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自衛隊から自衛隊式組織作りメソッドを活かした起業チャレンジ(no.36)

プロフィール
三好 雄介さん
現職:えひめ中小企業研究所代表、えひめ農園副代表
自衛隊在職時最終役職:陸上自衛隊1等陸曹

経歴

ーー本日は退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、三好さんの経歴を教えていただけますか。

三好さん:まず自衛隊へは、家庭を持ったこともあり、大学4年時に陸上自衛隊へ入隊しました。

レアなケースですが、自衛隊は通年採用しているので、それができたんですよね。

新隊員教育を板妻で受けた後、愛知県の守山駐屯地の第35普通科連隊に所属していました。在職中、2011年の東日本大震災への災害派遣やハイチへのPKO勤務も行なっています。

教育隊で勤務したのち、地方協力本部で、広報官として勤務。主に募集業務に関わっていました。

未来の自衛官を募集したり、広報をしていたため、大変やりがいのある仕事でしたが、自衛隊以外の仕事の可能性も考えていたため、2020年に思い切って自衛隊を退職。退職後はまずスイーツ販売の会社で、店長兼営業部長をしていました。

そして、2021年に、えひめ中小企業研究所を創業。企業へマーケティングや教育研修、教育規則等のコンサルティングを行っています。また、農園を妻と共に運営し、ECサイトを通じて主に柑橘系のフルーツを販売しています。

大学在学中に入隊し、PKO派遣も経験した自衛隊時代

ーー在学中の入隊とは驚きました。ただ、公安系の仕事はいろいろありますが、その中で自衛隊を選ばれた背景を教えてください。

三好さん:入隊した背景は、家庭を持つため、安定した経済状態を得る必要があったことと、人のためになる仕事がしたかったんですよね。

そこで、公安系の仕事を考えていた際に、警察とか消防は、季節採用なんですが、自衛隊は通年で採用しており、すぐにでも仕事ができました。

また、何かあった時に大切な家族を守れる状況を自ら持ちたいと思い自衛隊に決めました。

そこで、愛媛県から神奈川県まで自衛隊を受験しに行き、無事合格。静岡県の板妻駐屯地で新隊員教育を受けました。

ーー大学は中退せず?

三好さん:よく聞かれますが、卒業しています。大学3年次までに単位はほぼ取れており、それも優秀な単位だったため、ゼミの教授からも許可いただき、入隊中に、卒業論文を出しに行く状況まで修了していました。

なので、掛け持ちも可能だったんです。そして、無事卒業論文でも単位を取得しました。卒業式は、奥さんと子どもを連れながら、自衛隊の制服で参加したので、大学同期には驚かれましたね。

ーー制服だと自衛官とすぐ分かりますね。新隊員教育を板妻で受けたのちは、どのようなお仕事でした?

三好さん:初任地は、愛知県の守山駐屯地です。普通科の通信小隊で勤務していましたが、途中に東日本大震災の災害派遣やPKOでハイチへ派遣されたりした後に、募集業務に関わりたいという思いから、希望を出して、愛媛の地方協力本部へ転属になりました。

地本の業務は、自衛官候補を発掘するという任務のもと、隊員の募集を高校や大学の就職説明会で説明をしたり、学校の先生と連携して、自衛官へ興味ある学生をある意味、口説き落とすのが仕事です。

地方協力本部の広報官業務の経験

ーー自衛隊の定員充足が難しい中、大変な任務でしょうね。

三好さん:そうなんですよ。結構泥臭い仕事で、ある意味、民間企業でいう営業に近いと思います。

営業に近いので、口説き文句もあります。

「入隊すると、人生が変わるきっかけになる。」

と伝えると、進路に迷っている生徒の多くは、目の色が変わって肯定的に自衛隊を捉えてくれたのが印象的です。

もちろん、きつくて、しんどい期間でもあるとも伝えていましたが、それも良い経験になるよねと肯定的に捉えてもらっていましたね。

海外の軍人は周りから敬意を持たれてると実感したPKO派遣

ーー三好さんは説得が上手そうです。現場勤務の時の思い出やエピソードがあれば教えていただけますか。

三好さん:自衛隊の場合、正直毎日がエピソードだらけですが、強い思い出といえば、PKOのハイチ復興支援業務でしょうか。2010年に発生したハイチ大地震災害に対する緊急の復旧、復興、安定化に向けた支援をするために被災地の復興支援業務に行きました。

復旧作業自体は、施設科が主担当になります。僕は普通科だったため、施設科が行なっている作業の周辺警備が任務でした。

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