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消極的ニヒリズムと積極的ニヒリズム〜この世界に何か意味はあるのか〜

こんばんは。Vinoです。
WBC日本優勝おめでとうございます🍾
大盛り上がりでしたね。毎回ドラマがありました。
はじめましての方へ。

実は今、何を書いて良いのか分からずにいます。
でも、毎日書くと決めているので、素振りのような気持ちで画面に向き合っています。

何か文字を打とうとしても何だかその言葉が陳腐なように感じてしまい、思いついては打ち消しを繰り返しています。

言葉が出ないことってありますよね。
感動して胸がいっぱいとかではなくて、感性の灯火が消えたような、虚無の世界に片足を突っ込んでしまったいうか。

虚無主義はニヒリズムのことなんですね。
あらためて虚無ってどういう意味なのかネットで調べてみたら、ニヒリズムという言葉が出てきました。

ニヒリズムって、そもそもなんだろうと思い調べてみました。

ニヒリズムは、物事の価値や意味は存在しない、自分も含めて全てが無価値だという考え方のようです。

ニヒリズムには、消極的なニヒリズムと積極的なニヒリズムがあるようです。

このリンクの記事によると、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」は、主人公のナウシカが、消極的なニヒリズムから積極的なニヒリズムに至るまでの過程を描いた作品だったようですね。

確かに、アニメは一部分しかクローズアップされていませんが、原作の漫画を読むと、結構おどろおどろしい場面が有り、内容もかなり深くて難しめで、考えさせられました。

ちなみに消極的ニヒリズムは、簡単に言うと、世の中が無意味で無価値に見えてしまい嘆く態度で、積極的ニヒリズムは、どうせ無意味なら人生を暇つぶしだと思って楽しもうという姿勢を指すみたいです。

この世界に何か意味があると思って、その意味を追いかけ続けても、恐らく絶対的な真理や意味には人間はたどり着くことは出来ないでしょう。

誰のバイアスもかからない真理や意味は言葉として存在出来ないからです。

だからといって、何か意味がなければやらないというのは、とても受身でいるので、どんどん自分の無力感の沼にはまり込んで溺れる一方です。

でも、どうせ無意味なら人生楽しんでしまおうと、自分で価値を見出して創造していく姿勢は人生を能動的に前に進めてくれます。

自分の外側に絶対的な真理があると思ったら迷いが生じてしまいます。
外側にあるものは、誰かの思考を通って存在しているので、どうしても微妙にズレが生じます。

それでも真理を求めてしまうのは、広大な意識の世界に、どこか掴まる場所が欲しいのかもしれませんね。

永遠に答えの出ないものを追いかけたくなるのは、単純に現実構築が面倒くさくて、行動しないで済むように自分自身で仕掛けているような気もします。

せっかくこの世界に誕生したのだから、創造的に生きて楽しみたいですね。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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