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見積もりの価値

前回紹介した雑誌「広告」読みました。

1円とは思えないようなクオリティの高い記事、静かに問いが立てられ、思考を深めていくような読後感。

読み返していくたびに、薄く光沢のある表紙がどんどんヨレたり、傷や手垢がつく。そういう手触りの変化を感じるのも、この本の価値なのかなと。

さて、最も興味深かったのが「見積もり」の話。

作り手にとって「妥当な報酬」とは何か?という問いに対し、
金銭的な報酬だけでなく「精神的な報酬」を考察しています。

詳しくは読んでいただきたいですが、ここである動画案件を例にします。

・短納期・安価で、かつタレントを起用したい地方ロケの依頼。

・代理店との関係性上、厳しい条件だが受注しスタッフを投入。

・あまりギャラも払えないので、若手芸人Aをキャスティングし、休日返上で撮影し編集。

・何度か修正を重ねて完成間際だったのに、その案件を把握していなかったクライアント社長のツルの一声で、全部ボツ。お蔵入りになってしまいました

・結果、支払額は見積もりの満額から減らされた約95%の金額で着地。

単純に作業進捗に見合った金額をお支払いしたと、クライアント側は認識しているかもしれません。

しかし、ここで考えるべきなのは、作り手たちが失ったのは「減らされた5%の金額」だけなのか。

売れたい若手芸人Aはこの動画が世に出ることで、
露出アップや話題づくりができたかもしれない。

ディレクターはこの動画案件を受けなければ、他の高額案件を受けられたかもしれない。休日に奥さんとデートに行けたかもしれない。

別のスタッフは、案件が飛んだショックで「やる気が出ない」状態で
不信感が増し、そのクライアントの商品を二度と買わないかもしれない。


もちろんこれは結果論で想像ですが、ここまで作り手の気持ちを想像した上で「5%の減額」が妥当かどうか、そもそも当初の見積もりが妥当だったかどうか。

逆に、社長を説得して動画が公開され、それがめちゃくちゃバズっていれば、クライアントは社長への説得という労力がチャラになり、ディレクターの徹夜は笑い話になったかもしてない。

お互いが気持ちいい仕事をするためには、こうした「精神的な報酬」にもきちんと目を向けなければならない。

見積もりがただの数字合わせにならないように、作り手の価値を尊重してくのが、これからの作品づくりのあり方だと思います。




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