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自分の本音に立ち返る怖さ〜豊かな自然は自分自身の世界を思い出す合図〜

こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。

自分の本音に立ち返ることの怖さはどこから生まれるのでしょうか。
自分の本当の本音が、社会的な枠組に一致している人は、一体どれくらいいるのでしょうか。

おそらく本当の本音は、社会的な枠組に合致しないことの方が、多いことでしょう。何故なら、社会的な枠組に収まりきれないくらい、わたしたちの持っている潜在的な力は大きいからです。

広大で壮大な世界観を誰しもが持っているはずなのに、窮屈な社会に自分自身を小さく折りたたみ押し込め生活しています。

わたしたちの持っている壮大な世界は、まだ精神が未熟で子供っぽいからあるのではなくて、未熟と思っているその精神の方が未開発なのです。

キレイな緑色の木々を眺め、流れる空の雲を眺め、小鳥のさえずりを聞いているとき、とても心が洗われ無邪気な気持ちになります。

急に木の葉がヒラヒラと舞い降りてきたとき、どうして葉っぱは散るのかな?なんて、大人たちは考えずに、早足でその木の下を歩いて行きます。

今、目の前にある移りゆく豊かな世界に目を向けず、すべてのものをデータ化して実体のない世界が進行しています。

社会は窮屈だと感じるのは、おかしいことなのでしょうか。

自分が感じたことに正解も不正解も本当はないはずなのに、決められた過去からのパターンの中へ自分自身を閉じ込めようとしています。

でも、ふと目の前に落ち葉が舞って来た時、空を飛ぶ鳥の羽がフワリと降ってきた時、それは、型にはまった世界から外側の世界に出る合図なのです。

既存の枠組にはめなくても良いのです。
もっと自分自身を生きて良いのです。

誰の許可も本当は要らず、もし、誰かにゆるしを乞うのならば、自分の本当の本音に対してでしょう。

もし、外に出るのが怖いのだととしたら、それは、枠組の外にはもっと大きな枠組があることを知らないからです。

自分自身の新しいパターンを創っていこうと、心に決めて生きていけば、そこに道が出来て行きます。

きっと、その先には、今まで見たことのない世界が広がっているはずです。
勇気を出して歩いてみたいです。

今日は、先に写真を決めて、写真から言葉を紡いでみました。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!



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