《苔生す残照⑶》

 あ、やっぱりそうだ、と言った彼女が嬉しそうに歩み寄ってくる。
「どうしたの、こんなところで。帰ってきてたんだね。同窓会にも来ないから、顔忘れちゃったかと思ってたけどそうでもないんだねえ。変わってないなあ」
 矢継ぎ早に言われて困惑する。記憶を掘り起こそうにも、思い出せない。幼いころの章二は内向的で、あまり交友関係は広くなかった。友人といったら、よく裏山で遊んだ荒木田大司やその友人くらいだ。大司は口が達者で人に垣根をつくらないせいか、すぐに親しくなることができた。他によく話す回数が比較的多かったのは、隣の席の女子生徒や同じ係だった地味な女子生徒くらいで、その子は教室でよく絵を描くような大人しい子だった。だがもう顔も名前も思い出せない。
「……ごめん、誰かわからない」
「えっ」
 彼女は一瞬傷ついた表情を見せてから、すぐに苦笑にそれを紛れこませた。
「昔過ぎて覚えてないかー。私だよ、そうだなあ……いつも休憩時間に」そう言いかけるものの、逡巡し、「そうだね、友達と話してたから、わかんないか」と言った。
「とりあえず同級生だよ。覚えてないか」
 そっかそっか、と自分に言い聞かせ動揺を宥めるように何度も頷いた。
「章二君はいつも放課後になると森に出て行って先生に怒られてたよね。危ないからだめって言われても隠れて行ってた。私もそれを見かけて、懲りないなあってよく思ってたんだ。放課後のホームルームで先生に注意されてるのも、覚えているんだけど」
 たしかに彼女の言った通りだった。授業後のホームルームで、担任が事あるごとに章二や大司たちを注意していたのである。しかし彼女はそれを覚えていても、章二にとって彼女の言ったことは、同じく担任のぼやきじみた叱責を聞いていたクラスメイトのひとりでしかない。強いて誰だったかということを、彼女を眺め見ても面影すら思い返せなかった。
 少なくとも小学生の頃の同級生の姿と、いま現在自分の目の前にいる女性を被せようとすることは無理がある。
「お久しぶりです。門馬朱音です。章二君はどうしてここに?」
「仕事が休みをとれたから。ちょっとした旅行がてら、寄ってみたんだ」
「へえそうなの。それにしてもこんな辺鄙なところによく来れたね。ずいぶんと歩いたでしょう」
「散歩みたいなものだから、別に。それよりも、門馬さんも?」
「あ、うん。私は車で」
「車持ってるんだ」
「ここに住んでて車がないのはね。交通手段がなくなる」
 柔和に笑うと頬の赤みを増して、持ち直したバケツが鳴った。
 校舎裏にいるから、帰るとき一言かけてると嬉しい。彼女はそう言い残して立ち去ってしまった。
 章二はその後もしばらく考え込んだが、門馬朱音という名前も、そのひととなりも思い出せなかった。そもそも章二がこの小学校に来たのは思い出を確かめるためである。それを成し遂げてから考えようと、ガラスの割れた昇降口の扉を開けた。

 三日前の八月十日、大掃除をした時に小学校の卒業アルバムが出てきた。押入れの中の荷物を一掃しようとしたときだった。段ボール箱の中に入ったそれを懐かしくて取り出してみれば、たまたま開いたページに挟んであるだけの写真を見つけた。その裏に、汚い文字で『図工室、後ろから二番目の、机の裏』と書かれていたのである。
 小学校六年生の卒業の日、章二は東側の校舎の図工室の机にある細工をした。簡単なものだ。木造の机の裏に穴を開けたのである。それは貫通させずに、斜めに斬り込んだものだった。小指の先が第二関節くらいまで入る穴を、彫刻刀で彫り込んだ。それだけだったら何の意味も成さないが、幼き日の青沼章二の友人である荒木田大司は、何のつもりかメモをそこに差しこんだのである。それは大司いわく、タイムカプセルの場所だったはずだ。
 章二は思わぬ懐かしい見つけものに、いまでも親交のある大司に電話すると、彼とタイムカプセルを掘り起こすことになった。時は盆の時期、夏の真っ盛り。夏季の長期休暇を取ることは難しくはなかった。
 久しぶりの祖父母の家、あの田舎、そして荒木田という友人に会える期待に、胸躍らせるだけだったが、その写真には気がかりな一文がそれに添えられていた。


2014.3 初稿

2018.3 推敲

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関田溶心

苔生す残照

卒業記念に描いたものです。
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