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苔生す残照

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卒業記念に描いたものです。
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《苔生す残照⑿》

《苔生す残照⑿》

「さっき話したあの写真、裏の詞はね、はじめは、私は朱音を思って書いたんだ。朱音の天下が続きますようにって。あの頃の朱音は私にとっては憧れの的みたいな感じだったから」
「天下って」
「だってあの頃は、みんな朱音に夢中だった」
「それは言いすぎじゃない? 俺はそうとは感じなかったけど」
「どうだか。あの頃は、あの小さな教室が私たちの全部だった。朝登校して下校するまで、どれだけの時間をあの校舎で過ごした

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《苔生す残照⑾》

《苔生す残照⑾》

「そういえば、懐かしいものを見つけたんだけど。ちょっと見てくれないか」
 朱音は不思議そうに頷いてから、梯子を降りはじめた。腕まくりをした手で、肩にかけてあったタオルをとり滲んだ汗を拭う。
 降りてきた朱音に写真を手渡すと、彼女は目を細めそれを凝視した。
「門馬さんってどこに映ってんの。面影だけじゃ、雰囲気違うからわからない」
「これ」
 指でさしたのは門馬朱音の隣に立つ薄い笑みを浮かべた少女だっ

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《苔生す残照⑽》

《苔生す残照⑽》

 ある日の放課後、大司と共に秘密基地に向かった。
 その後、板をつぎはぎにした小屋の中でカードゲームをしたり漫画を読んで時間を潰してから、夕暮れごろには帰った。その時、偶然次の日の宿題で必要なものを忘れたことに気付いて、大司と別れて教室に向かった。生徒がみな帰った校舎は人気がなく不気味だったから、駆ける足はいつも以上に急いだ。窓枠の影が濃くなるにつれて、長い廊下が果てしないように思えた。
 教室に

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《苔生す残照⑼》

《苔生す残照⑼》

 いったい誰が、という疑問もよぎったが、おおかた話しを振った大司だろうと見当づける。そのおかげで掘り返すことには苦労はなかった。トランクに入れておいた園芸用のスコップで数分もしないうちに菓子の空き缶を掘り当てた。土を払ってそれを開ければ、その中には意外なものが入っていた。粉々になっている白い一輪ざしの花瓶と、くしゃりと握りつぶされたような手紙だった。
 手紙にはこう書かれていた。

 加絵へ
 お

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《苔生す残照⑻》

《苔生す残照⑻》

 校舎から出て、裏に向かうと、門馬朱音が梯子に登って何やら作業をしていた。校舎裏の壁全体を使って、ペンキで塗りたくっている。彼女がいま取り組んでいるのは、波の先端だった。
「葛飾北斎、だっけか……?」
 集中していた朱音は驚いてひとたびアルミ製の梯子を軋ませてから、章二の方を見た。
「知ってるんだ」
「見たことあるよ、日本人ならわかる」
「神奈川沖波裏っていう木版画で、葛飾北斎の連作富嶽三十六景の

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《苔生す残照⑸》

《苔生す残照⑸》

 単なる好奇心から立ち寄っただけだというのに、どうしてここまで重労働をしなくてはならないのだろう。先程の校門ではトランクに傷をつける始末だった。すべては大司の責だ。今度おごらせてやらないと気がすまない。そのためにここに来た以上はただで帰るよりも、せめて何かしらの答えを得ておかなければ。
 トランクを唯一無事な教壇の上に置いて、腕まくりをした。好都合なことに机はひとつひとつが小学生六人ずつ座れるくら

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《苔生す残照⑺》

《苔生す残照⑺》

 門馬朱音は優秀な上に、柔和で、人当たりも良かった。だから誰もが彼女の噂を許可されているかのように、話題に出ることは度々あった。ピアノのコンクールに出て入賞した。書道で優秀賞を得た。成績抜群で一番の出来だったらしい等々、事欠かない。
 章二は門馬と言葉を交わした記憶はないが、間接的にでも彼女のことを良く知れた。それは表面的なものでしかないかもしれないが、それこそが章二の中の門馬朱音という女性に他な

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《苔生す残照⑹》

《苔生す残照⑹》

 額縁に入っているが埃で薄汚れていた。よくよく見てみれば、地区の合唱コンクールの賞状だった。××年度、最優秀賞と書いてある。そういえばこれに参加したのも章二の転入してきたばかりのクラスだった。クラスの担任が音楽に造詣が深いせいか妙に熱が入った指導をして、なぜか乗り気になった女子と、いまいち乗り切れない男子たちが、それでも授業外の練習にも参加して勝ち取った評価だった。この賞をもらったときは特に興味は

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《苔生す残照⑷》

《苔生す残照⑷》

君が代は 千代に八千代に
さざれ石の いわおとなりて
こけのむすまで

 言わずもがな日本の国歌である『君が代』である。小学生がこの歌を覚えている必要などなく耳に入れる回数ですら少ないこの歌を、なぜタイムカプセルの在りかと共に大司が写真に書き添えたのか、見当もつかなかった。尋ねれば良かったが、荒木田はタイムカプセルのこととなると意味深にフッフッフとわざとらしく笑うだけで答えてはくれなかったのである

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《苔生す残照⑶》

《苔生す残照⑶》

 あ、やっぱりそうだ、と言った彼女が嬉しそうに歩み寄ってくる。
「どうしたの、こんなところで。帰ってきてたんだね。同窓会にも来ないから、顔忘れちゃったかと思ってたけどそうでもないんだねえ。変わってないなあ」
 矢継ぎ早に言われて困惑する。記憶を掘り起こそうにも、思い出せない。幼いころの章二は内向的で、あまり交友関係は広くなかった。友人といったら、よく裏山で遊んだ荒木田大司やその友人くらいだ。大司は

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《苔生す残照⑵》

《苔生す残照⑵》

 石畳には苔が生えていた。バスを降りて徒歩一時間は行った、国道の脇だった。まさかこんなにかかるとは。歩道のない道路から、やっと見つけた目的地に至る、最後の試練を見つけた。
 じめじめとまとわりつく空気と、熱気のある風のせいで暑さから逃れることはできない。そびえ立つ階段の高さに目眩をしそうになりながら、青沼章二は一息ついた。
 山の辺を沿うように作られた階段の両端にも、石が積まれている。石垣に縁取り

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《苔生す残照⑴》

《苔生す残照⑴》

 腕捲りをして苔むした石階段を登る。
 この百メートルもあろうかという長い階段は、まるで立ちはだかるように山の辺に沿って四十五度の急こう配でそびえていた。この階段を見る度に自分も置いてきぼりにされている感覚に陥る。自分自身も、まるで過去の遺物、朽ち果てるのを待つだけの侘しい、棄て置かれる存在のように思えてしまう。自分の行動そのものがそんな気分を誘発する原因となっているのだから、もしそれが嫌ならば、

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