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失敗と事故から得た「声の未知なる可能性」

前回の「ボイストレーニングについて」
では、心身の健康開発、維持、高齢者の方々の生活の質の維持としてのボイトレにも力を入れていきたい旨を書きましたが、ここで
あらためて、私自身が身体と心と声の在り方をなぜ、追求することになったのか?経験から書いていきます。

声楽の世界、私はオペラを専門に学んできて
若いうちにオペラを生んだイタリアに行ってみたくなり、熱意と勢いだけで渡伊🇮🇹
3年後、帰国し 公的なオペラデビューをしたのは、30歳を過ぎていました。
音楽の道は非常に厳しい.. 当然ながら華やかに見える舞台も準備期間に相当な労力をかけて成り立つものであり、効率よくは行かない。また「女声」はどうしても数のうえでも残っていくのは厳しい世界。
それでも30代は身体も声も、良い具合に成熟過程にある頃であるので、やればやるほど成果が出る時期でもありました。

時を経て、スポーツ選手もそうであるように身体能力の回復は遅くなるように、年齢とともに筋力も声も落ちてくる。
40代頃になると、周りにもどんどん若手の才能のあるひとが現場に増えてくる。
表現としての経験値も増えてくるのに反して、声に変化を感じてきた...見てみぬふり、勢いでなんとかごまかす、と過ぎていき「これではいけない、、」と迷い始め数年後、「音声がだせなくなる」状態に。
咽喉が機能しなくなった。 オペラ一冊2時間以上の演目を暗譜し演奏していたの自分はどこに行ってしまったのか...まるで停止状態に。

この状態を、機能性発声障害または、
【フォーカル ジストニア】という。昔は認知すらされてなかったと思います。
器質性障害(ポリープ、結節、炎症)と違い、医学的に確立した治療は、まだ無いのではないでしょうか。
歌なら声、ピアノなら指、と演奏で動かす部分に不具合がでる。
スポーツの世界は【イップス】という名で
周知されてきているだろうか。

繰り返し動かし偏って使っていた
筋運動と、神経経路の
誤作動ともされているが、原因も様々。

プロの場合は、ひどい場合には
そのまま引退もありうるでしょう..
個人差により症状の出方も違うこと。
それを診断できる医師も、日本はなかなか居ない、というよりはっきり診断はされない方が多いのだと思う。なぜなら、演奏もスポーツも、実際に経験していないとどのような深刻な状態かは医師には分からないし、診断をすれば、治療をする責任があるのだろう。
私が知る限り殆どのケースは「年齢のせいに..」しておく、ケースが多いと思われる。

このことをきっかけに、「声とはなんだろう」という...原始的で当たり前すぎて考えもしなかった問い。わかっているようで、わかっていなかった自分を恥じた。

そこから、解剖生理学、基本的な身体に負担のない在り方、
アレクサンダーテクニーク、などを学生に還ったように学んだ。
人の声は、時にオーケストラをも超えホールを満たすような声も生む反面、精神的ストレスや焦りで、全く機能しなくもなる繊細な器官でもあるのです。

素晴らしい音楽作品、特に私がレパートリーとしていたオペラ作品には伝統的に求められる音色というものがあり、その作品に私の声を近づけようと、無理し過ぎ合わせてしまったことも、過度な負担を声にかけてきたのも原因のひとつ、でした。
先ずは生理学的に理にかなった、そして壊さないメカニズムを知らないといけなかったのです。
この苦い事故ともいえる失敗から学んだことは、基礎にある程度の時間をかけること。
そこからは、どんなジャンルでも応用がきく。 目先ばかりの「美声」よりは、内部から湧き出る自分の声を、大事に磨く。
でてきた声の、良し悪しを矯正するより、
ルーティン練習を繰り返し行う前に、「なぜその練習が必要なのか?」を思考すること。新しいやり方を自分自身に許すこと。

これにより、とてつもない大きな発見がありました。年齢だから歌えないは、無いのです!
57歳となった今でも、まだ深掘りしたいことがまだまだあるのです。

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