見出し画像

ダブリン残照

一時ダブリンが大好きで、一年に3回くらい通うというのを、数年続けたりしていた。

パブで知り合ったおじさんがダブリン出身だった。そのおっちゃんのおじさんがダブリンで一人暮らしをしていて、部屋がたくさん余ってるから、ただで泊めてあげられるし、伯父さんも客人がいれば気持ちに張りが出るだろう、という意図だった。

実際、遊びに行ってみたら、おじいさん(紹介してくれた人の伯父にあたる。)、おじいさんの息子でブーと呼ばれていたダブリン市勤務の公務員(ブーは紹介してくれた人のいとこになる。)、ブーの連れ合いのジュリーさん、ブーの息子、私が坊主と呼んでる子が一緒に住んでいた。それでも部屋は余っていたので、その部屋を使わせてもらった。

おじいさんはほとんどリビングでロッキングチェアーに座り、テレビを見て居た。時々、電子タバコを吸ったりお茶を飲む以外は動かず、テレビがつまらなければ、ラジオ、もしくは簡単な読み物が主な週刊誌を読んでいた。週刊誌はゴシップ系のものもあれば、宗教系のものもあり、ジャンル問わずという感じだった。

ブーの連れ合いのジュリーさんはかなり若い女性で、ブーは再婚という話で坊主は前の結婚で設けた息子らしい。息子はアルバイトでスポーツジムのインストラクターをやりながら、短大に通っており、一応ホッケーの選手らしかった。

ジュリーさんは、フランス植民地だったアフリカ系の移民の方で、やせ型で首が長くてモデルみたいな方だった。現在はダブリンの有名ホテルやら博物館やらでベッドメイクや掃除の仕事で働いており、出たり入ったり忙しい人だったが、気さくな性格で、おじいさんとも坊主ともうまくやっていたし、おじいさんの身の回りもよく面倒見て居る感じだった。

ブーは昔は格闘技をやっていたというのも納得できるような筋骨隆々とした体つき、かなり濃い顔で目立つ人だった。ブーは9時5時の仕事だったが、ランチタイムには必ず家に帰ってきて、ジュリーさんと爺さんと昼を一緒に食べていた。そしてまた職場へ戻っていった。

仲のいい一家で、客人の私をうまく家族に溶け込むように気を使ってくれたし、私がどこかへ行きたいと言えば、すぐにルートを調べてくれたり、定休日を調べてくれたり、車を出してくれたりで至れり尽くせりだった。

一応おじいさんが何かやってくれと言ったときには、言うことを聞いてほしいと言われていたが、やってほしいと言われたことは、「老眼鏡探し」「テレビのチャネルを変えること。」「床にこぼしたビスケットをコードレスの掃除機で吸いとること」「歩いてすぐの中華料理屋に注文した料理を取りに行け」くらいで、たいした用事を頼まれたことはなかった。

ダブリンは小さい街で、ロンドンと比べればかなりこじんまりした場所で、観光名所もそこまでたくさんないが、掘れば掘ったでいろいろな歴史が出てきてそれなりに面白いところだった。割に歴史は大切にしている街で、歩けばあちらこちらにいろいろなプレートやら説明板があり、そして行けば行く度に新しい店やらカフェがたくさんできたりして、楽しかった。徒歩やバスなどで街中をかなりカバーできることが面白かったし、ちょっとバスや電車に乗れば信じられないくらい田舎ののんびりした海辺の街へ行けたりもできて、私にとっては楽しかった。

あんなに大好きな街だったのに、コロナ禍の後から全く行かなくなってしまった。いや、通っていた最後の方には、何かいろいろ不穏な動きがあり、そろそろこの家にもお世話になるのは限界かななどと感じ始めていた。

ブーは離婚する前は、おじいさんの家のすぐ近所に家を買って、所帯を持っていた。奥さんはとても口に出せるようなかなりきつい言葉のあだ名がついていた。娘と息子(坊主)がいた。

奥さんだった人の初恋の人がブーだった。格闘技をかなりやりこんでいたが、怪我などであきらめることになり、市役所に就職して、かなり落ち込んでいたブーに持ち込まれた見合いの話があり、その相手が奥さんだった。奥さん及び奥さんのお母さんがかなり熱心にこの話をすすめ、その心意気を気にいったおじいさんがブーに薦めた縁談だったらしい。

奥さんだった人は、語学の才能があり、数か国語が流暢で、ゲーリックの教師だったらしかった。インテリで、とてもじゃないが、中卒のブーとは釣り合わない相手らしかったが、ブーに一目ぼれした奥さんが押し切った結婚だった。

ブーは押し切られて結婚したこと、そしておじいさんは、乗り気になっておばあさんが反対したのにこの結婚を進めてしまったことを激しく後悔することになる。

奥さんは片づけられない女らしかった。新婚のころからある時点まで家のことは奥さんのお母さんが通いで全部になっていたという話である。ブーはこれはあまり気に入らなかったが、子供が生まれ、人手が欲しいときにおばあさんがいるのはOKということで、流していた。結婚して子供が生まれたら、仕事はやめてしまい、家にいるようになった。ブーのお金は毎月ギリギリまで使ってしまっていたという。ホリデーでどこかへ行く話になると、奥さんのお母さんがお金を出したか、ブーがおじいさんに無心していたようだった。

そのうち子供も手がそこまでかからなくなったが、奥さんのお母さんはそれでも通ってきて家事をしていたというが、そのうち病気がちになって、家事は娘がやることになったが、3日も持たないうちに家の中は大混乱になり、ゴミ屋敷になってしまった。

ブーは毎週末、作業着に着替えてゴム手袋をし、ごみ袋を抱えてごみ収集、そして掃除に洗濯、料理をしていた。奥さんのあだ名はブーに奥さんがあるものを始末させたことから不名誉なあだ名がついた。

坊主は家の中がおかしいのに気がついていて、ブーの週末の大掃除を手伝っていたらしいが、娘は母親と一緒に汚す専門になってしまったようである。

とにかくトラブルが多かったと言っていた。通りに鼠が出るようになった。通りのみんなでお金を出して鼠退治を業者に頼むという話になったが、ブーの家はゴミ屋敷なのを知っている数名から「お宅からじゃないの?」と嫌味を言われまくったとか、坊主が家の中でけがをしたときに救急車を呼ぶ電話が見つからなかったとか、まあ数えきれないくらいトラブルがあったという。

あれだけおふくろさんが押し切って結婚を勧めた、そして、家の掃除に通って来たのも、娘の特性を知っていたからではないか、とおじいさんは言っていた。

ある日、娘が保護犬を買いたいと言い出した。自分の面倒も見られないのに、犬どころじゃないだろうと、ブーは大反対だったのに、娘と奥さんで結局犬を引き取る手はずを立ててしまい、犬が自分の家に来てしまった。その辺でブーは何かがぷつんと切れたらしく、身の回りのものをとりあえず全部スーツケースに詰めて、おじいさんの家に避難した。

結局、犬はやはり飼いきれず、ブーがおじいさんの家で飼うことにした。おじいさんの家にたまに遊びに来ていた親戚が、その犬は引き取ったという。

ブーから離婚を言い出し、もちろん奥さんはごねにごねて、というか「愛しているのにひどい」みたいな言い分を通して、ブーが金銭的にかなり妥協して離婚した。奥さんの家はゴミ屋敷のままで、ブーは住んでいない家のローンと光熱費は払っているらしい。娘はお母さんについて、息子も最初はお母さんについたらしいが、家の中が汚いので、すぐにブーを追いかけてきたという。

ブーは離婚したあと、すぐにジュリーさんと知り合った。どうもジュリーさんがブーに片思いをしていたらしい。ジュリーさんがブーの職場に掃除に来ていたという。ブーはイースターになると、掃除の人全員にイースターエッグのチョコレートを日頃のお礼と言って配っていたらしい。移民してきて間もないときに自分に優しくしてくれたブーが好きになり、離婚したと聞いてアタックしたらしかった。

おじいさんの家はおばあさんが亡くなって一人ボッチだったからブーが帰ってきてくれたのはありがたい、そしてジュリーさんがやってきて、おじいさんの家はかなり明るくなった。

が、それを面白く思っていない人もいる。ブーの妹である。食パンというあだ名がついている。ゲーリックの難しい綴りの名前だが、イギリス人はその綴りが読めず、「あなたの名前は食パンっていうのですか?」と聞いてくるイギリス人が続出しているため、食パンというあだ名がついている。食パンはやはりおじいさんの家の近くに住んでいて、病身の旦那と教育費がかなりかかる娘が二人いる。

食パンは、ブーがおじいさんの家にいるなら家賃を入れるべきだ、坊主だって短大生なのだからアルバイトをしてるので本来なら家を出て自活できる立場なんだから、家賃を入れろ、ブーはいつの間にか若い女連れ込んでよろしくやってるが、ここは私の実家でもあるんだから、というのが主張らしい。家賃を払えないならブー一家は出ていけ、そして家賃をくれる店子を置けというのが食パンの主張だった。

食パンはあんな子じゃなかった。あんなに金にがめついのは病気がちの旦那が入れ知恵してるからだというのが大方の意見でこれは正しかった。おじいさんは、ブーの離婚は、ブーの奥さんのだらしなさを読めなかった自分に責任があると思っていたらしく、食パンと食パンの旦那には「俺が最後までブーを面倒みるのだから、お前らうるさいことは言うな」とタンカを切ったらしかった。

このころから、ダブリン市内の家賃のレートが恐ろしいくらい値上がりしだした。ダブリンにはたくさん職がある。地方の若い子がダブリンで職を得たのはいいが、住む家がない、という話をあちこちで聞いた。それに加えて、移民難民の話がアイルランドでも出てきており、移民政策の一部としてダブリンの都心のホテルを明け渡し、空き部屋が少なったなったダブリンの中心地のホテルの一泊のレートが値上がりしすぎて、ひどいレートになってしまった。

下手すると、一泊360ユーロくらい、これもう有名な話だが、外人タレントがダブリンでコンサートやらショーをやりたがらなくなった。なぜならスタッフのホテルを確保してしまうと、儲けがなくなってしまうからである。

もう、そんな話を聞いてから単なる知り合いで面白がって部屋貸してくれるからという理由でのこのこ遊びに行ってもなんだか肩身が狭くなりそうなので、ダブリン行はあきらめた。

ブーとジュリーさん、坊主やおじいさんにもたぶん会えないな、というのはさみしかった。

ただ、コロナ禍の後、ブーとジュリーは頻繁にロンドンに遊びに来るようになった。なので、そういう時に顔を何回か会わせている。

おじいさんは体の自由が利かなくなり、さすがにジュリーさんに下の世話は頼みにくいということで、自分でさっさと施設を見つけてそちらに入所したようである。一応食パンとブーとで手分けして、顔を見に行っているようである。おじいさんの家はブー一家が結局住んでいる。

食パンは一時期、食パンのいとこなどを巻き込んで「ブーは家賃払え、払わないなら出ていけ」とせっせと文句を言っていたらしいが、おじいさんが施設に入る前に「今度それをブーに言ったらお前の顔は二度と見ない」と文句を言ったらしかった。そこから少し潮目が変わり、周りも食パンに「おじい様にも考えがあるようだから、あなたは黙っていたら」とか「なんだかんだ言って一緒に住んでおじいさんの面倒見て居たのはブーとジュリーなのよ。それで家賃出ませんか。」などと言うようになり、旗色が悪くなったらしいが、それでもまだぶつぶつは言ってるらしい。

坊主は短大を卒業し、ダブリンではない市で、フルタイムでジムのインストラクターの職を見つけ、家を出た。一応ダブリンから通勤圏内らしく、食パンおばさんもうるさいから、家をこの辺に見つけたら?とブーにアドバイスしているらしい。

ブーの元奥さんは、お母さんがなくなって遺産を受け取った。多少ブーのことは区切りがついたらしく、ローンと光熱費の減額を言ってきたという。そして娘は結婚して、婿さんが家に一緒に住んでくれることになり、娘夫婦が家賃を入れることになり、ブーの負担はかなり減ったという。ゴミ屋敷は多少まともになったらしいが、坊主の話だとまだまだらしい。

おじいさんが生きているうちは、家は売らない、そして何かあって帰ってきたとき用に部屋はあけておいてあるという。ただ、おじいさんだって先は長くないだろうから、おじいさんが亡くなった後に、この家に住みたかったら今度は本格的に食パンにお金を払わないといけない。そうするか、売ってよそに移り住むかはこれから決める話だと言っていた。

そんなこんなでダブリンのことは忘れていた矢先、今回の暴動である。通りに知らない店が溢れ、なんだか通っていたころとは違う風景のような気がした。そして、街がなんだか殺伐としているのを見るのはさみしかった。人生の一時期、縁のあった街、通っていた街があんなになってるのを見るのはさみしい。しかし、何かあった際にみんなで助け合っているのをみて、やっぱりダブリンはダブリンで変わってないなと思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?