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ダブリンの城

近所の印刷屋の親父が店をたたんだ。店は結構な通りに面していた。いつも、印刷屋にはジェレミーというアルプスで子供にスキーを教えているのが本職のあんちゃんがいて、親父はいつもふらふらしていた。コロナ禍の間はこの印刷屋はそこそこもうかっていた。アクリル板に貼るシールやらコロナ禍用の飲食やら美容院のメニューやらを印刷する需要があり、まあ、忙しそうにしていたが、コロナが終わってからはまた暇に戻った。

ジェレミーがアルプスに移住するから印刷屋を辞めたいと言い出し、もう一人でやるのは面倒臭いということで、お店を子供に譲った。子供は自転車乗りで、その辺のビジネスをやりたかったらしく自転車カフェみたいなのを開いている。

印刷やの親父は暇になって何しているかというと、歌手になった。もともと若いころに歌手としてシングル盤を何枚か発売して全然売れなかったという過去があり、歌うのは好きだったらしい。一応「懐メロのパロット(オウムの意味、奥さんの旧姓らしい。)」というあだ名をつけて、最近ショーをパブやら労働組合の集いとかに呼ばれて歌っている。自分では楽器はできないので、インターネットでカラオケの音源を集めて自分でショーのテープを作って、それをアイパッドに入れ、機械にプレーさせながら歌っている。

昔歌手を目指していたというから歌はそこそこうまいが、正直レパートリーが少なくて、ショーは一回聴けばいい感じである。何度か「もうみんなあなたのレパートリーに飽きてるから、違う曲入れなよ」と何名か助言はしているが、あまり聞く耳はなさそうである。

懐メロのパロットは、一回のショーは2時間、途中15分休憩あり、一回の出演料は150ポンド+ビール2、3杯だという。この辺の歌手のショーの2時間の相場が250ポンドなので、比較的安めらしい。

私の今いる地域のパブはだいたい土日の夜どちらかに一回くらい歌手がきて2時間くらい歌って帰っていく風習みたいなのがある。ロンドン、割とまだこの手のパブが生息しており、歌手というかミュージシャンもそれなりにいる。だいたい、週末になると、パブの入口あたりに「音楽 土曜夜8時から 出演者xx」と書いてある看板がかかっていたりする。

私の家の近所は、飲み物の値段がかなり派手に上がってしまって、全然行かなくなってしまったパブが一件近所にあるが、そこは月曜は近所の大学の音楽サークルの子たちのライブ、水曜はジャズミュージシャン、土曜はギターの弾き語りをやっているパブがある。駅前のアイリッシュパブは金曜と日曜の夜に割と昔からのこの辺のパブサーキットでは名前の知れた大御所を呼んで弾き語りをやらせる。もう一軒、駅の近くにあるアイリッシュパブはオーナーの趣味なのかもっととがった感じのセレクションをするパブ(全編ゲーリックの歌詞の曲を歌うとかそんな感じ)、あと、割に広いスペースがあって、ロンドンの大きな箱で公演をやるミュージシャンのバックの人達がリハーサルを兼ねて演奏をするようなパブなどがある。あとバスに乗ってちょっと離れている場所にあるが、「ものまねショー」をメインにしているパブもある。(プレスリーの物まねさんが一人専属でいる。あと西部劇の恰好をしていて、カントリーを主に歌うジョニーキャッシュなどのものまねをする歌手がいたりする。日本のショーパブよりもエンターテイメント要素は薄いが、まあ、似てるっちゃ似てるか。)

うちのパブの昼番の店長はクレアさんというこの辺のパブの経営者ではできるバーメイドとして有名だった人がやっている。クレアさんは、外見がかなり目立つ人である。身長たぶん180センチ近い、細身。黒髪ストレートロングで、外見はフレンズというアメリカのシットコムに出ていたジェニファーアニストンという女優にそっくりである。17歳からパブ一筋というパブビジネスには通暁している人である。

クレアさんは中学を出て就職した先は、世界的に有名な服やカバンを扱うブランド店の売り子だった。が、目立つ外見及び客商売向けの気づかいができる子ということであっという間に上の人に目をかけられ、将来は幹部候補生へという道筋ができていたが、それを妬んだ同僚から徹底的にいじめにあい、結局、仕事場へはお父さんが送り迎えをすることになったという。(そのころの心の傷が元で太れない、胃腸はかなり弱いと言っていた。)お父さんが送り迎えを終えて、地元のパブで「子供が気の毒でよおー」と愚痴っていたのをずっと聞いていたのがそこのメード頭のミッシェルというおばさんで、ミッシェルさんが「あんまりにもかわいそうだから、うちで働けばいいじゃん、ストレスまみれになって体壊すよりか、地元の気楽な酔っ払いの相手していた方がいいわよ」ということで、クレアさんはブランドを辞めてバーメイドになった。ミッシェルさんのパブは、私の地元の隣駅の近くにある「豚」というパブである。このパブはイギリスで有名な王様の名前がついているが、その王様のあだ名が「豚」だったため、地元では「豚」と呼ばれている。初心者泣かせのパブで、地元の人が「今日は豚集合」などと言っても、イギリスの歴史がわからない向きにはなかなか探せないパブである。豚はかなり広いパブで、ダーツができるスペースにプールテーブル、音楽専用のステージがあったり、かなりの大画面がある部屋があり、有志が集まって古いボクシングの試合などを見る会などをやっている。

ミッシェルさんは時々変なところで会うことがある。この人は北アイルランドの出身で、とにかく北の訛りが抜けてない。そしていつもたばこを吸っている。ゲーリックフットボールが大好きで、ゲーリックの集まりにはよくいるからである。なんとはなく、外見はよく覚えていないが、だいたい話声をきいて「ああ、ミシェルがいるなあ」と思う。

結局、ミッシェルさんとクレアさんは親友同士ともいえるくらい大の仲良しになった。クレアさんが、今のパブに移ってからも、二人で地元のカフェでコーヒーを飲んでいるのをしょっちゅう見かけたりする。

二人でもちろん遊びに行ったり飲みに行ったりもするらしいが、だいたい二人で集まって話していること、そして二人で出かけている場所は検討がついた。二人とも、とにかく若手のミュージシャンや弾き語りのうまいミュージシャンを探しているのである。普段はSNSを駆使してミュージシャンの情報を探し、二人で交換、そして目星をつけた子の出番があるパブへ赴いて名刺を渡し、声をかける。もしくは自分のママ友などにも声をかけて「お兄さんのクラスや学年で歌のうまい子でこの道に行きたい子とかいたら紹介して」などと声をかけるそうだ。もしくは、自分のパブへ売り込みに来た子の映像を二人で見て「どうでしょう」などと品定めをしたりしている。

懐メロのパロットは、最初クレアさんにテープを聞かせ、クレアさんが私のいつも通っているパブの出番を上げた。クレアさんのパブとミッシェルさんのパブの男子トイレに懐メロのパレット来るみたいな告知ポスターを張っていたら、パブに来ていた誰かがそれを見て声をかけはじめ、懐メロを喜びそうな政治活動用の事務所のパーティーとか老人介護施設のレクリエーションなどに呼ばれるようになったらしい。

まあ、今のところであるが、私の地元では自分が弾き語りをなどをしたかったらクレアさんかミッシェルさんにコネを作り、ビデオを見てもらうのが手っ取り早いと言われている。そして、二人の好みでなくてもよさそうな子は別のパブの店主に紹介などをしているという。

はっきりとはわからないけど、なんとなく、私が推測しているところでは、クレアさんもミッシェルさんも、自分のいるパブを「ダブリンキャッスル」というカムデンタウンにある有名なパブのようにしたいと思っているのかな、というところである。

アイリッシュパブの中でも立志伝中のロンドンパブで、知ってる人は絶対に知ってるパブである。音楽が売りで、だいたい音楽やってるパブで一人でも有名なミュージシャンを出せればそれはそれですごいってことになるのであるが、ここは2回宝くじの大当たりを引いている。一組目が「マッドネス」。80年代に大活躍した(日本のホンダの乗用車のコマーシャルにも出た)世界的なスカバンドで、現在も現役のバンドである。下記のコラムは割にわかりやすくマッドネスを説明している。イギリス人に「スカがかっこいい」という概念を植え付けたのは間違いなくマッドネスであろう。

そして2組目(というか二人目?)がエイミー・ワインハウスである。エイミーは早世してしまったが、個性的な声とサウンドと歌詞が融合したジャズブルースロックのミュージシャンであり、世界的に成功を収めた。私の好きなエイミーは下記。本年は彼女の伝記映画も公開予定。


この二組が、ダブリンキャッスルでの演奏家デビュー(エイミーは諸説あるので、アレではあるが、初期はビールを運びながら歌手をここでやっていたことは間違いない。)している。

(一度遊びに行ったことのあるダブリンキャッスルで、女主人みたいな人と話をしたことがある。「ええ、私はエイミーにビールつがせたり運ばせたりしましたよ。才能があって表現力も全部段違いの子でしたけどね、うちでミュージシャンやってる限りは特別扱いなんかしませんでしたよ。手の空いた人が客のために働くのは当たり前ですよ、いくらエイミーワインハウスだからってなにもしなくていいってことはありません」と言ってました。「甘えん坊な子でしたけどね、頭のいい子でしたよ。私がキャーキャー言う前に動いてくれた子でしたから」と言ってました。7.8年前の話ですが。正直、エイミーよりマッドネスの方がかわいいというような言い方してましたが。)

ダブリンキャッスルは、昼間は常連らしき人達がなんとなく飲んでいるパブで夜は音楽に特化していて、入場料を払って音楽を聴くようなパブになっている。月の半分はライブをやっていて、かなりのミュージシャンが出演している。(入場料は10ポンド、今時のパブではかなり抑えた値段だと思われる。)

草の根の音楽を聴きに行きたいのなら、カムデンという場所もあって利便性もいいので、観光ついでに聴きにいくのにちょうどいいパブだと思う。そして表のマッドネスのプラークで写真を撮ったらいいと思う。今はちょっと観光よりの音楽パブみたいになっている。

まあ、東のダブリンキャッスルだとしたら、西はパットニーのハーフムーンというところもかなり有名どころがいたパブで有名で未だに音楽をやっているパブである。

まあ、ダブリンキャッスルは庶民的でどちらかというとあまりキレイ目ではない、パットニーはそれなりにこぎれいかな、とは思う。(ハーフムーンで演奏していた有名どころなのは、ドクターフィールグッド、エルビス・コステロなど)

クレアさんやミッシェルさんたちが発掘しているのはもっとローカルで草の根のミュージシャンで、そこからメジャーになるというよりかは、そこからまた演奏場所の格を上げて、いつかはダブリンキャッスルやハーフムーンにたどり着ければいいね、という感じのレベルだが、二人がしょっちゅう会って情報を交換して、ミュージシャンを紹介しあって、というのを見て居ると、最後の二人の目標はダブリンキャッスルやハーフムーンみたいなステージがあり、ステージだけで客が呼べるようなパブにしたいのかな、思ってみている。ただ、二人とも、音楽も好きだけど、同じくらい客と話すのも好きそうなので、ミュージシャンを送り出すのにやりがいを感じているのかもしれない。

パブで音楽やっていたら、ちょっと聴いてみるのも面白いかもしれません。その裏にいろいろな人の思いが詰まっているとなったら、もっと面白いと思います。



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