見出し画像

「カメラを止めるな!」に近い作品がない説

上映館数2館から始まって、今では150館以上での公開が決まり、SNSでは誰もがなるべく「ネタバレ」をしないように努力しているのにもかかわらず、まるで土手も作らずもんじゃ焼きを焼くような無神経さで内容を報道しているテレビを見ていると、あちゃ〜と思いながらも、テレビでさらに広がるのだとすれば制作者にとってはありがたいことなのかもしれないなぁ〜というなんとも複雑な気持ちになりつつ「カメラを止めるな!」のことをふと思い出すのは、もしかしたらこれほどまでに小規模の自主映画が<ここまで>広がる例を未だかつて見たことがないからなのかもしれません。

<ここまで>というのは

「うちの親でも知っている」

というレベルです。

ということで、今回は口コミで意外な広がりを見せた映画を、浅い映画知識で思い出せるだけ思い出してみることにします。

『ブレアウィッチプロジェクト』

250万円で300億円の興行収入を叩き出したと言われるホラー映画。たしか高校生の時だったか友人と一緒に見に行った覚えがあります。当時は「本当にあったこと」として広がってて、そのPRのうまさにやられて見に行く人がほとんどだったのではないでしょうか?拾ったビデオを再生して映った映像というメタ構造は「カメラを止めるな!」に近いところもありますが、正直あまり映画としてはつまらなく、見た後ポカーンとしました。まだ子供だったし(ちん毛はボーボー)、映画にストーリーを求めるような見方をしていたので「だまされた!」という感覚が残りました。

しかしこれは海外の映画です。向こうでヒットしたのがこちらにやってきているので、配給もしっかりとしていました。ですので「カメラを止めるな」の配給のしょぼさと比べると別物。宣伝にお金をかけていたと思います。

ただ、情報を制限するというのはちょっと似ているような気もします。

『パラノーマル・アクティビティ』もまたこのパータンですが、怖そうなので見てません。ただ、なんか二番煎じ感が強く、そもそも邦画ではないし親も知らないと思います。

さて、次の映画は特殊です。

『ザザンボ』


2番目にこれを持ってくるというのが筆者の年齢を感じさせるわけですが、この映画もまた煽りに煽るPRで広がりを見せていました。といっても地域限定の広がりです。渡辺文樹監督の「ザザンボ」。

子供の頃(ちん毛生えたて)、学校の帰り道に突如現れた怪しいポスター。一瞬ドラえもんにも見えなくないそのポスターに近づくと、そこには「見たら吐く!」「失神者続出!」などの文字が書かれていました。まさに見世物小屋。学校でたちまち噂になり、子供は見てはいけないというお触れ書きがさらに興味をそそりました。なにやら本当の人の死体が出ているとかいないとか。。公開日、さっそく見に行った両親の「全く面白くない」という感想とともにその熱も沈静化していくわけですが、監督が自分でいたるところに怪しいポスターを貼りまくるというこの手法を見ていると、個人の熱量が作品の認知につながるという意味では「カメラを止めるな!」に近いような気がしないでもないのですが、さすがに「親でも知ってる」の意味あいが若干違う。

『SR サイタマノラッパー』

今じゃ大作邦画を撮る程にまで入江悠監督の出世作。なんと映画は3まで出ていて、テレビドラマにもなっています。自主のレベルでプログラムピクチャーをやってのける熱量と覚悟。しかも「ブレアウィッチプロジェクト」や「ザザンボ」の見世物小屋的なやり方で広がったのではなく、斬新な切り口としっかりとした面白さから広がった作品という意味において「カメラを止めるな!」と割と近い気がします。ワンシーンワンカットがここぞというときに使われている点も似ている(意味あいがちがいますが)。しかし!!しかしです!親は知りません。ここにSNSのあった時代とない時代の差がかいま見えるような気がします。しますよね?でも、うちの親はSNSを一切やっていません。たまたまカメラを止めるながテレビで特集されていたのを見たということ。つまり、サイタマのラッパーはテレビでそんなに特集されるほどではなかったのです。ラップという文化の中で偏った広がり方をしていた。映画批評家や知識人が軒並み絶賛し、界隈での広がりに目をみはるものはあったものの、一般層まで浸透しているのかはやっぱり謎です。

『テレクラキャノンボール』

「ヤルかヤラナイかの人生なら、俺はヤル人生を選ぶ」というコピーが流行ったか流行ってないかはわかりませんが、一つの時代が立ち上がったと言ってもいい本作。AV監督カンパニー松尾によるアダルトビデオ作品シリーズを劇場版にまとめて映画の体裁にした、やっぱりAVなこの作品の広がり方もまたすごいものがりました。

テアトル新宿に観に行ったのですが、大きい劇場で大勢でAVを見るという味わったことのない感覚。爆笑しながらも心が痛くなるような、なんとも複雑な気持ちにさせる本作は、多分映画というかアートです。

もちろん親は知りません。テレクラもキャノンボールも知らないと思います。たまたまお前のうちの親が情弱なだけじゃねーかよと、そろそろツッコミが入りそうですが、病気だから優しくしてあげてください。

ちなみにテレクラキャノンボールを地で行く男、動画チームの金井さんの過去記事にも、この映画についての回がありますので、読んでみてください。

『ヘドローバ』

以前書いた記事でも取り上げて、取り上げすぎてヘドが出そうではありますが、SNSで度々見かけ、とても気になって思わずviceに登録して見たこちらの作品は、全編をスマホで撮っています。SNSで気になったという点においては『カメラを止めるな!』に似ています。ただ、実際に映画を見ると、その手触りはまるで違う。とてもおもしくて熱で溢れているのですがこちら断然カルト的。このカルトが持つわけのわからなさが、インディーズ映画の広がりに一役買っている気もするのですが、一般層にはおそらく敬遠されるノリなのかも。

『カメラを止めるな!』もポスターの印象からか一見ゾンビ映画でカルトなノリを感じるのですが、作品を見るとそうではないし、なさすぎる!というようなことがSNSの感想の中には感じることができました。見世物小屋的なものとしての広がりとはまた違った広がり方ゆえに、テレビでも取り上げられ、一般層にまで広がったのだと思います。

一般層ってなんだよ。って感じがしないでもないですが、端的に言うと「うちの親」です

こうしてみると「カメラを止めるな!」はやはり特殊な映画です。

『ブレアウィッチ・プロジェクト』や『ザザンボ』のように制限された情報による謎めきを持ちながら『テレクラキャノンボール』や『ヘドローバ』のようなカルト的なイメージに侵されていない。『サイタマのラッパー』が一番近い気もするのですが『カメラを止めるな!』のような内容を誰も口外しないムード、つまり謎めきがない。

『カメラを止めるな!』は図らずもそれらの良いところ全て踏襲するという奇跡に恵まれた作品なのです。メタ的な構造を持ちながらも、そのメタ性に頼らない内容の強みがその奇跡をさらに引き寄せるというね。

ただ惜しいのは『カメラを止めるな!』のカメラは動画用なのでタイトルは『キャメラを止めるな!』にして欲しかった。ああ悔やまれる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?