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藤枝MYFC戦に向けて

今回は、プレビューという形式ではなく藤枝というクラブを紹介しながら思い出を語ろうと思う。
これを書こうと思ったきっかけは、藤枝の須藤大輔監督は私にとって特別な人物であるからだ。
また、ヴァンフォーレ甲府を好きになったきっかけを書いている方がいらっしゃって、その文章に惹かれたこともあり自分も書いてみようと思った。

私がヴァンフォーレを好きになって約20年、ヴァンフォーレで最初に好きになった選手が須藤大輔であった。
そして、須藤監督のサッカーに魅せられたのがガイナーレ鳥取の監督に就任した2018年。
現役時代に見せた熱く、戦う姿そのままに現役時代とは違ったテクニカルなサッカーは私の心を熱くさせた。
鳥取に通うことは現実的では無かったため、DAZNで毎試合追い掛けていたのを覚えている。
そして、2021年に藤枝の監督に就任するとより魅力的なスタイルとなり観戦する熱量も増した。
都合が付かず、多くの試合に訪れることが出来たわけでは無かったが藤枝にも足を運んだ。
その須藤大輔が小瀬に帰ってくる。

1.ヴァンフォーレとの出会い

最近、ヴァンフォーレを好きになったきっかけを投稿する方がいて私も便乗してみたいと思う。
同時に、他の方がどういったきっかけで好きになったのかにも興味がある。
ヴェルディ戦で出会った方に好きになったきっかけを尋ねたら、山梨に生まれた訳でも無く住んでいた訳でも無いが知り合いに勧められて嵌り、毎年の味スタ開催を楽しみにしているという方がいた。
私は山梨で生まれて、山梨で育ったためヴァンフォーレを愛することは何もおかしなことでは無いと思っているが味スタで出会った方のような人もいるのだなと感動した。
では、そもそも何故自分はヴァンフォーレに嵌まったのか。
元々、初めての観戦はヴァンフォーレが見たくて小瀬に行ったからでは無い。
最初に観戦に訪れたのは、2002年9月のセレッソ大阪であったかと思う。
きっかけは日韓ワールドカップで活躍した森島寛晃(現:株式会社セレッソ大阪の代表取締役社長)を見たくてだったと記憶している。
ワールドカップで小さくて坊主の選手が、躍動している姿に心を揺さぶられ見たい!と思い小瀬に行った。
残留ながら森島選手は出場せず、そこからヴァンフォーレを見に行くことは遠ざかった。
次に訪れたのが、2005年10月の横浜FC戦。
今度は三浦知良選手が見たくて観戦に訪れた。
しかし、今度は私を惹きつけたのはヴァンフォーレの存在であった。
勝利は出来なかったものの、14000人を超える観衆を集めてこんなにワクワク出来る空間が存在するのかと心を掴まれた。
それでも私の関心はセレッソ大阪の方が強かった。
その年のセレッソ大阪は最終節を引き分け以上でJ1優勝が決まる状況にあった。
結果としてFC東京に敗れて優勝を逃すこととなったが、テレビに齧り付いて必死に応援をしていたことを覚えている。
その4日後、私の気持ちが一気にヴァンフォーレに傾くこととなった。
J1・J2入れ替え戦である。
J1柏レイソル相手に戦った入れ替え戦で、私のヴァンフォーレ人生は始まったと言って良いかもしれない。
その時の熱気はもちろん、試合中に停電を起こす一大事。
エンタメとしての面白さが詰まっていた。
停電は今後、あってはならないことだが全国のサッカーファンが注目する一戦で停電を起こすって面白くないですか?笑
日立台での2戦目は当時、良くわからなかった私にはあまり関心度は高く無かった。
だが、衝撃的な勝利を挙げたことはわかった。
昇格はしたものの、昇格して無くても翌年から通っていたかと思う。
そして、昇格初戦の清水エスパルスとの開幕戦。
あの時の小瀬の雰囲気は今でも忘れられない。
これがJ1なのか。
この雰囲気を毎試合味わえるのか。
ワクワクしたのを覚えている。
なので、私は観戦した試合に恵まれていたなと思う。
いずれも13000人以上の観衆を集めた試合。
熱気や観衆の数は今とは違ったと思う。
あの時、見に行って良かったと今は思う。
そうで無ければ、今の自分は無かったわけだから。
そして、再びあの日常が当たり前になることを願い、自分ができる発信は続けていきたいと思う。

2.須藤大輔との出会い

ここまで、須藤大輔は出てきていない。
明確にいつから好きになったかは正直、覚えていない。
おそらく、J1で2年目の2007年だったかと思う。
大エースバレーが移籍し、新たに獲得したアルベルトが低調。
そんな中、ナビスコ杯で得点王を獲得する活躍を見せた。
中でも準々決勝の川崎フロンターレ戦では、ハットトリックの活躍で夢を見させてくれた。
初めてサインを貰ったのも須藤選手であった。
試合前に歩いている所を一生懸命話し掛けて、サインを書いて貰ったことを覚えている。
前線で身体を張り、熱く激しく戦う姿はまさに漢。
当時の大木武監督のクローズと言われる、足下で繋ぐスタイルにはフィットしていたとは思えないが、須藤大輔にしか出来ない戦い方でヴァンフォーレの得点源として活躍していた。
サッカーは皆こぞって技術を磨くが、技術が無くても戦う術がある。
サッカーにはいろいろな戦い方があることを知ることが出来たことが、その後のサッカー好きに繋がっていると思う。
そして2018年にガイナーレ鳥取の監督に就任することとなった。
須藤監督なら熱く激しく戦うチームを作るはずだ。
そんな想いで見ていたが、その通りであった。
想像と違ったのが、大木武監督の意志を継ぐかのようなテクニカルなスタイル。
須藤監督がパスを繋ぐサッカーを指導するのは、少し意外であった。
というより、自分が得意としていたものの指導のが上手くやれるのでは?と考えていたが少し違ったようだった。
ヴァンフォーレを応援するきっかけとなった大木監督のようなスタイルは、あの時の思い出が蘇るようで見ていて藤枝のサッカーは個人的に大好きである。

3.藤枝MYFCの歴史

せっかくなので、藤枝というチームも紹介してみたい。
設立は2009年。
そこからわずか5年でJリーグまで駆け上がった。
藤枝MYFCの「MYFC」とはわたしの(MY)フットボールクラブ(FC)に由来する。
当初の藤枝は「ネットオーナーシステム」という、ネットオーナーによる議論・投票により、戦術・運営・強化方針・人事などを決定していた。
現在は「ネットオーナーシステム」も廃止されているが、日本には例を見ない珍しいクラブであった。

Jリーグに上がってからの藤枝はJ3で中位から下位を彷徨うクラブであったが、2018年シーズンの途中から監督に就任した石崎信弘監督(現:ヴァンラーレ八戸監督)の元、2019年に過去最高の3位に躍進する。
J2ライセンスを持っていなかったため、昇格の可能性は無かったが2位群馬と同勝点とJ2が現実な目標となる。
翌年、暫定ながらJ2ライセンスを交付されるも昇格争いには絡めず。
2021年には地元出身の倉田安治監督が就任するも、成績が振るわず退任。
後任に選ばれたのが須藤監督。
これがクラブにとって大きな転換期になる。
ここから藤枝の躍進が始まる。
昨シーズンは「究極のエンターテイメントサッカー」を目指して始まったシーズン、魅力的なサッカーを展開しながらいわきFC、松本山雅FC、鹿児島ユナイテッドFC、FC今治、カターレ富山といったクラブとの熾烈な昇格争いを制して昇格を勝ち取った。
須藤監督だけでなく、養父雄仁コーチ(2010〜2011年所属)、阿部謙作GKコーチ(2003〜2009年所属)、昨年まで所属していた岡西宏祐選手(2013〜2022年所属)とヴァンフォーレに縁がある人が多くいる。
馴染みの人も多くいるだけに楽しみにしている人も多いだろう。

今シーズンはJ2に静岡のクラブが3チーム所属することとなったが、藤枝は清水エスパルスやジュビロ磐田といったJリーグを代表するクラブにも負けない魅力がある。
また、藤枝の街もサッカーが日常に溢れている印象を受けてサッカーのまちを謳うだけの場所だなと感じた。
他クラブのサポーターの方には是非、藤枝にも行って欲しいなと思う。

4.あとがき

今回はあまり構成とかは考えず、熱量で書いた。
皆さんはなぜ、今の応援しているクラブを好きになりましたか?
教えていただけると嬉しいです。

ヴァンフォーレはまだ、勝てずに苦しい今シーズンだが今節は須藤大輔の凱旋と個人的には楽しみな一戦。
横山暁之選手、久保藤次郎選手、渡邉りょう選手と注目タレントも多くいる。
魅力的なサッカーも楽しみであり、ワクワクしている。
勝てれば最高だが、この試合を見られるだけで幸せだ。

いつか須藤監督が率いるヴァンフォーレ甲府を夢見て、今回は終わりにしたいと思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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