも容易く成し遂げてしまうとは思っていなかったでしょうから。

でもプロスペラはそんなスレッタを励まします。
つい先刻電話で話した時のように。
貴方ならみんなを救える、貴方にしかできない。
半分呪縛のようにも聞こえますが、スレッタはこれで奮い立たされるのです。

でも、多分ここで、スレッタの中で何かが壊れちゃったんでしょうか。違うかな、押さえつけてしまったが故に、なのかな。
いずれにせよ、目の前で自分の母親が、自分を「守る」ために敵を「殺す」ことを厭わなかったのを、本来「そうしないと守りたい人が殺されてしまうから仕方なく」という消極的なイメージで捉えるべきところを、どっか歪んで納得しちゃったのか。

私には正確に推し量ることはできませんが、スレッタの場合、引き金が軽くなってしまったように見える。そして本人はそんなことに気づいてない。というか、引き金に軽い思いがあると言うことを知らないような感じさえする。

要は、プロスペラがしたように「引き金を引く」という行為を「する」という行動概念だけ納得しちゃった感じ。スレッタの中では、至極当然な思考回路の上にこの行動概念が乗っかってしまった。

そしてそのままミオリネを救いに行き、

ミオリネ——というか、ミオリネを庇って重傷を負ったデリングを殺しにきたテロリストを圧殺するわけですね。

その後の行動も含めて見れば、この時スレッタに「人を殺めた」という認識はあったのか、危うい。あったとして、この場面において、この瞬間において一切の罪悪感がないように見て取れるわけです。
ここでプロローグでのエリクト・サマヤがフラッシュバックしたんです、敵モビルスーツをボコボコにして彼女が言い放った「ろうそくみたいだね」とかいうセリフが。血は争えないというのか……

当然、ミオリネは安心するまでもなく恐怖するわけです。スレッタが、敵とは言え人を殺めて、しかもまあまあ残酷な方法で殺めているにも関わらず、笑って血染めの手を差し伸べて、助けに来たよなどと言い放つ姿を見て。
スレッタの手には、圧殺された敵の血溜まりに尻餅ついた後だったので本当に血がついてたわけですけど、きっとスマートに着地して手が汚れてないとしても、ミオリネの目にはその手が血に染まっているように見えたでしょうね。

ちょうどさっき、プロスペラがスレッタにしたようにスレッタはミオリネを助けて人を殺してみせ、
ちょうどさっきスレッタがそうしていたようにミオリネは殺人に対して恐怖する。

物語はこの瞬間までしか描かれていませんが、スレッタの素直さ、悪く言えばバカっぽさとは真逆に、ミオリネは聡く信念が強いですから、スレッタのようには殺人を自分の中で正当化できないでしょうね。なんならミオリネは目の前で実父すら失おうとしている。その状態であんなの見せられて平気なわけがない。

そうそう、途中までしか描かれていない結末としては、先述のニカ・ナナウラの件も、結局どうなったのか描かれませんでした。第2クールへ続くという感じでしょうが、私の個人的な見解では、もう一悶着あって落ち着いたという経緯がありつつ、物語の中で明治的には描かれないような気がしてます。わかんないけど。


まとまりのない文章でしたが、何が言いたいかというと、水星の魔女では一応学園ものという体で話がかなりしっかり作られていたので、最後に突然現れる「戦争」によって引き立てられる負の側面がより一層強く伝わってくるようになっていた。
ガンダムはハッピーエンドがないとはよく言われていますが、今回もその類に入るのかな、私実はガンダム初履修なんですよ。

で、これは私の見解ですけど、今回描かれた戦争の悲惨さっていうのが、我々日本人がよく言う「戦争の悲惨さ」とは別のベクトルであるように思うのです。

自分が戦争の、戦闘の当事者になってしまうことによる、要は、戦争が起こったらこんな被害が出てね…という受動的な悲惨さではなく、能動的な悲惨さ——自分が生きるためには殺さねばならない、殺す相手が誰であっても(グエルの件)、また誰の前であっても(スレッタ・ミオリネの件)、そうしなければ自分が、味方が死んでしまう以上相手を行動不能にすることしか考えられないしそうせざるを得ないのだと——そのために時には何かを壊してしまうしかないし、時には自分の友人の、家族の、何かが壊れてしまった、あるいは壊れる瞬間を目の当たりにするかもしれないという、「不可解な世界への強制的な曝露」に対する恐怖が描かれていたように感じます。

あと余計に後味を悪く(褒め言葉)しているのが、ミオリネとスレッタの仲が改善して、「私から逃げないで」って言ってたミオリネが、最後の最後に、スレッタを恐怖の対象としてさえ見ているという、残酷な構図ですよね。好き。

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