来店時に「いらっしゃいませ」と言われなかったことで「言葉の意図」について考えてみた話

僕は常々、

「言葉」は意図をもって発しなければならない

と考えています。
今回はそのことについて書いてみました。

佐藤陽一さんというソムリエをご存じでしょうか。過去に世界最優秀ソムリエコンクールに日本代表として出場され、ソムリエ界隈の中でもファンが多くいるソムリエさんです。今回のお話は、その佐藤さんにまつわるお話です。

僕が大学生のとき、ある面白い講義がありました。
現場で活躍している職業人を大学に呼んで、現場の話を聞く、というものです。特に覚えているのは、とある介護センターの方と、現役の麻酔科医の方で、どちらも臨場感ある現場の話をされていて、まだ学生の僕が「仕事」というものに対して十分な憧れを持つ内容でした。

その中の講師の一人に佐藤陽一さんがいました。
佐藤さんが全日本最優秀ソムリエを取ったのが2005年、世界最優秀ソムリエコンクールに出たのが2007年です。講師として訪れたのは僕の計算が間違っていなければ2006年ですから、ちょうどノリに乗っている時ですよね。よく呼んだなぁと思います。

佐藤さんの話し方はとても落ち着いていて、しかし温かみがありました。強さはないんですけど、安心感はあるっていうんですかね。

講義の初めに、佐藤さんは小さなグラスに白ワインを注ぎました。「どうぞ一度召し上がってください」僕らは一口ずつ飲みました。
佐藤さんは突然白ワインのボトルにコルクを挿し、ボトル全体をシャカシャカと振りました。そしてまたグラスにワインを注ぎました。「どうぞ、また飲んでみてください。ワインの味が変わるのがわかると思います」僕らはまた一口ずつ飲みました。
確かにさっきあったピリピリ感というかそういうものがなくなり、まろやかになったというか。香りもさっきよりする気がする…と、よくわからないけど味が変わったのはわかる。ワインって面白い……!と思う講義でした。

また、そのときに佐藤さんが

「僕は多分サービスマンには向いてなくて。なぜかというと性格的にビビりなんですよ。堂々とできない。だから何か足りないものがないかっていつも考えてしまうんですよね。
でもそれが結果的にお客様が満足してるのかっていつも考えるようになって、だからサービスマンをやれてきたのかなって思います」

と話していたのをはっきりと覚えています。これは僕がたまに話すエピソードの一つであり、そしてもちろんその数年後に飲食で働く僕自身の心の支えにもなっていきました。
実際、僕、「お前、サービスに向いてない」って何回か言われてるんですよね。あの言葉がなかったらこうやって何かを話せるほど努力できていなかったかもしれないなと思います。

さて、話は今から2年前、2017年6月に飛びます。
僕が東京に来てすでに数年が経っていたのですが、せっかく上京していても行きたかった店にはあまり行けていなかったんですね。飲食業というのは忙しいですし、当時はそれほど給料も良くはなかったので、高級店にたくさん行くわけにもいかない。でもその2017年という年は僕が飲食を離れて少し時間が経ち自由な時間も増えてきたころだったのと、僕の誕生日が6月18日なのでずっと行きたかったところに自分の誕生日祝いに行ってみようと思い、せっかくだから佐藤さんのお店(マクシヴァン)に行こう、と予約することにしました。

…プルルルルル ……ガチャ

「お電話ありがとうございます。マクシヴァンでございます」

電話口のその声はあの11年前に聞いた佐藤さんの声、そのまんまでした。興奮を抑えながら、僕は予約したい旨を告げ、そのあとにこう続けました。

「あの、僕、佐藤さんが◯◯大学に講義に来てくださったときの学生なんです。あれがきっかけでワインに興味を持って、ソムリエの資格も取りました。すごく楽しみにして伺います!」

なんか憧れの人と話しているようで、緊張して噛みながら話していたように思います。佐藤さんは「ああー…、あの時の学生さんですか。はい、覚えていますよ。では美味しいワインをご用意してお待ちしております」と言いました。
僕は佐藤さんにお会いできる期待感でその予約日まで、遠足を待つ子供のように指折り数えながら過ごしていました。


予約日当日、僕は緊張と嬉しさとがいりまじった気持ちで店に向かいました。
六本木の駅から、国立新美術館の近くを通って坂を下るとマクシヴァンはあります。少し重い扉(実際は重くなくて期待が重くさせていたのかも)を開けながら、僕は「19時に予約している、◯◯です」と言いました。
そこに佐藤さんはいて、僕のその言葉を聞くと、

「お久しぶりです。お元気でしたか?」

と言うんですよね。

さすがに10年以上前のこと、しかもあちらからしたら僕は数いる学生の一人。顔なんか99.9%覚えていないはず。
それなのに、佐藤さんから最初に出てきた言葉が

「いらっしゃいませ」でも
「今日はご予約ありがとうございます」でもなく

「お久しぶりです」だったんですよ。

その一言で、僕はなんだか佐藤さんがすごく長い間親しくしている仲の良い先輩のように感じられ、もう席に着く前から気分がいいわけですよ。
こんな食事が、楽しくないわけがない。

僕らがいる間、佐藤さんは(まさにあの時話したようにビビりだからなのか)ちょこちょこ動きながら店の中の風通しに気にしては「ちょっといい風が入ってるから入れてみたくて。寒かったらおっしゃってくださいね」と言ったり、

食事とのペアリングのワインが美味しいあまり、料理が来る前にほとんど飲んでしまった僕のパートナーを見て「私、わんこそばソムリエって言われてるんで、注いじゃいますね」と言いながら楽しませてくれたりと、最後まで誕生日のその会食を楽しく過ごすことができました。

さて、冒頭の
「言葉」は意図をもって発しなければならない
という話に戻りたいと思います。

佐藤さんの最初の言葉が「いらっしゃいませ」ではないという事実には、明らかに佐藤さんの意図みたいなもの(無意識か意識的かはわかりませんが)が存在しているわけです。そうでなければ「お久しぶりです」なんて、出てこない言葉なんですよね。だって、99.9%顔なんか覚えてないはずですから。それでも0.1%は「もしかして覚えてくれてたのかな…」と思わせるような言葉、でもある。そして、今日の食事を楽しみにしてきた僕への最高の挨拶だった、と思うわけです。

もちろん、「いらっしゃいませ」には意図がない、というつもりはありません。しかし、普段何気なく使っている言葉にちょっと意識を払ってみてもいいんじゃないかなと思います。今自分が伝えたい気持ちを表すには「いらっしゃいませ」が果たして最適なのか、と。それだけで同じ「いらっしゃいませ」でもその重みは随分と変わります。どこか緊張感を持ってもらったり、逆にリラックスしてもらうきっかけになったりします。

今日のお客様への最高の挨拶は「こんにちは」かもしれない。「ようこそ」かもしれない。そして、もちろん「いらっしゃいませ」かもしれない。そうやって考えながら、ぜひ一つ一つの言葉に「意図」を、「あなたの気持ち」を持たせてみてほしい。そうしたら接客はもちろんのこと、一つ一つの人間関係はもっと素敵なものになるんじゃないかな、と思っています。ではまた。

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