大停電から学んだ備えと感謝。

noteに何かを書くのは初めて。北海道胆振東部地震から5日目を迎えた札幌の自宅でこれを書いています。物流以外はボクの周りもほとんど地震の前と変わらない生活に戻りつつあります。

普段はSNSの投稿などしてるけど、ひさしぶりに長文を書こうと思ったのは…なぜだろう?何か書きたくなったのと、いつか誰かの何かの役に立つかもしれないからかな。なので発生当時のことと、大規模な停電を体験して思ったことを書きますね。

9月6日午前3時を少し回った頃、ボクのもたれていた壁のすぐ向こうを貨物トラックがゆっくりと通過しました。それが今回の地震の第一印象でした。
この後スマホの緊急地震速報のけたたましい音と共に天井の電気が踊るように跳ね揺れ、その時にはじめて「地震だ」「しかも大きい」と感じました。

ボクは小さい頃から地震が比較的多い場所で暮らしたせいか地震には寛容というか、呑気な方です。それでもそう感じました。
テレビではじめて観る自分のいる場所の数字の5。それがすぐに不安に変わり、その不安は現実に変わり、地震がおさまった10分後、いつもは五月蝿いぐらいの街の灯が全て消えました。

少し大げさ気味に書いてみましたけど、ボクの部屋の被害はほとんどありません。高いところに置いてあったワンピースのフィギアが3つほど床に転がったぐらい。

うっすらと明るい窓の外を見上げるといつもより明るく見えるオリオン座と、二十六夜の月。この時「キャンプのような生活になるかもな」「何があっても乗り切る」と覚悟した記憶があります。そして「何かが変わるだろうな」ってことも思った。

まず確認したのは調理しないでも食べられる食料の量、ガスがつくこと、水が糸ほどしか出ないことを確認した後(2Lのペットボトルを頂いたものが10本あったので安心)、それとブレーカーを落とすこと。(電気が来ていなくても停電が復旧した時に一気に電気が流れて電化製品が壊れちゃうから)

スマホで何人かと安否メッセージを交わしながら、疲れてたのかその日はスマホを握ってそのまま寝てしまいました。

朝6時にはまた「もー、サトシ遅刻するよ」と母親の声が聞こえそうな余震の揺れで起こされるんだけど。

停電2日目

ずっと余震につきあいながらウトウトして起きたのが10時過ぎ。遠方から来ていた友人たちの空路がどうなるかと連絡をしていた矢先、10時40分、スマホの電波が明らかに悪くなりました。

停電の影響で電話会社のサーバーへの電力が不足したためだと高校の同級生のLINEのグループで聞きました。スマホの画面には11時40分、圏外の文字が。

冷蔵庫のモーターの音や換気扇の音が聞こえない静かな部屋。それとは反対に網戸の外からは交通整理の笛の音と緊急車両のサイレンが途切れなくしていました。

誰とも話せない状態にあるってすごく不安。誰かの声が聞きたいけど、スマホの充電は無駄に使えない。携帯ラジオが欲しくなった。夜に備えてあちこち朧げな記憶を頼りにあさり、懐中電灯と電池の準備。これらは単三なら単三で、電池の企画を揃えておくと良いかもと思った。

それとスマホへの電源のための携帯バッテリーと、いざという時にはパソコンから充電できるので残量のチェックと、ポータブルのスピーカーからもスマホは充電できるので便利だと思った。wifiやその他に使えるから二口が使える充電池も欲しいなと思った。

何もすることがなかったからベランダでぬるくなったビールを飲みながら色々考えていました。(冷蔵庫はあまり開閉しない方が良いです、念のため)

電気がない水が出ない生活の期間
なんとも言えない空腹感
誰とも繋がれない孤独感

大地の喉がゴロつくような10秒の揺れが全てを無くしてしまうことになる。
電気との断絶は世界と断絶することと同じ。

時間が経つにつれ、頭をよぎるのは不安や暗いイメージばかりでした。

でもそれと同時によぎったのは意外にも『感謝』ということでした。

何カッコつけてんだ?と思う方もいるかもしれませんが、本当にそう思えたから書きますね。

世の中の心臓が止まったみたいな日でも、陽は上り、鳥は飛び、夜が訪れ、心地よい風が吹いていたからそう思えた。自然は何ひとつ変わらず、変わったのはボクらだったことに気づいたんです。

ボクらは弱い。

電気や水がなければ1日を過ごすことすら不安に押しつぶされてしまいそうになるぐらい。その証拠に、停電の夜の街はただ散歩をするだけの人たちで溢れていました。ひょっとしたら電波を求めていたのかもしれないけど。(ボクもそうしたから)本当に部屋で一人いるのは辛かったな。

ボクらの生活は電気で支えられています。食べるものは冷蔵庫やレンジ、情報はテレビやラジオ、パソコンやスマホ(車のテレビやラジオが活躍したそうです)。電気は光だけじゃなくエネルギーとして、水を運ぶこともしていてくれています。その水を使う食事はもちろん、トイレ、洗濯、風呂。

この他ガスや電話と呼ばれるインフラ(生活の基盤)と呼ばれるものは当たり前のように生活に馴染んでいるけど、先人たちが不便や不安、不満を少しづつ解消してきた形で、ゆっくりと現代の生活を作ってきていてくれたもの。だから止まれば生活様式はあっという間に何十年も“不”の時間に戻ってしまう。

今回の地震ではこういったものを“蓄える”ことの技術のありがたさにも気づきました。電気を蓄える電池、ペットボトルの水、カセットのガスボンベ。

あとはお金のことかな。お金があってもモノが作られていなければ買えないし、売っていなければ買えないし、届かなければ手に入らない。クレジットカードや電子マネーも電気がなければ使えません。(実際観光に来ていた海外の方々が困ったそうです。)

全部この地震がなかったら気づかなかったことです。そしてそれはいつも当たり前に身の回りにある。そのことに感謝が足りなかったなと。もちろんそれ以外のことにも。

何もできない1日は本当に長く、何より、電気の灯りのない夜があんなにも長く感じるものだったなんて初めて知ったかもしれません。お酒を飲んでたらあんなにも短いのにね。

そんな夜は早く寝ました。翌朝8時30分友人のメッセージの音で目が覚め、落としたブレーカーを上げました。いつもはうるさく思えた換気扇の音に生き返るような息吹を感じ、テレビの主電源の赤い小さな光にあんなに安堵感を覚えたことは初めての体験でした。

正味2日間ほどでライフラインは戻り、日本のインフラは本当にすごいなと思いました。

スマホやテレビで情報を確認すると、場所によってはまだ停電している地域があることや、おじさんの住む清田区では液状化現象で道路が陥没しているのを知り、もっと大きな被害を被っている人たちがたくさんいることを知りました。

情報を集めた後はSNSで友人の生存確認をし、自分の生存確認のためSNSを投稿しました。

食べ物がほとんどなかったのと、周囲の情報が知りたかったので近くのツルハ(ドラッグストア)へ行ったところ、広い店内の外周を一周するぐらいの行列が出来ていました。

即席麺と冷凍食品の棚には何もなく、お酒はたくさん残っていた。いつ余震が来るかわからないし、また停電になるかもしれない。だから本当はカップラーメンとか欲しかったけど、もっと必要な人のところ(子供やお年寄りのところ)に届いていれば良いなと思い、ボクは元気だからビールでカロリーを取ることに決め、スナック菓子と一緒に買った。まるでこれから宅飲みが始まるようなカゴになったけれど。笑

ツルハはほとんどのスタッフさんが出勤していたんじゃないかというぐらい品出しとレジをフル回転させて迎え入れてくれていました。自分たちの家だって大変だろうにね。本当にありがたかったです。

そして帰り道に寄ったのは道民のコンビニ・セイコーマート。他のコンビニは電気が復旧しても閉店していた中、ここで手作りのおにぎりが買えたのは嬉しかった。(お米を炊くのがガス釜らしく店内調理の“ホットシェフ”というところで炊き続けてくれていたらしいです)梅のおにぎりを食べた時、日本人でよかった、セイコーマートありがとうという気持ちになりました。

災害時にはいつも「買い占め」「復旧のバラつき」「消費が止まる」「被災者同士を比べるな」「情報の交錯」震災のたびに色々な意見があると思います。

だけどどの意見だってそれぞれの「正しい」で判断してることだから仕方ないし、それぞれの状況によって判断は変わると思うんです。

だからボクはこうしてボクに起こったことや、ボクの意見や意思を情報として書き留めておくことでボクなりの最善の対策を決めることが出来るし、ひょっとしたら読んでくれた誰かが選びやすくなって役に立つことがあるかもしれないから。

久しぶりに書いたブログはそんな備忘録です。

災害への備えの大切さと、感謝の気持ちを思い出させてもらえた大停電でした。さーて今日も変わらずビールでも飲むかな。


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鵜沼 聡志

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