生きる価値があるかないかという疑問について

生きる価値のある人間というのはどういう人間だろうか?

・スポーツが得意な人間?
・お金持ち?
・ビジネスで成功した人?
・美男美女?
・社会的影響力のある人?
・何かスゴい技能の持ち主?

他にもいくらでも思いつくけど、こういう人は全部相対的な評価だということ。

つまり、比較対象がいないと価値の有無は判断できない。

凡人と比較するから天才で、善人と比較するから悪人と言える。

善悪の判断は、何らかの判断基準があればこそ。

平均というのは全員同じレベルでなければ平均より上の存在と平均より下の存在がいるということ。

残念ながら人間には何らかの優劣があるので平均以下でも存在を否定できない。

ある企業の成果報酬制度におけるB評価要員。そういうもの。

仮に(一種の優生論的発想で)平均以下の存在を排除したとする。すると残りの集団の平均レベルは上昇し、平均以下の存在が生まれる。

そしてもう一度平均以下を排除すると、どんどん集団の規模は少なくなる。その先には衰退しかない。もちろんどこかから補充すればいいのだけど、やはりもともとの構成員の何人かははじき出される。それが今のアメリカではないかな。

生物としての多様性がどうのとか、将来の環境の変化がどうこうというのは無視しても、やはりある程度は比較対象としての「普通」と「普通以下」が必要。

現代の価値観は結局、相対評価だから。最低限の「衣食住」以外のモノの価値というのは他人がいないと意味がないもの。

そういう訳でものすごく自分に自信がない人間でも、すくなくとも社会に所属しているだけで価値がある。

仮に特定の人間ないし集団に生きる価値がないというなら、安楽死ぐらいはさせてくれてもいいんじゃないかな。

人の存在を否定しつつ、かといって自分の手を汚さないというのはフェアじゃないよね。

ニートでも無職でも寝たきりでも、相対評価の底辺だとしても価値があるということ。そういう訳で、まあどうにか生きていくしかないのではないですかね。

P.S. この文の著者はベーシックインカムの支持者です。


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