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エジプトに暮らして のこと 1


 そこに呼ばれる と聞くことがある。2012年わたしはエジプトの地を訪れた。きっかけはサイトで知り合った「この人は信用できる」と感じた男性に会いたい と決心した時だ。間もなく大した荷物も持たずに先ずはカイロへと飛んだ。ムスリムの習慣は実際に見てもいないし、そういうものを到底まだ知らない私の服装は"熱い国だし軽装でいいな"という安易なものだった。乗り継ぎ アレクサンドリアで出迎えた彼の家に向かう途中でまずかった、と気づく。彼は遠距離の日頃のスカイプ会話でも、エジプシャンでありながら、その慣習を他人、特に外国人に強いることには理不尽とまではいかなくとも 最初から必要はないというタイプだったので 知らなくてはいけない決まりごとを私は特別に確かめる事もなかったのである。エジプシャンの女性は敬虔であれば 夫以外の男性には"目"しか見せないのであった。

 さぁこれから私のエジプシャンに同調・共有する、という生活が始まる。彼は父親と兄を若くして亡くしママとのふたり暮らしで、新しい家族になる私を心底あたたかく迎えてくれた。特筆すべきは「初めて受け入れるひとに対してどこまで優しく無垢なんだ」ということだ。まさしく右も左も 分からないことだらけの私に最初に教えてくれたこと、それは食べ物だった。ハラルなので絶対に豚肉は食べない。エジプトの食事はどうなの?と思うかと予想できる 一部を紹介すると "美味しい"羊の煮込み、トマトとチキンのあれこれアレンジ、白いチーズと呼ばれる牛乳のフレッシュチーズとオリーブの実を使う朝の長いコッペパンを使うサンドウィッチ、米は鍋で炊きその時点でバター、塩を使う。「日本の米にはなぜ味がないの」と疑問らしい。名前は忘れたが、素晴らしい米があり、それを炊くとアパート中が薫り、うっとりするというものがある、その味は失礼ながら日本の良質の銘柄を完全に越える。ご存じのモロヘイヤの専用すりこぎはどの家庭にもある。新鮮な野菜を塩とオリーブオイル、ビネガーとクミンのみのカットサラダは必ずうちでは出ていた。大体の料理はクミンのアクセントが多い " 国民のパン " と呼ばれる1枚日本円で1円(いや何十錢)ほどのピタパンのようなものに午前中10時からみんな並び20枚ほど買う。それが普通の人びとの常食となる。そして男性が居ない場合の食事はファミリーと呼ばれる女性数人で顔も素肌も出して会食もする。私はそれも好きだった。彼は、というかエジプシャンは女性をそういう場所へと送ることを好む。コミュニティの薦めなのだろう。2週間で消えるタトゥーのような"ヘナの会"もある。ヘナという染料を使い器用にもそれぞれの個性で古代のアラビア文字を足や手に描く。ひと月に一度ほどの " お洒落 " として楽しみなのである。

 私はそれから2年間エジプトに暮らすこととなった。その間のムスリムの毎日の祈り(pray)について、そしてラマダンについて。書き伝えたいことは山ほどある。皆さんが「えーー!」って思う面白いエピソードもいっぱいある。私がどうやってアラビア語を覚えたとか、笑。もう一度続きを書いてみたい。何故私がエジプトに " 呼ばれた "のかを棲んでいた 美しい海のあるアレクサンドリアのアガミという町から💛


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