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ザ・ノンフィクション「都会を捨てた若者たち〜27歳の決断〜」を見て 私のこの1年と重ね合わせたことなど

テレビの感想など中々書かないのだが、
前職の会社を辞めてから今までの自分自身のこの1年強を
振り返る上でも最適だと考えたので書いてみる。
というのも、今回のノンフィクションで出てきた非電化工房という場所には、私が前職の会社を辞めると決断した2021年1月に体験弟子として3日間お世話になった、という縁があったからである。今回出てきた人たち何人かとも一緒に体験弟子をさせてもらい、その後も非電化工房にまつわる人たちの活動は陰ながら追わせてもらっていた。
そうした、自分とちょっとした縁がある人がテレビドキュメンタリーの主人公になる、というのは今まで経験が無かったことなのでこれは感慨深いことであるし、思い入れを持って拝見した。

さて、番組の感想の前に私はなぜ体験弟子にいったのか。今に至る自分の課題だが、自分にこれといった強みが無く、それを作りたい、と思って叩こうとした門である。
何でも自分で作れるようになり自分で道を切り拓ける、ということが出来れば目の前の景色も変わると思っていた。ある場所で非電化工房の藤村先生にお世話になったという人の話を聞き、それを聞いてずっと頭の中に非電化工房に弟子入りする、というのが自分の頭の中のカードとして入っていた。退職を決断するにあたり、そのカードを切ろうか、ということで行ってみたのである。3日間、薪割りや外装のペンキ塗り、かなり長い竹を伐採するなど
体験させてもらった。その中での協調性や体力など色々な面から評価され、本人も弟子入りしたい、ということでマッチングすれば晴れて弟子になることが出来る。

私の場合は、結果的には弟子入りはしないことになった。一番の原因は当時もう一つ、ミャンマーで仕事をする、という全然違う選択肢との迷いがあり、藤村先生にはそちらの方が良いのでは、と言われ、私も今ひとつプッシュできず、弟子入りしない、ということになったのである。その後、4月からはコールセンターの仕事など派遣の仕事で繋いで(失業手当の仕組みをよく理解していなかったので働いてしまった!)7月から現職の会社で、もうすぐ1年になる。

さて、弟子入りするかしないかの迷いの時に、私の中ではいくつか選択肢を考えた

①思い切って弟子入りする

②(退職する、と言ってしまったばかりだったが)非電化工房をテレビドキュメンタリーの
企画として通すことを考える

③ミャンマーの仕事の選択肢を取る

④非電化工房かミャンマーか、ではなく落ち着いて他の選択肢を取る。

②を書いたのは、当時私が在籍していたのはテレビドキュメンタリーの会社だったからである。
退職を決断したのは、私は誰か面白い人や現象を追いたい、ということではなく、自らが主体となって
色々な人と地域と関わりながら仕事をしたい側だと思うようになったからである。
しかしこの段階ではまだ色々迷いがあったのも事実で、こうして自分の問題をドキュメンタリーの企画にすり替えて考えてしまったりと、どう進みたいのか中々判然としないところがあった。
それで、結果的には④の選択肢になった。というのも、ミャンマーもクーデターで普通には行けなくなり、④にせざるをえなくなったからである。
②の選択肢はとらなくてよかったと思う。そもそも企画が通らなかっただろうが、まかり間違って通っても、撮っているうちに自分が弟子の側になりたくて仕方がなくなっていたと思う、最もそういう視点のドキュメンタリーもまた面白いかもしれないが。
あとは、これは体験弟子をしていた時もなんとなく感じていたが、自分がこういう生き方をしたい、ということを考えてきている人が多かったが、私の場合は社会との関わりの中でこういう風に動きたい、というのが強かった。なので、そういう観点からも働きながら色々挑戦する今のやり方の方が結果的に良かったのだとは思う。相変わらずものをつくったりするのは苦手だし(この点は非電化工房を選んでいた方が確実に
自分で何かを作り出す力をつけていたと思う)、果たして非電化工房の弟子になっていたら…というのはこの1年間何度も考えさせられたことだ。

ここからは番組の感想である。まず、タイトルの「都会を捨てた若者たち」。最初これがステレオタイプな目線のタイトルの付け方で嫌だなあと思っていたのだが、主人公として出てくる2人は、確かに都会の負の部分に悩まされて非電化工房に来ていた、という部分があったと思う。なので、間違ってはいないのだが、それでも非電化工房に集まる人たちが皆都会を捨ててくる人たちでは無いと思うし、そこのところは誤解を生んでしまうのではないかと思った。都会か地方か、という区分けでキャッチコピーを作るのももうそろそろ前時代的かと思う。事情はもっともっと複雑だと思う。

番組の中身だが、非電化工房には色々な要素があったと思うけれども、輪に入る、入らない、という非電化工房の中の社会的な要素に注目して描いていったのは、切れ味が鋭いし何より見やすく共感しやすかったと思う。でも、実際に少しだけでも非電化工房に行ったり、藤村先生の本を読んだ身としては、ドキュメンタリーで描けること、伝えられることの量の限界も感じた。非電化工房の弟子、という仕組み自体がそもそも相当特殊な場所、仕組みだと思うが、そのことについてはあまり触れられず、主人公2人のヒューマンストーリーに移っていったので、やっぱりこの番組を見ているだけだと、都会が嫌な人が、色々試行錯誤をしているなあ、という理解を越えられないのではないかと思った。
また、こういう、ある場所をとりあげるドキュメンタリーでは、ある程度全員を描きつつ主役を立てる、というタイプのものもあると思うが、今回の番組では描かれるのが2名にかなり絞られていた。そのことで面白くなっている部分もあったと思うが、その2名以外にも色々とストーリーがあったと思うので、主役を立てる必要もあるにせよ他の人ももう少し立てて欲しいな、と思った(特に非電化工房に来るような人はこれから個人事業としてやっていくぞ、という人も多いと思うので。主人公の1人の大地くんが輪に入れない話の時に他の人がまるで輪に入れないようにしているかのような描き方は、その人たちにマイナスイメージを与えてしまうと思う。)

後編で出てくる生き方と場所の問題は、私にも通ずる問題として見た。結局どこで生きようとしてもなんとなく生きていくことも出来たりもするが、しかし最後に大事なのは明確な意志である、ということを痛感させられた。

ディレクターの演出面で、「私がディレクターだったらどうしていただろうか」と考えさせられたのは、主人公の1人、大地くんから、「「2人は卒業後一緒に住むんですか」って聞いてもらっていいですか」と要求されているところである。これは、ディレクターに2人の関係への介入を迫る言葉であり、実際にやるとなると結構怖いことだと思う。大地くんもすごく真剣に、というよりは、会話の流れでこの言葉を発している感じもあるので、なんとなく受け流してしまうことも出来てしまったかと思うが、この番組のディレクターである蜂谷ディレクターはこの大地くんの要求をのみ、2人に聞いている。

大地くんの輪に入れない感じとか、色々考えが変わっていくところとか、途中ちょっとふてくされちゃう感じとか、全部自分にも思い当たるところがあって一々共感して見ていた。多分私は非電化工房に弟子入りしてあの場にいたら、輪に入れない大地くんが気になっちゃって、でもそうじゃないところで輪を作るのも気が引けて、前にも後にも進めない状況になっていたかなと思う。

そのような感じで色々と自分と重ね合わせながら、ちょっと思うところもありながら、面白く拝見致しました。非電化工房の皆さんの姿を見て私もまた精進しようと思った次第です。

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