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高畑勲展、絶対行くべし。

カナイです。

今月から開催されている「高畑勲展」に行ってきました。

自ら積極的に絵コンテを描く宮崎駿監督とは対照的に、絵を書かないアニメ監督であった高畑監督は、どのような演出術だったのか。今回遺品から発掘された膨大な資料が見れることがいちばんの目的だったんですが、その資料ひとつひとつが理論的で、そして緻密すぎる仕事ぶりに圧倒されました。

最も胸が熱くなったのが、およそ50年前の初演出作品「ホルス」の制作が大幅に遅延し、会社側から「スケジュール通り作れ」「予算内に納めろ」「さもないと解任」と書かれた指示書と、高畑監督が書いたそれへの反論文。

このエピソードは、宮崎監督がお別れ会でも語っていました。

会社の圧力で、迷いの森のシーンは削られる削られないの騒ぎになっていたのを知っていた。パクさんは粘り強く会社側と交渉して、ついにカット数からカット毎との作画枚数まで約束し、必要制作日数まで約束せざるを得なくなっていた。

当然のごとく約束ははみ出し、その度にパクさんは始末書を書いた。一体パクさんは何枚の始末書を書いたのだろう。僕も手一杯の仕事を抱えて、パクさんの苦闘に寄り添う暇はなかった。大塚さんも、会社側の脅しや泣き落としに耐えて、目の前のカットの山を崩すのが精一杯だった。

この出来事が、このあと半世紀に渡る日本のアニメーションの分岐点だったとすれば、まさに貴重な一枚。当時の緊張感や、作品への執念が伝わってきます。

後年、高畑監督は予算も納期も守らないスタイルを貫き通しますが…。

ちなみに高畑監督は「ホルス」当時30〜33歳、自分とほぼ同じ年代…。

今回いちばんの収穫はこの展示図録。

展示されていたほとんどの資料や絵などの作品に加え、詳細な解説も収められて、なんと2300円。安すぎます。ずっと読んでられる。

10月までやっているので、ぜひ。


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