見出し画像

(小説)ドレッドヘアーの人 インタビュー

──本日はよろしくお願いいたします。

ドレッドヘアーの人(以下「ド」):こちらこそよろしくお願いいたします。

──まずドレッドヘアーにしたきっかけは?

ド:「ここに1枚の写真があります。これは今から45年前、わたしが3歳の時の写真です。当時の髪型は坊っちゃん刈りでした。見ての通りサラサラストレートだったんですよ。わたしのお気に入りの1枚です。ところがある日、父はわたしの頭をバリカンで丸刈りにしてしまいました。「男は男らしく」という教育の一環だったと思います。最初はわたしも、バリカンの冷たいくすぐったさと、いつもと違う自分の頭の感触が面白くて、笑って楽しんでいました。刈り終えてわたしの頭を撫でる父の満足気な表情を見て嬉しくなった事を覚えています。父に喜ばれる事が幼い頃からわたしの『一番良いこと』だったので。ところが鏡を見た途端、わたしは火のついたように泣き出したそうです。そして、「もどして!もどして!」と何度も絶叫したそうです。父はわたしをなんとか宥めようとしてくれましたが、あまりにもわたしが泣きじゃくるので終いには「いい加減にしろ!」と怒ってわたしにげんこつをしてどこかへ行ってしまいました。…今ではわたしも子を持つ親、その時の父の気持ちが痛いくらいに分かります。父は厳格に育てられた旧家の長男なので、わたしの泣く姿にどんなに心を痛めても「日本男児かくあるべし」という、おそらくは鉄拳で叩き込まれた正義を曲げる訳にはいかなかったんだと思います。父は父の父から。そして父の父は父の父の父から。そして父の父の父は父の父の父の父から。そして父の父の父の父は(インタビュアー註:十五代続きますが省略させて頂きます)。すみませんお水を一杯失礼いたします。」

 (コップを持つ彼(ドレッドヘアーの人)の手は震え、私はその様子から彼の複雑な心情を察した。彼が父を尊敬しているのは間違いない。しかし彼は48歳にして未だ気付いていない「闇の感情」を無理矢理封じ込めているかのように見えた。)

ド:「あまりに泣き叫ぶのでわたしの母は、わたしを車で連れ出しました。途中、山あいに車を停め、わたしにダムを見せてくれました。大きなダムを見ていると、わたしは心が穏やかになり、いつの間にか自然と泣き止みました。すると母は、「つるつる坊主の鶴々丸。(インタビュアー註:ドレッドヘアーの人の幼名だそうです)」とわたしにおどけたような調子で言ったのです。母には悪気は無かったんだと思います。決して母には悪気は無かったんだと思いますが、わたしは再び烈火の如く泣き叫びました。「もどして!もどして!もどして!もどして!」その声は山彦となって木霊し、たまりかねた母は再びわたしを車に乗せ何処かに猛スピードで走り出しました。トレテテンテンテトテトテトテト、トレテテンテンテトテトテトドデン ドデン ドデン ドデン(トレテテンテンテトテトテト)ドデン ドデン ドデン デドン ファラファ~ファ~ファッファラフェロ~。ファ(インタビュアー註:F-1レースとかで良くかかっている曲だと思ってお読み下さい。)デドン。到着した先には見覚えがありました。いつも坊っちゃん刈りをしてもらっている美容室です。」


 (ドレッドヘアーの人の、口だけでの音楽の再現力には中々の物があった。後に聞いた話によると、彼はイングランドのプログレッシヴ・ロック・バンド、キング・クリムゾンのあの複雑で完璧な名曲『21世紀のスキッツォイド・マン』の全パート(ヴォーカル、ベース、サキソフォン、ギター、ドラムス)を口だけで再現して多重録音した事があるという。それは何か商業的な目的では無く、「全く意味の無い行為をする事によって宇宙の法則に抗議する」為だそうだ。そんな所にも彼の「心の闇」が垣間見えた。)

ド:「美容室に入ると、お客さんがいなかったので美容師さんは「こちらにどうぞ。」と母をセットチェアー(インタビュアー註:美容院とかで髪切る時に座る椅子の正式名称だそうです。この人良く知ってたな)に案内しました。そりゃそうですよね。パーマが取れかかった女の人と、2ミリのバリカンで丸刈りにされた男の子がお店に来たら、誰だってパーマが取れかかった女の人の方をセットチェアーに案内します。ですが美容師さんの思惑とは裏腹に、母はわたしを持ち上げ、セットチェアーに座らせてから美容師さんにこう言いました。「この子の髪が伸びるように切って下さい。」と。その時の美容師さんの顔が忘れられません。眉を上げ、目を大きく見開いて、鼻を「ミッ」と鳴らしながらホッペタをパンパンにさせて、口をきつく真一文字に結んで、全身はプルプルと震え出していました。美容師さんはこちらに背中を向けて暫く小刻みな振動を続けた後、何かをゴクリと飲み込むようにして咳払いと共にこちらに向き直りましたが母は間髪入れず「毛はえ薬とか無いですか?」と畳み掛けるように言うと美容師さんは眉を上げ、目を大きく見開いて、鼻を「ミッ」と鳴らしながらホッペタをパンパンにさせて、口を真一文字に固く結んで、全身はプルプル(インタビュアー註:この展開が後2回続きますので省略させていただきます。)……わたしは母の愛を感じました。「お母さんがわたしの髪の毛を元に戻すために懸命に頑張ってくれている」というのが幼な心にも分かりました。結局美容師さんは根負けしたのか、「エフンでしたら、エフン伸びて来たときに自然になる様に、サイドとバックを…この長さだと、カミソリで剃るしかないですが…それでよろしいでしょうか?」────終わった後、母が「これでまた可愛ぐ伸びで来っから大丈夫だ。」と言ったのを聞いて、わたしは安心しました。ふう。なんか長くなっちゃって申し訳ございません。ちょっとタバコを一本喫わせて戴いてもよろしいでしょうか?」

──ええ。喫煙所あっちにあります。私もいいですか?


喫煙所
「それにしても話し方丁寧ですよね~」
「父が挨拶と言葉遣いに厳しかったんで。それで」
「やっぱりあの、鉄拳制裁?とかもあったんですか?」
「やっぱりたまにありました。でも、それは自分が悪いので……一番怒られたのは椎茸栽培してる場所で採ったカブトムシ50匹を後輩に50円で売った時ですね。ぶん殴られました。でも父は優しいんですよ。国語のテストでいい点取った時なんか、すごい褒めてくれて、いきなり北斗の拳の2巻を買ってきてくれました。自分が東京さ行ぐって言った時も、「分がった。」と言ったっきり下向いて黙っちゃったから、何でがな~って見たら泣いてるんですよ。それ見たら自分も涙が出て来て……。」


その後、ドレッドヘアーの人は涙が止まらなくなり、その日のインタビューは中断した。


(後日再開したインタビュー。10倍速)

ド:「で、また髪が伸びてきたらまた父にバリカンで刈られまたバリカンで刈られしてて、ある日反抗心から小遣いでスポーツ刈りにしたら「それじゃ西部警察のダイモンだっぺ」と言われてもちろんバリカンで刈られて結局中学卒業までずっとバリカンで刈られてて、でも高校受験の時になって偏差値高い進学校に入れたら髪を伸ばしていいと許されて合格してやった~ようやく伸ばせるぞ~また3歳の時みたいな真っ直ぐでサラサラな黒髪が生える~そうだ今(1993年)最もトレンディーな俳優『吉田栄作』みたいな髪型にしてモテようと思って、そしたら何か髪の生え方がおかしくて『バッハ』のような髪型になりました。何か、あんまり何年も頭皮にバリカンとか当てまくると毛穴が大きくなって髪が太くなって生え方も曲がってしまうと本で読んで怒りより先に涙が出てきました。それからは髪を真っ直ぐにする戦いの日々でドライヤーを早起きして一時間もかけてクシで髪を撫でるというか引っ張るようにストレートにしましたが学校に着くまでに『バッハ』に戻ってしまってクラスメートにも「あいつの髪型は変だ」と気づかれて進学校ならではの陰湿なイジメが始まって朝高校に着いたら大きく黒板に『天パー』と書いてあってみんなそっぽ向いてるんですが反応したら負けだと思ってわたしも気にしないフリをしていたんですが涙をこぼしてしまいその日は教室を出て家に帰りました。そしてどうせ先生が来る前に黒板の字は消したんでしょうね。家に帰ると母がイナリズシを作ってくれたのでわたしは黙って食べました。すると涙がイナリズシの上にポタリ、ポタリと…。」

ドレッドヘアーの人はまた涙が止まらなくなってしまい、その日のインタビューも中断した。

(後日再開したインタビュー。100倍速)

ド:その後『布袋寅泰』みたいな髪型にしたらイジメは表面上止まりました。
ド:上京してからストレートパーマをかけたら維持費が馬鹿にならなかったので多少天パーでも出来そうなサーファー風の細かいスパイラルパーマかけたらむしろソバージュヘアーになりました。
ド:仕事の休みが無くソバージュが長くなり過ぎてケニー・G(インタビュアー註:洗練されたアダルティな演奏で有名なサックス・プレイヤー。代表作『ブレスレス』(1992年)。)みたくなってきたので切るのは勿体無いしケニー・Gは大好きなテクニカル・デス・メタル・ミュージックとは相性が悪いのでもういっその事ドレッドヘアーにしました。

──つまり髪が長くなって切るのが勿体無くなった事が、ドレッドヘアーにしたきっかけなんですね。

ド:はい。長々とお付き合いさせてしまって大変申し訳ございませんでした。

──それで、ドレッドヘアーにしてから周囲の反応は何か変わりましたか?

ド:はい。まずここに一枚のCDがあります。「ボブ・マーリー」という『レゲエ』という音楽を──


(私は、この春から「月刊ら~麺」編集部に配属され、「ヘアースタイル別・今月のオススメラーメン」の担当になった、北島幸恵。)

ド:するとわたしのヘアーが、傍らのアロワナの水槽の中に──


(今夜も長い夜になりそうだ。)

ド:ドッドドウドド。ドッドドウドド。ドドドドドドドド。

「ドレッドヘアーの人 インタビュー」 完




この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?